ブログ人 話の広場

日頃の生活のなかで見つけたことなどを写真もそえて

空は青空こころは

2011-02-28 09:00:32 | 日記・エッセイ・コラム

 今朝はこれほどの快晴の日があったかなと思わせるほどの素晴らしい空。さぞ外の空気は春の近いことを教えてくれているのかもしれません。昨日の日曜日は積もるほどの雪に見舞われましたが、一通りの予定をこなした後、そのちらつく雪の中を散歩に出掛けました。

 図書館の前を通過しながらのんびりと走る路面電車を横目に住宅街に入って静かな環境の中を1時間足らず歩きました。途中でレストランに入ってコーヒーをいただき、もって行った作成中の資料を点検してみました。なんとなく家とは違う雰囲気。

 改めて印刷物として読んでみると、随分添削の必要な表現が見つかり、結構手を加えました。家に帰ってパソコンに向かって打ち直し一安心。文章の作成作業というのは、パソコン上でうまく打てたとしても、一息おいて書類にして読み直してみると、修正することが多いといつも自分の非力を嘆いています。

 ちょっと手を抜くと筋の通らない文章になっていたり、誤字が思わぬところで見つかったりします。こうして出来上がった文章を完成させて一息入れました。とくに放送に関するシナリオはその時の天候などとも関係して、先に文章を完成させておくことが出来ません。慎重に点検して2,3週分を仮作成しておくと精神的にも落ち着きます。

 ことさら何か特別のことをしたというわけではないのでが、充足感はあります。昨日は雪が横殴りに降っていましたが、今日の陽の輝きで穏やかな一日になるのではないでしょうか。今日は放送の日、若者の問題を少し取り上げてみようと準備を済ませました。

やさしいタイガー


詩情を感じさせるメール

2011-02-27 09:38:32 | 日記・エッセイ・コラム

 多くの場合、いただくメールは文章中心で背景はほとんどないのが通常です。当たり前のことなのですが、たまに思いがけず、美しい背景にまるで詩を書いているようなメールをいただくことがあります。その方のメールはつねに読む相手のことを想像しながら、品性豊かに書いておられるのでしょう。季節を感じさせるものなど工夫もあるでしょう。きっと。ときどきいただくといつも背景表現に合った言葉の並べ方です。

 普通の文章ですが、配列や言葉の種類の選択が、読んでいて詩を味わっているような感じさえ抱きます。読んでいて心穏やかになります。ぼくは詩が好きなので、いろんな詩を楽しみますが、詩は目で読むのではなく、心で読むものだと思っていますから、ついそんな気持ちにさせてくださるようなメールです。きっと感性が磨かれていくのでしょうね。

 メール一つとっても、心豊かにしてくれる内容と、調味の効いていないものもあります。メールはコミュニケーションの重要な手段です。相手に喜んでもらえるような内容と表現がとても重要だと思っているのです。つい分析的になっていけませんね。

 こうして毎日あてどのない便りを出しているようなぼくのメールは、それでもいろんな方の目に触れているのかもしれません。慎重に誤字脱字に気をつけて、と言い聞かせつつも後で読んでみると、軽率な部分が多くて失礼をしていますが、ぼくのこころの日誌みたいなものと思って斜めにお読みいただくだけで満足です。

 後何回書けるのかなあと想像しながら、元気に過ごしている証としてつづっていこうと思っています。今日はうっとおしい日曜日ですが、少し歩いてこようかなと思っています。

やさしいタイガー


絵描きとおしゃべり

2011-02-26 09:01:21 | 日記・エッセイ・コラム

 昨日は一転して寒さが身にこたえたが、今朝も積もる雪に暗い土曜日です。自然のなせる業だとはいえ、やる気をそがれます。昨日は水彩画を描く午後の時間でした。仲間たちは絵を描き終えて1時間ほど余裕を残して「おしゃべりタイム」を楽しみました。いつしかそんな声が上がって自由に話し込みました。新設し、

 昨今の「孤族」だとか「無縁社会」だとか、世相は暗い表現で表されています。この日は「人間に好き嫌いはあるか」と軽い題で話が進みました。たいていの人は「ある」ということでしたが、中にはそれを我慢したために、こころに傷を病み、体力への変化もあったと話す人もいました。

