ブログ人 話の広場

日頃の生活のなかで見つけたことなどを写真もそえて

友人の思いがけないプレゼント

2012-12-30 15:18:17 | 日記・エッセイ・コラム

 ぼくは今までいろんな人に支えられて生きてきたように思っています。50年も前、長い闘病生活に入ったとき、勤務先の生徒らが、何回も見舞いに来てくれました。みんな制服を着て、電車やバスに乗り換えて来てくれ、楽しい会話をして僕を楽しませてくれました。

 そして50年たった今、いろんなところで、いろんな方との出会いがあり、人との関係を深めることができました。またそんな人の中から、頼りない僕を支えてくださった方が間違いなくいるのです。

 今年のクリスマスに知り合いの友人から、思いがけずでっかいプレゼントをいただいたのです。それは最新のパソコンです。まるでテレビの画面のようなディスプレーが迎えてくれているようです。こんな素敵なプレゼントをいただいてよいのか、と身分不相応とは重々知りながらもあえて、いただくことにしました。

 いつまでたっても初心者の域を出ない僕のことですから、これからどうハンドルするか、テキストを信じて悪戦苦闘をしております。本格的にいつ完成するかわかりませんが、いけるところまで取り組んでいきたいと思っています。

 今使っているノートパソコンは、時々ご機嫌が斜めになり、僕を困らせています。幸いブログを出せるというのは、ご機嫌がよくなったからですが、またいつ起こるかわかりません。

 いつもこのブログをお訪ねくださる方が、長く出さないとご心配をいただくので、今の間にと思い、一筆啓上といたしました。今年一年のご厚情に感謝し、来年もどちら様におかれましてもご多幸でありますよう祈っております。

やさしいタイガー


「はだしのゲン」の作者の訃報

2012-12-26 10:54:09 | 日記・エッセイ・コラム

 広島で原爆に被爆した「はだしのゲン」の著者中沢啓治さんがなくなられたとの報を知りました。660万部とも1000万部ともいわれるベストセラーのこの漫画が幅広く読まれたことのすごさを今も思っています。

 中沢さんは、広島に投下された原爆の被害により、父と姉、そして生まれたばかりの妹をなくし、自らも被爆されたのでした。作品の底流にあるものは何かこれでよくわかります。また漫画であることが読者に親しみを抱かせ、さらに平和を考えるやさしい糸口にされた作品のようです。

 「はだしのゲン」は1973年、週間少年ジャンプに連載された、貴重な体験をベースに自らの人生や思いをつづられていて、当時爆発的に読者に広がっていった作品でした。

 今月19日に亡くなられましたが、「はだしのゲン わたしの遺言」(朝日学生新聞社)が出版されたばかりの訃報でした。

 一生忘れられない体験は、多くの被爆された方々の心に納められていることが多いようです。中沢さんもそうだったそうです。けれども被爆した母が亡くなられたとき、改めて社会への怒りに立ち上がって「黒い雨にうたれ」を68年に発表されています。

 中沢さんは、体験を通して命への畏敬の念を持たなくなった人が社会の中枢を握っている世界の現状を憂いと怒りに充ちて鉄槌を振りたいほどの思いではなかったかと察します。

 ぼくはあまり漫画を読まない部類の一人ですが、この本だけは読みました。軍備拡張がいかに罪深い行為であるか、どの国の中枢の人たちは自らに問いながら取り組んでもらいたいものです。

 名もなき人、戦場に赴く立場にある人、またそんな窮地に送り出す家族のことを覚え、政治の中核者は、そのときどこに立っているのか、常に問うことを忘れないでもらいたい。

 この漫画を読んで、私たちは決して誤ったサインを送らせない厳しい監視が必要な時代にあるということを知っておくべきだと気づきました。

 それが中沢さんへの鎮魂かと思います。

やさしいタイガー


クリスマスと誕生日

2012-12-25 13:01:41 | 日記・エッセイ・コラム

 今日は12月25日、世界中のほとんどがキリストの生誕を祝い、子供はサンタクロースからのプレゼントを待ちわびていたはずです。

 ぼくはこの日、誕生しました。遠くにいる友人が電話で祝ってくれたとき、ぼくが「だからキリストみたいな顔をしているんだよ」と冗談を言うと、彼も負けてはおらず「そんなアホな・・・」と言い返してきていました。

 こんな冗談の通じる仲間の一人なんです。楽しい会話をしました。朝からラジオを聴いていると、まだクリスマス・ソングが流れています。新しいバージョンのものもあれば、昔から歌われていた曲も流れていて、そんな気分にさせてくれます。

 子供のころ、別にクリスチャンでもない家庭に育った家族や父の友人たちが、我が家に来て、クリスマスのお祝いと、ぼくの誕生日もかねてたくさんのケーキのプレゼントをいただいたことを懐かしく思い出します。

 けれどもそれ以後、あまりケーキをいただかなくなりました。高齢者になったいま、健康上の理由もあってか、さらにケーキを口にすることを遠慮しがちです。

 ぼくは20歳のときにキリスト教に目覚め、洗礼を受けました。以後毎年この時期になると教会の礼拝に出て、キリストの生誕のお祝いに預かってきました。

 町や放送から流れるクリスマス賛美歌と教会で歌う賛美歌と、また感慨が違います。とりわけ賛美歌を作られる創作者の思いを知ると、さらに深く味わうことができます。

 ”きよしこの夜”は1818年オーストリアのヨゼフ・モールが作詞し、フランツ・グルーバーが作曲したという記録が残っていて、今もこの国の郊外にある静かな町に教会があり、礼拝がもたれているということも知りました。

 今、歌われている日本語訳は、1909年に東京東中野教会の牧師をしていた由木 康という方によって披露されました。多少、教会で歌う賛美歌と街で歌われるのと、歌詞が違っていますが、とにかく誰であれ、誕生日を迎えるということはうれしいことですし、静かな中にも大いに楽しみたいものです。

 残り少ない時間、よいクリスマスを!

