先日外出した時、札幌駅を通り抜けようとした。そこで思わず素晴らしいシーンに出会った。 一人の女性が何か懸命に手話をしているのだ。だが向かいには誰も人はいないのだ。一瞬何をしているのか、と不思議に思ったが、横を通ってわかったのだ。この方は手にスマホを持ち、そこに映されている相手と会話をしているのだ。多分動画であろう。
僕は心の中で拍手をしたい思いになった。 昨今スマホを操作する人の中でマナーに欠けるとひんしゅくを買う人が増えているらしいが、このような女性にとってスマホは遠くの人と会話を楽しみ、視野を広げ、交友関係を豊かにしていく手段になっているのである。
ガラケーの僕は持ってはいても十分使いきれないが、使いようによっては大きな情報のリソースであることは間違いない。近年の情報機器の進化によってコミュニケーションは豊かになったことは確かだ。一方では人と向き合うことが少なくなったという批判もある。
確かに面と向き合って話すほうが、笑いがあり、会話も弾み、時間を忘れることも多い。今では二人でカフェに入っても向き合いながら沈黙し、ひたすらスマホを見続けている人は多い。今やそうした光景を不思議ではない。
フェイズブックを開くと、多くの人が立ち寄ったレストランやカフェで出される料理やコーヒーを活写し、すぐに発信して楽しんでいる人が多い。これはまるで店を紹介しているような感じがする。だからだろうか。長居しても店員は仕方ないと受け止めているらしい。
世の中、持ちつ持たれつなのだが、先に紹介した手話で会話をする女性の姿をみていると、スマホの登場は悪くはないと思った。だがバスや電車の中で隣の人が夢中になってみているので何かとこっそり覗くと、なんだかわけのわからないゲームをしているのだ。たいていこういう人は周囲への気配りができない人だ。
いい年をして、と思うのは年寄りの冷や水かもしれない。退屈しのぎには良いのだろうが、何とかと何とかは使いようだと古人は言った。うん、その通りだ。でも有効にしている人が、大いに役立っていることをしると、スマホよ、ありがとうと言いたい思いがする。
ちょっと目を開かされたシーンに寄せて。
やさしいタイガー