 自分が相手から好感をもたれていないと感じるのは、相手の表情ですぐにわかるものです。顔が一人ひとり違うように、好きや嫌いの感情を抱くのは仕方のないことでしょう。幼少期からその片鱗が現れてくるのです。中にはカウンセラーのお世話になるほどの重傷者もいるとの話もありました。

 こういうことは日常的にも起こりやすいのですが、一番不快なことは大相手に「無視」されたような態度をとられることではないでしょうか。何か自分に問題があったのか、と自問しやすくなり、そのためにこころに重くのしかかってきます。相手が自分を見ている視点は自分が相手を見ている視点と違っている時に好きと嫌いの感情を萌芽していくのです。

 あるいはちょっとした言葉の行き違いなどもその要因になります。解決は自分から何事も進んで行動することしかないのです。嫌いなタイプの人と出会ってもいつも笑顔で迎え入れていこうという度量の大きさを醸成することではないかと思うのです。人と出会うことは人間を寂しくしない重要な要素です。

 この水彩画の仲間は絵を描くことで集まっているのですが、よりもっと人間的なふれあいを求めたいという自然の姿を共有できたことによって集団がより素晴らしく成長しつつあると思うのです。大事に大事に育んでいきたいものですね。楽しい語らいでした。

やさしいタイガー


愉快な仲間たち

2011-02-25 10:10:16 | 日記・エッセイ・コラム

 2ヶ月に一度の集会に1回休むと4ヶ月ぶりにあうことになります。「新年おめでとうございます。今年もよろしく」とやや賞味期限の過ぎた型どおりの挨拶をお互いに交わしながら、久しぶりに再会しました。話題は新年放談ということですから、特筆事項はないのですが、会員のかたがたが持ち場の仕事や活動をお元気にこなしておられる姿を知って大いに活力をもらいました。

 やっぱり今の政治の体たらくには怒りを超えてあきれ返っているといった意見が多かったのですが、そうは言っても民主主義の国、4月の選挙には投票に行きましょうと、さすがに国や地方を愛する人たちの仲間たちです。

 みんないい年をしています?から話題に事欠かないのは当然ですが、互いに壮健に過ごしている姿にふれるだけで、出会いの愉快さを知りますね。本当にいいメンバーが集まったものだと思います。

 そろそろ自分の人生を振り返るときでもありますが、あんまり過去にこだわっていては前を向いた時に躓きます。過去は密かに自分の栄光として大事に誇りに思いつつ、これからの道作りをしなければなりませんね。ぼくもこの会がどんなかたちで歩んでいくのか、わかりませんが、たとえ2ヶ月に一度であっても会う喜びは、それだけに大きいものがあります。欠席の方も丁寧に連絡を下さるのですから、気にしてくださっている証拠です。それも感謝の一つです。

 今度は春爛漫の4月に出会うことにしました。

やさしいタイガー


命の尊厳と悲しみ

2011-02-24 08:57:09 | 日記・エッセイ・コラム

 人は突然、思いがけない災難に遭遇し、希望のある生涯を閉じることを知ってはいても、まさか自分がその中にいるとは考えもしなかったことでしょう。昨日まで元気な姿が今日はどうなっているかわからないという異変は、信じられないことに違いありません。

 今回のニュージーランドの大震災は、1995年の阪神・淡路大震災を思い起こさせます。ただただ一刻も早く救済されることを祈るしかありませんが、容赦なく命を奪ってしまう無慈悲なそして尊厳に対抗する人間の非力もまた身に染みてきます。

 ご家族の願いや祈りが届くことをひたすら願うばかりです。災害に備えるという訓練がいたるところで行われていますが、恐らく実態は想像の域を超えているのではないでしょうか。

 チリの落盤事故と全員の救済を初めとして、ニュージーランドには日本を始め、世界からの支援グループが懸命に救援活動をしています。まさにこうした支援の仲間たちによって少しでも悲惨から解放してもらいたいと祈るばかりです。

 近年地球全体が異変を起しているのか、山岳の噴火や地震、大洪水や旱魃によって多くの命を奪い、家族の幸せを取り去っていくという事態に大きな不安を抱きます。さらに中東の諸国の荒れ模様は国際社会にも多大の影響を与えつつあります。

 国民のいのちをないがしろにして自分の私益だけを護ろうとする権力欲の亡者たちの姿は最後のあがきのようにさえ見えます。思いがけない事故の中で生きるために闘っている人びとの思いを自分の痛みとして受け止めて、生きることの意味を考えることが今出来ることでしょうか。

やさしいタイガー