ブログ人 話の広場

日頃の生活のなかで見つけたことなどを写真もそえて

沖縄はどうなる?どうする?

2018-10-01 12:28:54 | 社会・経済

 沖縄県知事選挙は玉城デニーさんが7万票あまりの差を付けて勝利しました。                           まさに相手は鳴り物入りで自民党のトップを初め公明党や維新の会など保守系                              野党も束になり、あげくに創価学会の会員までも動員して投票に重圧をかけて                               臨んだ選挙に勝ったのです。

 デニーさんはい父親がアメリカ人だそうですが、少年時代辛い毎日を送ったよう                            でした。元DJで衆議院9年間の後自由党を辞しての地元チャレンジでした。                            大物ぶる小泉進次郎も役立たずでした。

 つまり沖縄の人はもう本質的に自民党を中心とした保守系の信頼をなくしている                            ことに気がついていないのです。ただただアメリカのご機嫌を損ねないように辺野古に                         基地を建設することだけを求めているのです。その間、沖縄がどうなったって                                                                                                                                                                                                                     かわわないと思っているはずです。 

 こうした姿勢にぴったりくっ付いて離れない厄介な存在が地元の政府よりの                           ちっちゃな政党なのです。自民党にずっと擦り寄って生きていくしか道のない集団です。                                    彼らには利権が掛かっているのですから。

 今回基地の反対・賛成を隠して経済優先に力点をおいたのもそんな思惑がある                      からです。いくら反対しても一地方が政府に勝てる代物ではないのだから、ここは                            まず国から金を存分に取ろうではないかという魂胆がみえます。

 国の政策の賛否で振興資金や補助金の匙加減が変るというのでは理不尽な話です。                          この機会に基地依存型の経済ではなく、一人ひとりの収益が不十分かもしれないが、                           折角観光地として世界のトップクラスにまで上がりつつあるこの美しい沖縄ですから、                           世界の人々の心を和ますオアシスとして存在を高めたいものです。違った視点で                                                                    発展して行く姿をみ続けていきたい。もうこれ以上基地疲れを起こしてはならないのです。

やさしいタイガー


北海道地震に思う

2018-09-15 07:47:29 | 社会・経済

 大きな揺れでした。6日深夜に襲った北海道胆振中部のM7の地震は、                                    北海道には大きな地震はあまり起らない、などと高を括っていた自分の                                     愚かさを打ち砕かれるものでした。新聞の報道はすべて地震で埋め尽く                                       されていたこともあって、朝明けから電話やメールが入っていたようでした。

 といっても一斉停電で通じず、パオコンもだめ。ケイタイも電池切れという                                最悪の状態になってしまい、見舞ってくださった方々にはご心配をかけて                                 しまいました。中にはもしかしてどこかに避難しているのではないか、とさえ                                  想像されていました。

 震源地の厚真町はぼくもよく知っているところで、かつて現役の時にこの                                町にキャンプ場を開き、子どもたちは楽しんだところでもありました。                                     後輩たちが何らかの形で支援してくれているだろうか、と気にに掛かって                                 いるのです。

 それにしても近年多発する台風や地震のために多くの人々が避難を余儀                               なくされていて、その避難場所は大抵近くの学校の体育館が指定されています。                            そしていつも同じ問題を抱えてしまっているのです。寒々として建物、必ずしも                               清潔ではない施設、整っていない設備、そんな冷たい床に見知らぬ人々と                                    隣り合わせの苦しい生活。食べ物やトイレなど一連の生活用品は最低にも                                備えられていないところで雑魚寝を強いられるのです。

 こうした非常事態の環境を整えておくのは自治体の責務だろうと思うのですが、                             全く整えられていない事で、たちまち食料不足、物不足、輸送力に陥ってしまう                              のです。病院との連携もうまくいかない。緊急事態ですから、多くの混乱が                                   生じるのは理解し得てもどこかで過去の教訓を学べないものか、と苛立ちを                             覚えます。

 自治体も懸命に支援活動をしていますが、ここは普段から、もっと専門家の                             意見や助言を基に研究し、最低限の備えを整えることが重要でしょう。                                それこそ体育館の一角を確保して備蓄する環境を作るような積極的な動きが                              ほしいものです。

 非常事態だから我慢しろ、という声もあるかもしれないけれど、何度も経験                              しているのだから、教訓はいっぱいあるはずだと思います。ずっと気になって                               いたことなのです。先日新聞に載っていましたが、建築家の阪茂さんが紙で                                 間仕切りを作り、すこしでもプライバシーを確保しようと普及活動をしているとの                           話です。

 しかし自治体からただの一件の依頼もありません、と話していました。                                  ダンボールでベッドを作る案も出ています。考案し、プライバシーに配慮した                                 清潔なトイレが安くレンタルする会社が生まれているにもかかわらず、                                  なかなか管理側は取り上げようとしないのは、なぜなのでしょうね。

 こんなときこそ、誰かの手を借りないと生きていけない人々に深い配慮と                                  優しさを示すのが、本当の行政の仕事であってほしいとの願いを持ちます。                               亡くなった方々には本当にお気の毒でした。

 もしマイナス10度以下のような凍てつく道、凍えそうな体育館、そんなところへ                          もし今回のような事態になったら、足の悪いぼくは逃げ場を失いかも知れません。                          北海道に住む人々はそのことがいちばん気にになっていることです。

