ブログ人 話の広場

日頃の生活のなかで見つけたことなどを写真もそえて

気になる「ちょうちん行列」

2006-09-14 09:09:03 | ブログ

 秋篠宮家に悠仁さまが誕生した。ご長男ということで、大喜びの人、複雑な思いをする人と国民もひとしきり話題にしていることだろう。9月13日の新聞には旭川でちょうちん行列が行われた記事と写真が掲載されていた。誰かが招集をかけたのだろう。いろんな人がいろんな方法で心から喜ぶのはいいことで、毎日暗いニュースの中で久し振りに国民的祝賀の雰囲気が漂った。しかしぼくにはちょっと気になっていた。

 まだ小学生の低学年のころ、徴兵のために戦場に赴く人を近所の人と一緒に見送るためにちょうちんを持って歩いた記憶がよみがえってきた。70歳を越した人なら、一度や二度そんな行列にかり出された経験をお持ちだろう。顔は笑っていても心の中では今生の別れを覚悟して深い悲しみとともに見送る親たち、暗い夜ぼんやりした明かりのちょうちんが一層先の不安を掻き立てるような思いで歩いた人も居ただろう。勇ましい軍歌を歌いながら、人はどんどん消えて行ったあの時代を思い出してしまう。

 折角のおめでたいことに水をさすような気はないが、あのころ、勝ってもいないのに「勝った」といってはちょうちん行列に集められ、暗い夜道を歩いたことは今でも心に焼き付いている。まさか日本が再びそんな道に行くとは思っていないが、このような本当におめでたいときには、それぞれが静かに心の中でおめでとうございます、と普通の家庭のように祝福をする方が、今の日本人にはあっているように思う。複雑そうな皇室のニュースをうわさのように耳にするとき、ちょうちん行列の残した想い出はぼくには決して明るい想い出とはなっていない。

                                                       やさしいタイガー


怖いあんちゃん

2006-09-12 19:27:08 | ブログ

 この人はいつも何か自分に降りかかってきたら、「バカ野郎!何しとるんじゃ!」とどこの言葉かわからないが、怒鳴り散らすタイプの人間なのだろうか。 悪い人の袖に触れたものだ。みるからに怖いアンちゃんふうな歩き方、顔の表情、初めからもうすでに切れたまま人生を送っている人かもしれない。 実は道路で自転車に乗っているぼくがその男を横切ろうとして、ほんの少し洋服に触れた程度だったのだが、思わず急ブレーキをかけたぼくの方が転倒してしまった。  いきなり怒鳴られた。 「そりゃ、ぶつかったあんたがわるいわ」といわれること覚悟で白状しているのだが、身体にもろにぶつかったのではない。きっとびっくりしたのだろう。それにしても「どっちむとるんじゃ!この馬鹿が」とののしられてひたすら「すみません」で済ませて、すぐに退散した。

 通り過ぎて信号待ちして道を曲がりきったとき、いきなり「自転車なんか乗るな、このバカ野郎が!」と大声でまた怒鳴られた。ぼくは一瞬”エッ、まだこんなところを歩いていたのか、気が付かなかった”と心で思いながら、止まらずに手を挙げてわびた。ことは済んだが、なんだか後味の悪い気分になった。”大丈夫ですか”と心配してよってきて助けてくれるやさしい人も多いと思うが、こんなことですぐ切れるような人間がむしろ多くなってきているのかもしれない。

 何かいらいらして落ち着かず、ちょっとしたことで心の内側をむき出しにする大人の言動が、結局子どもにも影響を与える今の日本人、何か日本人って本当に心の優しい民族なのか、気短な民族なのか、戸惑う。こんなときに「やさしさのある国づくり」などとどこかの総理候補者がいっても、なんだが空しい思いにさせられる。 もっとも自分の不注意を棚に上げての不快さであることを承知の上なのだが。とにかく怖いアンちゃんが多いように思う。 それでも乗るぞ、自転車には。70歳の反骨が赦さない。そうだ。ぼくも案外気が短いのかな。

                                                       やさしいタイガー


再会の喜び

2006-09-11 09:56:36 | ブログ

 数年ぶりくらいになるだろうか。突然日曜日の夕刻に「札幌に来たので時間が取れないか」との東京の大先輩からの電話にびっくりして、先約があったが、それを取りやめて夕食をともにしながら、3時間も話し込んだ。ぼくより7,8歳先輩だが、YMCAでバリバリに働いていたころに輝いて見えた東京の指導者の一人だけに、話す内容はいろんな先輩や著名な人の動きなど、盛りたくさんであった。

 年も年だけに話題が、どうしても体調不良や逝去した人、療養中の人などの話題が多いのは致し方ない。しかし、その時代を輝かしく生きた人々の軌跡は、単に職場として働いた同時代の人にとどまらず、会ってもいない人からでさえ、たとえ幾年を経ても、自分の心に生きていることを実感する。多分陰に陽にその人たちから受けた厳しさや優しさ、幅の広い人間関係によって培われた思想、人間観、共生の思いを教わったからだろうと思う。孤独になった人、弱った人、逝った人をいつまでも忘れず、その家族、世話になった外国人のことでさえ、慰め、励まし、しのぶ集いをし、それは過去と今とつなぎつつ、生死を越えて絆をきらずにつなぎとめる行為に人間の美しさをしる。感動の想いで伺っていた。

 自分もそうありたいと思う。離れてしまうともう人間関係が瞬時に消え、それまでが表面的な関係でしかつながっていなかったのだろうと思う。心の中に生きて残っていないことへの薄っぺらな人間関係を思うと、この日の再会は第一線を離れても互に睦みあう麗しい関係を続ける先輩の話に、ぼくもその輪の中に加わることの大事さを教えられ、疎遠になってしまったことを少し反省した。老いを感じつつあるだけに、郷愁はまた新しい活力につながると思うが、いかがなものだろうか。

                                                              やさしいタイガー


また[怪しげな知事」の発言

2006-09-01 08:30:57 | ブログ

 2016年のオリンピック開催誘致を東京を候補地にすることが決まった。1964年戦後復興著しい日本が世界にその発展振りを知らしめる絶好の機会でもあり、国内は華々しい姿を世界に発信した。ぼくは闘病中の病院のベッドの中で聴いて興奮した一人だった。確かにもう遠い話になった。 さて、あれから60年近くも経つことになる。もし東京になればだ。ところが相変わらず誘致をめぐって知事が先頭に立って相手を攻撃したり、揶揄したりして行政機関の醜い体質はいつまで経っても改まらない。

 東京知事の石原氏は福岡を応援したという姜尚中・東京大学教授に反発し、「怪しげな外国人」と批判した記事を新聞で見た。  姜尚中教授が「金持ちの、金持ちによる、金持ちのためのオリンピックで、世界に勝てますか」と批判をしたことに対して石原氏はややとぼけた侮蔑的発言をした後、パーティの席でも「怪しげな外国人が出てきてね。生意気だ、あいつは」と述べたそうだ。同教授は在日韓国2世で今の日本に対して重要な発言をし続けている学者だ。

 潜在的に中国や韓国を異質視する石原氏は、しばしば意識的と思わせるほど挑戦的で傍若無人な発言を続けている。悲しいことだ。はっきり物を言う知事として煽る感すらしていないだろうか。 国際社会はオリンピックを東京で開くことを歓迎しているかどうかはわからないが、姜尚中氏の発言の意味は、今、日本が国際社会でどう見られているかを占う意味を含んでいるように思う。 日本の国の体制が少しずつずれ始めている今だからこそ、決して小さな片隅の発言にしてはならないのではあるまいか。                                        やさしいタイガー