やさしいタイガー 


新しいことへの期待と失望

2012-12-23 15:01:38 | 日記・エッセイ・コラム

 政権が変わることが決まっているようだが、今までの民主党への期待が大きかっただけに、旨く果たせないことへの失望感は大きいようです。なかなか失望を期待に戻すには、並大抵でないことを痛いほどしったことでしょう。どの世界でも同じなのですから。

 企業でも何でもそうですが、始める前に方針や計画を立てるのは常識、しかも計画は思い通り行かないこともまた当たり前。けれども痛いことを丁寧に検証することが大事なのです。そして計画を遂行するスタッフの見識や能力が問題です。そういう点では民主党は自学が足りなかったということです。

 さて、今度の政権はどうでしょうか。少し前政権への反発も含んでいるのか、幾つかの発言を聞いていると、勇み足的な発言が多く、ぼくには挑戦的としか見えないきわどさが目に付きます。

 政権をとったからといって、私たちを誤った方向に導くことを断じて赦すことはできません。毎週金曜日に行われている原発廃止デモは、それ自体が政治の世界に届かないむなしさを感じますが、だからといって無視していくような政治を行えば、しっぺ返しが起こります。

 総じて政治の関係者は、こうした行為を嫌っています。けれども私たちはどうしたら自分の意思を表現できるのか、悔しさと苛立ちと腹立たしさを憶えます。

 新しい政権が、今の状態なら大きな期待を寄せることができませんし、危険を感じてしまいがちです。日本は決して大国ではありません。今までのような経済中心社会を私たちはもう望んでいないのです。

 今年もまもなく暮れようとしています。この一年は、ぼくの言葉で言えば、「乱」ということになるような気がしています。これほど荒れた年もないと思われるほどの一年でした。もちろんよいことや素晴らしいことがたくさんあったことも忘れられません。

 とにかくこれからの政治に大きな期待を寄せたくなりますが、あまり期待しないほうが、その分失望が小さくなるのではないでしょうか。

 民主党には、それなりに社会に貢献してきた実績があるとは思いますが、もっとさわやかな政党に生まれ変わってほしいと願っています。人にまつわることにいつまでも争っているようでは、先がないことを重々心しておくべきでしょう、

やさしいタイガー 


気になる電動車椅子の事故

2012-12-22 18:40:44 | 日記・エッセイ・コラム

 交通事故は、私たちが想像している以上に広がっているようです。ぼくは足の大怪我により、今までの世の中の見方が変化しました。

 歩行者に細心の注意を払わなない無防な自転車利用者、さらに自動車の不注意による事故など、歩行者の大敵が日常的に襲っているのです。

 けれどももっと厳しい事故に遭遇している人の中に、電動車いすを利用する人々だということに気づきませんでした。今、死亡事故が急増しているとの話を聞き、なんと痛ましいことなおか思い知らされました。

 ちょっとした気遣いで事故は少なくなるのに、不届きな自転車利用者が道路に敷かれた点字板の上に駐輪したために、旨く走れず転倒することもあるということでした。

 また自動車運転者の安全確認もしないために車に引っ掛けられたりして死亡にいたる事故も絶えないそうです。

 事故が多発する重要な原因に道路が「かまぼこ型」に舗装されていることも一つらしいのです。フラットな道がよいのは決まっていますが、どこを走ってもまともなところは町の中心地のごくわずかなところだけです。ましてや一本中通に入ると、ガタガタです。私も今、いやというほど体験しています。危険極まりないのです。

 家の中のバリアフリーは進んでいるようですが、一歩外に出ると、バリアフリーなどないのは近代都市を標榜することに恥ずかしくさえ思います。

 そういえは、今札幌は例年になく大雪で、除雪が間に合わないのか、道路の一本を占有して渦高く積み上げられています。四つ角などは前方、両サイドの確認が取れないほどです。

 これは決して愚痴ではないのです。深刻な社会問題だということを管理する役目の人に訴えたい思いです。まさに野ざらしの状態です。

 人の協力はもちろん必要なことは言うまでもありませんが、それ以上にインフラ整備が遅れています。トンネル事故もそのひとつです。日ごろから管理し、注意を怠っているから大事故も起こりやすいのです。予算がないと一蹴する姿勢はいつの世も同じかもしれませんが、どこか視点が違っていると感じてしまいます。人を大事にする姿勢が乏しいからではないでしょうか。

 そもそも電動車椅子は「歩行者扱い」だそうです。自転車は車と同様の扱いとなりました。だからといって車道に沿ってとても走れません。危険極まりないのです。

 このように締め付けることばかり先に条例化や法制化して、肝心のインフラ整備の遅れや歩行者専用の信号の早さにとまどっている障がい者や高齢者の苦悩をどこまで心しているのか全く見えてきません。

 もちろん、こうした問題の解決は、明日にもできるとは思いませんが、条例や報の見直しや、研究を迅速に進めるべきです。過去検討してきた関係者の知恵は、弱い立場の人のことを考慮してこなかったとしか思えてなりません。

 このような問題を解決するのが、地方を含めた議員といわれる人の役割です。名前の連呼や、泣き落としで当選できると思うのは誤った意識の持ち主です。

 管理者の多くは、どうしても弱者の立場に立てないのか、と眺めてしまいます。この機会に私たちももっともっと優しさを身につける努力をしなければいけないのでしょうね。

やさしいタイガー