ブログ人 話の広場

日頃の生活のなかで見つけたことなどを写真もそえて

世の中トラブル続き

2011-07-31 10:13:57 | 日記・エッセイ・コラム

 ”どうなっとるんじゃ!今の世の中は”、と国民は、あきれ返っているのではないでしょうか。とにかく、よくこれほどトラブルが続くものです。

 東日本の大震災によって、一気に今まで隠されていたことが吹き出たような始末で、実に悲しい現実を見せ付けられています。とりわけ、これだけ世界的に問題を投げつけた原発事故への一連の対応への疑問は深まるばかりです。

 本当に復興できるのか、政界は足の引っ張り合いばかりで、無駄な時間が過ぎていきます。まさに永田町は無政府状態といいたいくらいです。また企業は自己保身ばかり考えて、平和な世の中にしようという努力や思想が微塵も感じられません。

 なんだか日本は、自ら奈落にどんどん落ちていくような気さえします。こんな体たらくを見せ付けられているぼく達は、未来の子ども達に何を残せばいいのでしょうか。信頼を失った大人たちの無自覚も大きな問題ですが、その以前にもはや期待もせず、諦観の心境でしょうか。

 本来、人間は哲学を持っている動物といわれていますが、戦後日本の復興の第一が経済力を持つことに明け暮れていました。今も尚幻想のように拝金主義の世界を追い求めることが暗くしているのかも知れません。嘆かわしい世の中になったものです。

やさしいタイガー


見方が変わった新聞記事

2011-07-30 13:03:16 | 日記・エッセイ・コラム

 今月24日でテレビの世界が変わりました。ぼくは、もうテレビを観ることを止めていましたので戸惑うことはありませんが、それでも世界が変わったような気がします。

 あれから1週間、視覚の変化は、ビジュアルから読むというスタイルになったのです。テレビの生活がごく当たり前としてきたこともあって、そう深く新聞に目を通していなかったのです。

 改めて新聞に親しみを持ってゆっくり読んでいると、思いがけない発見があり、実に長い時間読むようになりました。そして新聞は面白いこともわかりました。

 新聞社の主張が読み取れて、関心を深めることが出来ます。そして自分がいつしか作り上げてきた価値観をベースに賛否を分けているのです。重ねるようにネットで情報を確認することもあります。

 日本人の関心事が世界に向いていないせいか、国際社会の情報が小さすぎるのも気になる一つです。また新聞の厳正中立という姿勢もわかりますが、本来、中立などというのは、ないのではないかと思うのです。しっかり主張を入れてもいいのではないでしょうか。判断するのは国民の知力に委ねたらいいわけですから。

 本来、しっかり管理する立場の「原子力安全・保安院」の「やらせ指示」を今になって暴露するというのはいただけません。真実をしっかり報じて欲しいものです。

 何しろ、新聞は世の中を変える武器でしょうから。

やさしいタイガー


教員稼業もご難の時代

2011-07-29 08:45:03 | 日記・エッセイ・コラム

 以前からそうだったと思いますが、今もって改善されていないのが、学校の教員の超多忙さです。先日のブログで最北の地に新任教員として赴任した若い先生の話を紹介しましたが、とにかくいくら時間があっても足りない、とこぼしていました。

 そんな話を聞いた後、今朝のネット情報によると、退職教員の6割が精神疾患だと報じていました。事務量が多いこと、周囲の圧迫も加わっての疲労感が主因のようで、「うつ病」らしいのです。

 学校の先生が忙しい理由は、毎週の教材作りの大変さです。そしてコンピュータ時代とはいっても、手書き用に書面作りが多いことでしょう。ぼくも経験があるだけに、想像がつきます。

 原因がわかっていても、なかなか改善できないところに、問題の深刻さがあります。細やかな先生ほど、自ら苦しい淵に立って悩んでいるのかもしれません。

 先ごろの文科省から、各種のデータの提示がありました。コメントもあったのでしょうが、現場の先生方がこんなに退職し、しかも心の病としたら、専門家も含めた官僚が進んで対応策を講じるのが当然と思います。いまさらの問題ではないはずです。積極的に立ち上がることが出来ないものかと、いらだつ現状を憂いてしまいます。

 誰が改善の旗を振るのか、だれが先生を守っているのか、先生は誰を頼りにしているのか、孤立しているのかもしれません。そもそも根本的に日本の教育行政のあり方がおかしいとしか、いいようがありません。

やさしいタイガー


たくさんの親切に囲まれて

2011-07-28 16:23:42 | 日記・エッセイ・コラム

 多分、多くの方はご自分の周囲にたくさんの親切な人がいることをとっくにお気づきでしょう。ぼくもそのうちの一人です。

 昨日、ぼくが最初に勤めたとき、手をとって仕事の手順や意義を教えてくださった先輩の訃報が届きました。88歳とのことです。もう既に45年が過ぎています。円熟した壮年期を迎えた先輩の若々しい表情と親切を今も残っています。

 さて、後期高齢者になった今、それでも多くの親切に囲まれています。Hさんは、いつもぼくの地域放送を聞いてくださって、しばしばご自分の音楽のコレクションからMDに吹き込んで提供して下さっています。時にはいろんなゲストもご紹介くださるのです。とてもきめ細かい心遣いをいただきます。

 またOさんは、ときどき電話で「今日の午後、閑ですか」と一報を下さって、ぼくもさっと着替えて近くの喫茶店で世間話をして、1時間ほど楽しんでいます。ぼくとひと回り以上違う方です。

 Bさんは、先日久しぶりといって町の中心で会いました。彼は、ある大学のPR誌を請負い、その中に「心のビタミン」と題するコラム欄を設け、ぼくに長い間書かせてくださいました。

 もちろん、まだまだ親切な人がいますが、切りがないほどです。しみじみありがたいことだ、と感じています。こうした心を頂いた分、ぼくも何かの形でお返ししたいと思うのですが、多分日々誠実に生きることしかないのではと思っています。

やさしいタイガー


日本人の幸福感

2011-07-27 09:30:43 | 日記・エッセイ・コラム

 東日本大震災は、改めて日本人とは、と世界からも問われていて、どう創造的な国づくりを再建するのか、注視されています。

 先日、水彩画の仲間の一人から、読んでみてはいかが、と一冊の本を渡されました。「幸福途上国ニッポン」という本で、作者は目崎雅昭という若い気鋭のビジネスマンです。

 読んでいてなかなか発想の素晴らしさに気付きました。日本はどういう国か、そして日本人の奥ゆかしさは本当か、そもそも日本人は何者か、といった鋭い視点で様々な主張や統計を駆使して書かれています。

 最近、幸福とは何か、とよく目にするようになりました。特段考えてもいない、この言葉が今の混沌とした社会の中で、失っていたものが、急に浮かび上がってきたような気にもなります。要するにこれだけ経済的に豊かさを誇りながら、日本人はどうも充足感がなく、「しあわせ」感が乏しいのです。

 自分は今、とても幸せです、と答える人は、きっと経済力が充たされているという意味ではないでしょう。戦後の日本は、生活は充分ではないが、希望があり、皆が貧しい生活をしながら一つのものを分かち合う共感の時代でもあったのです。

 モンゴルの人びとが、何をもって幸福と感じているのか、真実は知りませんが、飛びぬけて幸福度が高いそうです。

 紹介を受けた本を読破して、独り相撲ばかり取っている永田町は、だれも幸福とは思っていないのかもしれません。あれほど毒気が多すぎると、心が汚染されすぎていて麻痺しているようですから。少なくともここから幸福の元素が蒔かれるとは、誰も思っていないことも「不幸」な話です。

やさしいタイガー