ブログ人 話の広場

日頃の生活のなかで見つけたことなどを写真もそえて

人の好き嫌いによる人間の器

2010-11-27 10:01:23 | 日記・エッセイ・コラム

 近年ネット産業が盛んになってきてからだろうか、若手の経営者が多くなって経済界に少なからず貢献しているように思います。だいたい、この種の産業は大手より、個人経営的な企業が多いようです。何もかもすべて自分の決済力で動いているケースが多いようです。

 そういうタイプの人の中には即決力はあっても時がたつとすぐに以前の決定を覆してしまうのも気にならないタイプです。従って周囲の意見や進言にあまり耳を傾けるといった熟考型ではないようです。それゆえに、相手の好き嫌いが目立ち、自己中心型になる傾向にあります。

 自分の意見や志向していることが正しいと信じ込むのは悪くはないのでしょうが、能力をどんどん発揮できる社員は、そうした独善的なタイプについて行くことができず、仲間から去っていきやすいのです。やがて自分で行く道を選ぶのでしょう。もちろんそれで成功する人や失敗する人がいるのは当然ですが。 

 こういうタイプの経営者は自分の企業以外の集団や組織においても、身についた一つの価値観の押しつけが目立ち、周囲との調和がとれなくなっていきます。チームワークを乱すというのはそういう環境の中に生まれやすいのです。

 自分を時と場に応じて柔軟に対応できない人は、多くの場合仲間を尊敬し、謙虚な姿勢で他者の意見を傾聴し、相手を受容することができないタイプに多いのです。企業の集団は我慢という一言で受け入れていくのですが、利害の伴わない集団は自己犠牲や受容の姿勢がないと成り立ちません。

 人を好きか嫌いか、を何かの理由や基準で判断して心を閉ざしてしまったら、もう人間関係の糸は切れていくばかりです。周囲の人に迷惑をかけていることに気づかず、戸惑いを与えるような人には、もはや誰も友としての存在から外してしまいます。冷静な人はこの人はもう聴く耳を持っていないと判断され、人間の器を決めてしまいます。

 ぼくも時々、この人は僕に対して無関心か、好き嫌いの感情を読もうとすることがあります。それは仕方のないことでしょう。あまり親しいと感じてくれない人と接することは、親しい人に比べると、重たいストレスを感じ、気分が優れなくなることもありますが、そんなとき、ただ静かに自らを振り返るというかなり無理な姿勢でいる自分を見ます。人間というのはとても複雑にできていています。嫌いだけど、好きなような態度を見せる人、本当に嫌いなのか、まったく無視した態度の人も出会います。

 そんな自分を哀れに思うこともありますが、これもまた人生の中の一こまなのでしょうね。人を嫌いになることは簡単でも、好きになるということはとても難しいことですね。

やさしいタイガー