ブログ人 話の広場

日頃の生活のなかで見つけたことなどを写真もそえて

夕暮れ時の街路樹

2010-11-25 09:44:47 | 日記・エッセイ・コラム

 昨日は一日中、人と会っていました。終わって赤煉瓦の道庁や庭園を取り巻く街路樹を見ながら反対側の道を歩いていました。空はもう闇に近い碧さでしたが、それでも樹の姿は影のように黒い色でしたが、見ることのできる明るさがありました。不思議なことに1本の大きな街路樹のなかにたった数枚が少し強い風に耐えながら残っているのを見つけました。

 ぼくはふと「葉っぱのフレディ」を思い出していました。春の若々しい新芽が成長し、鬱蒼として小山のような葉っぱが通る人たちにそよ風を与え、秋にはまるで1000年も前の衣装を見るように雅なすがたを見せてくれるのです。そしてやがて冬を迎える頃、一年を終えようとする葉っぱ一枚ずつ地上に舞いながら落ち、静かに眠りについて行くのです。

 最後に残った葉っぱのフレディは、次々と落ちていく仲間たちを見て、「僕は死ぬのが怖い!」と泣き声で仲間の葉っぱに訴えます。仲間は「僕たちは誰もが死ぬのだ。でも次のいのちへのバトンを渡すことであり、永遠のいのちなんだよ」と諭しながら、静かに木から離れていきます。やがて最後の一葉になったフレディは安心するかのように目を閉じてそのときを待ちます。

 やがて樹は大きな枝と小さな枝で来年まで寂しい姿をみせていきます。でも落ちた葉っぱは春が近づくと新しい淡い小さな葉っぱを見えないところで支え誕生させているのです。いのちはこうして巡り巡って受け継がれていくのです。

 道庁の近くを歩きながら、そんなストーリーを思い出し、樹のいのちのすばらしさを感じていました。人間も同じなんだなあと思いながら、ビルの明るさに照らし出された街中を行き交う人の一人になって帰路につきました。

やさしいタイガー

 


バスの中

2010-11-24 09:41:06 | 日記・エッセイ・コラム

 昨日、ブログを書き始めて500回になったと書き記したのですが、実は800回の間違いでした。今朝ふと書き始めようと数字を見たら800回となっていて、またドジをしてしまいました。特に重要なことでもないのですが、訂正させていただきます。

 ところで皆様は外出するとき、比較的多く利用される公共機関は何ですか。ぼくはバスでしょうか。ほぼ毎日のように乗っていると、車内の空気が日々変わることに気づくのです。たとえば、空いた座席に座ろうとしても、無神経な大きな男性が独り占めしている横に座ることはちょっとできませんね。それを良いことにして、のうのうと座る男性の無神経さにいささか腹が立ってくるのですが。座りたいと思っている小柄な年配の女性すら、座りに行こうという人はいないのです。ただ座席の幅は小柄で細身の日本人用に作られているのかなと思ったりもします。

 もう一つわかったのは、比較的年配の女性は後部座席が空いていても座ろうとせず、空席のない前に立っている姿が多いことです。しかもほとんどの人は譲ろうとしません。携帯に夢中になっているか、眠っているかです。そういえば最近、日本人のマナーが悪くなった、と何かで読んだような気がします。そういえば空席の前で立ちはだかっている男性の姿も結構見ます。座りたい人もちょっと躊躇して座りたい気持ちをおさているかのようです。

 マナーが悪いというよりも、最近は自己中心的な考えがまかり通って周囲の中に自分が居るといった気配りが無くなったのかもしれません。気配りのできる人の行動をよく見ているとこちらが気づく前に、もう行動を起こしているのです。そういう人が一人いるだけで全体にどこか暖かい空気を漂わせてくれるような気がします。そして互いに気づきあいます。

 バスの話に戻してみますと、これもどうかと思う行動です。年配の婦人が両手に抱え込めないほどの買い物袋をいくつももってバスに乗り込もうとしても、ステップをあがり切れず、息絶え絶えに乗っても座る席がないときの悲しそうな恨めしそうな表情を見ていると、元気はよしとしても、ちょっと同情しにくくなってしまいそうになります。そんなに無理な買い物をしなくても・・・と。息苦しく車内の棒に捕まる姿は少々哀れっぽく見えてしまいます。

 時々そんな場面を見ると、かつて僕たちが使っていた言葉「お互い様」だとか「お大事に」といった優しさのこもった言葉が聞かれなくなってきたような気がします。バスの中の人間模様の一端です。

やさしいタイガー


ついに500回のブログ

2010-11-23 08:56:35 | 日記・エッセイ・コラム

 何でも長くやればよいというわけではありませんが、こうしてコンピュータに興味を持ち、いろんな面で活用している間にホームページやブログなども出すようになり、今回ついに500回目を迎えました。

 もちろん500回がよいのではありませんが、時折訪ねてくださる方々への感謝はつきません。まさに「つれづれなる」ままに書きつづってきましたから、誠につたない文章をよく我慢して読んでくださったと、それが一番うれしいことです。いっこうに上達しない我が能力の低さを一人嘆きながら、それでも続けてきたのです。

 もちろんぼくは「もの書き」ではありませんから、誰にどんな批評をされようが、いっこうに気にはならないのですが、書いているうちに気ままな文章を読んでくださる方々のことをふと思い起こしながら、ただ書けばよいということはだめだと気づいたのです。

 それが放送のシナリオに生かされ、人前で話す素材となり、いろんな書き物の依頼につながっていきました。そして自らの知性を高めるよい勉強にもなっています。不思議なことに次第に自分の心に変化が起こっていることを指摘してくださる方が出てきました。