 ”備えよ、常に” この言葉は若いころボーイスカウト運動の隊長になった                              時に教わった言葉です。ちっとも実行で来ていない自分を恥じ入りながら、                              やっぱり避難について考えてしまうのです。

やさしいタイガー


あの事件の意味は

2018-07-07 17:36:42 | 社会・経済

 遂にその日が来た。1995年3月20日、阪神・淡路大震災で混乱が起っている最中、                                   東京を中心に無差別大量殺戮を狙ったオウム真理教一群は地下鉄に有毒化学物質                                   サリンを撒き、27人を殺害した事件の首謀者松本智津夫ら死刑囚13名のうち7名が                                        6日朝死刑が執行された。所轄担当の上川法務大臣は前任期を含めて10人の死刑                                  執行をしたことになる。

 今までもっとも多く執行したのは鳩山邦夫氏の13回、上川氏は3位である。よしあしは                               別にして、今回の裁判は異状のように思えた。通称麻原彰晃は裁判で話すことなく、                                     長い独房生活を送っていたようだ。7人の中には大学で専門技術を見に付けた人物が                                  多く、一般的にはなぜ知力のあるものが大事件を起こすようになったのか、と疑問に                                        思われていた。

 結果的には無慈悲で容赦のない行為を繰り返し、世間を震撼とさせることになった。                                 報道機関はこの事件の経緯と分析を報じていたが、どこかすっきりしない感じをを受けた。

 この事件について、ぼくは二つの解明がなされていないように感じた。一つはなぜ彼らは                                 このような大事件を起こそうとしたのか、を当事者から深く聞き取ってきたか、という点だ。                                  収監中にも時間をかけて収集できなかったのか。そして聞き取るのは誰であればよいのか、                                  も見えない。

 もう一つは高い高等教育を受け、社会でも十分活かせる力をもった若者があの不思議な                              カルト集団に惹かれたのはなぜか、一人ひとりに聞き取ることができなかったのか、という                                  点だ。裁判という最高機関で話したことが十分であるとは思えない。彼らのなした無慈悲な                                言動の深層心理を掴み取ることが出来ないからだ。

 弁護士にしても心理学者や社会学者など、専門家が時間をかけてでも聴取して分析し、                                     社会のあり方を見直し提言する道を示すべきではなかったかと感じる。政治に関わるものも                                       彼らをあのような道に走らせたことで自分たちの社会創り政策に問題点はなかったか、政治                                への教訓は何か、知り得ているのか、全くみえない。

 単に彼らを憎しみだけで罰し、法律を作っても本質的な社会不満や不安を抱かせている間は、                                またいつ発生するかわからないのではないか。いわれなき惨事に遭遇してしまった人々に                                  報いるためにも教訓を探しだし、課題に取り組むことが大事だと思う。                                              

やさしいタイガー

 

 

 

 


大事なマリッジ・センター閉鎖

2018-06-11 17:18:12 | 社会・経済

 1964年から北海道唯一の民間結婚相談組織「北海道マリッジ・カウンセリング・センター」が、                      今年8月で閉館するとの通知をもらった。民間には他にも結婚相談団体はあるよ、と指摘され                        そうだが、確かにあるだろう。そのすべてがビジネスとしての企業組織であり、このような非営利                   団体が結構相談に打ち込む、という団体はここをおいてない。

 その点で北海道唯一といったのである。「北海道マリッジ・カウンセリング・センター」が立ち上                  がったのは60年代半ば、この時代は経済的には上昇気流に乗ってっていて、日本全体が働き                     蟻の巣のような状態だった。

 若い人は大いに希望を持って歩んでいたことだろう。「おれについてこい」 「かぎっ子」さらに                  「三種の神器」と浮かれ気味の言葉が飛び交う時代でもあった。その一方で社会は次第に廃れ、                疲労気味になった。政治も不安定でやがて公害や藩社会行動が世間を揺るがした。

 そんな環境を潜り抜けるように変容する若者の価値観は多様化していくが、いつの世もパー                      トナーを求める思いは変らぬものだ。その手伝いをしようと立ち上がったのがこのセンターで                     あったと想像する。

 このセンターの重要な使命はさらにパートナーに恵まれない農・漁村地帯に手を差し伸べる                   ことも重要事業だった。道内全域にわたり地方自治体とも共有しながらスタッフは巡回し、出会                     いの機会を取り次いできた。後継者のいない農・漁村、さらに高齢化して労働者不足など現代                   社会の中でまるで取り残されるような事態にも果敢に取り組んでいた。

 しかし閉館の文字からは、使命は十分を果たしので閉館するとはとても思得ないもので、むしろ無念さが滲みあふれていた。財政基盤が崩れてしまったのではないかと想像する。まったくの自立的集団であっただけに自治権力とは一線をかしてきた。助成を受けるか否かは母体の価値観によるが、このセンターは受けなかったらしい。

 総じて日本のこうした組織は周辺に実力者らしき人物や社会的に高位置にある人物を配置してイメージアップを計る傾向にあるが、実際に組織を支え、助言を与え、牽引する力を発揮して物心両面に支える人材ではない。

 現場の人々は日夜の働きに腐心しながらも成果が出ないことに悩み、苦しみ、最後は組織の返上ということになってしまう。それにもう一つ、社会が緩急混ぜて変化していくが、その波に載れずに古色なままイノベーションが不完全ということもある。このような良心的集団が無念の落涙の下で終焉していくのはその地方の文化の程度が計られる。ぼくは献身的なスタッフの方々を知るだけに自らも悔しさを残すのである。

やさしいタイガー