 どうやらぼくは人生に少々ブレーキをかけてきているのではないか、弱気を感じることもある、などと案じてくださる方もいるのです。とてもありがたいことで、「今」という時をどう過ごすか、またこれからは?と己に問いながら、ひたすら前に向かって歩み続けることだと言い聞かせているのです。でもただ前に向かうだけでは意味がありません。こんな目標を持っているから前に向かえるのだ、といえる人生を作っていきたいと思うのです。

 500回に特段の感慨があるわけではありませんが、竹が生長する際にできる節目になぞらえてこれからも粘り強く書き続けてまた新しい節目を作っていこうと改めて朝からそんな気持ちになっています。これからも時々覗いてみてくだされば幸いです。

 今朝は急速に寒さが加わっていますが、淡い青空は心をすがすがしくしてくれます。

やさしいタイガー


失言と本音

2010-11-21 13:31:28 | 日記・エッセイ・コラム

 このところ大臣や議員は何をしているのだ、と叫びたくなるほど失言や意味不明な発言が多いように思います。もう国民は好きなようにしたら、とあきらめの心境ですよ。きっと。

 なぜこんなに平気で失言をするのか、それは日本語が実にうまく相手に納得させる要素がたくさんあるからではないかと思うのです。言葉の裏を読み取っているからでしょう。「関係者とよく検討します」というのは「しません」という意味。「皆さんのご意見を傾聴して善処したいと思います」とは「お好きなことをどうぞ。どうせしませんから」という意味です。「努力します」というのは「しません」という意味。

 つねに抽象的に表現することが名解答なのです。「何月までにやります」と断定的にいわないことが大切なのです。こうしたちぐはぐな問答は、知識が浅く不勉強による依存型の議員に多いのです。かつて自民党も他の党もそうでした。

 考えてみると、僕らもうっかりミスで失言し、相手の心に傷をつけることがままあります。しかし案外失言の中に本音が隠されていて、それがぽろりとでる。つまり議員もそうですが、本音ばかりでは喧嘩の種をつくるようなものです。ですから慎ましくやさしく相手に伝えて行きながら信用してもらう術を身につける必要がありますね。

 信号の赤色が点滅したら、あわてず待つことです。そうしたら心が落ち着いてじっくり待ってもわずか1分足らずです。それで期待していたバスがいってしまったということがあっても、次にしようと思うことが本音なのです。日頃からじっくりと勉強し、言葉を上手に使う方はそう失言はしないものです。でも政治関係者は頑固だから、市民に向ける顔はにこやかでもそれは本音ではないのです。失言はしっかり自分を見つめ、社会を末端まで見ている人にはそうないと思いますよ。

やさしいタイガー


イサム・ノグチの母レオニー

2010-11-21 10:01:31 | 日記・エッセイ・コラム

 昨日の日曜日どうしてもみておきたい映画「レオニー」を朝一番にみてきました。映画館は7割くらいの入りでしたから、かなり関心を持っている人が多いんだなあと感じました。比較的中年以上の人たちが多いように見受けました。

 映画は世界的彫刻家でもあるイサム・ノグチの生涯ではなく、二人の子どもを育て、安んじるかのように波乱に富んだ人生を終えるストーリーです。最後に画面いっぱいにイサムが作った壮大な公園が写り、子どもたちが喜々と遊んでいる姿がとても印象的でした。

 アメリカで知り合った日本人の詩人ヨネと知り合い、起居を共にする間柄になります。しかし結婚はせず、互いに愛し合った二人の間にイサムが生まれ、次第に育っていく中でイサムの隠れた才能をみいだした母レオニーは、自身も詩を書きながら、あるいは友人の助けを借りながら生計を立てていきます。決して生活は豊かではなかったのです。我が子の成長を見つめることが何よりも幸せだったのかもしれません。

 子どもをおいて日本に帰国したヨネは日本人の妻がいたのです。時は20世紀初頭、国家ができてまだ間がない日本はすべてに国際社会から軽視されており、野蛮人とさえいわれていたのです。外国からヨネを頼ってやってきた日本の姿は、実に奇異に感じたことだろうと思うのは至極当然のことでしょう。

 しかもその中で英語の堪能な人々との出会いはレオニーを勇気づけました。開拓使庁から明治のはじめ女子教育のために派遣された当時最年少の6歳で派遣された津田梅子が20年ぶりに帰国し、西洋の文化を身につけて東京に津田女子英語塾を開設するまでに凛々しく成長梅子も登場します。小泉八雲の妻も登場します。当時は女性は教育を受ける必要はないとさえいわれた時代、レオニーも体験もしたことのない差別や異文化に戸惑うばかりでした。

 しかし彼女を支えたのはいじめに遭いながらも寂しさを耐えるイサムを護り育てることに生きる望みをつないでいたと想像できます。そうした歴史の一断面を伝えながら、日本が次第に変化している姿、医師になりたいと願っていたイサムを彫刻家に育てたレオニーの感性はやがて母の亡き後開花するのです。

 複雑な国際社会、アメリカにいて軽蔑される日本人、日本にやってきた外国人を避けるかのような日本人の態度、それらはまだ国家の幕開けにはほど遠い世界の社会だったのでしょう。なにしろ1900年代の半ばですから。松井久子監督は全体を美しく表現し、優しい人々の姿を描いていて、淡々と時代を映し出していました。

 今、札幌の東区にある「モエレ公園」は北海道ではデザインされた最大の憩いの場ではないでしょうか。大通公園にも彼の作品があり、きっと北海道の豊かな自然を愛していたのかもしれません。1988年イサムは大きな遺産を残して異界の世界に旅立っていきました。

 久しぶりにさわやかな映画にしたることができました。

やさしいタイガー