ブログ人 話の広場

日頃の生活のなかで見つけたことなどを写真もそえて

クリスマスから新年に

2006-12-29 18:42:43 | ブログ

 つい昨日までクリスマス音楽が流れていたと思えば、もう年末。ご家庭によってはクリスマスから新年の準備へとチェンジをしてあわただしい日々を送っておられるかもしれません。近年の日本でもクリスマスカードのやり取りは心和ませるものがあり、ぼくの家にも多くのカードが届き、玄関や棚に飾ってその方の真心を大切にし、頂くプレゼントをクリスマスに開ける楽しみを取っていたのでした。

 今日はもう29日クリスマスの飾りを片付けて、今度はお正月気分を家庭に漂わせようと小さな伝統の飾りを玄関先につったりしています。これは古い日本の伝統に倣ってのことなのですが、不思議なもので、元旦になると、それらしい気分になって新しい年が幸せに満ちたスタートとなりますようにと祈る思いになるのは、人間誰しも持つ信仰心からでしょうか。それとも習俗の受け止めでしょうか。

 ぼくは今、道立近代美術館で開かれている「浮世絵に見る<いき>高橋博信の眼」と題する浮世絵の美術解説をしているのですが、その中にお正月を描いた作品もあります。江戸の町民たちのお正月はカルタや花札など楽しんだからでしょうか。なかなかの知識や教養もあり、寺子屋で勉強した成果は結構高くその当時でもう識字率は世界一。80%の人は字が読め、理解できたとあります。

 現代人はお正月といえば、テレビゲームに鑑賞でしょうか。美術館お正月の過ごすプログラムにく見れてみてはいかがでしょうか。4日からです。のんびりすごすのも日ごろの疲れを癒すためにもいいかもしれませんね。

 ではよいお年をお迎えください。

 やさしいタイガー


ブログの面白み

2006-12-09 20:56:43 | ブログ

 ブログやホームページを創めてもう2年くらいになるだろうか。つたない思いつきのような内容なんだが、読んでくださる方が4500人以上にもなった。ご覧くださる方にとっては、偶然にもふと開いて読んでみた、という程度の読み方かもしれないが、それにしても読んでいただいてうれしい限りだが、それに対する反応というのはあまりない。

 よくブログなど掲示板にいっぱい書いてコミュニケーションを高めている人も多いと聞くが、確かに反応が多すぎても困るだろうが、何もないというのもちょっとさびしい。ぼくは友人に、なぜ書いているの?と聞かれたことがあった。ぼくは、読んでほしいから書いているというよりも、自分の心の趣くまま書く程度だ、というとそれはおかしい、読んでほしいと思いながら書かないと意味がないのじゃないか?と反論されてしまった。多分ぼくの心の中にもそんな思いがないとはいわないが、いまだに引っかかりながら書いている。

 時々読み直してみて、こんなことがあったなあと思い出しながら、振り返ることが楽しい。そんな気持ちでこのブログを思いつくまま書き残している。書くことが楽しいから書いているのだ。ぼくのような年になると頭の体操だと思って記していきたい。少しまじめすぎるのかな。

やさしいタイガー


雪の重みに耐えかねて

2006-12-08 16:59:02 | ブログ

 夜、寝静まっているときに外はしんしんと雪が間断なく降り続き、朝いつもより明るい感じがすると思ったら、外はまったく隙間がないほどの白銀の世界で覆われる。こんなことを繰り返しながら、次第に慣れていく北国の冬の生活。それでも気は許せない。ふと気が緩んだときに激しく転んでお尻くらいならまだましなほうで、手を突いたり仰向けに転倒しようものなら、救急車のお世話になりかねない。この程度の雪なら役所も動かない。

 ぼくの家の部屋の窓から見える数本の電線は積もった雪で重そうに垂れ下がっている。その雪が落ちるときは周囲の雪を誘うようにばさばさと落ちてくる。夜なども静かな公園の中を歩いていると、急にどさっとしじまを破るように落ちる雪の音で一瞬ドキッとする。それでも木もまた一冬我慢して雪と格闘して時を刻み、春を待っているのだろう。

 先日関東の友人から、ようやくこちらも冬らしくなりました、とメールで知らせてくれた。日本人は何処にいても季節への関心がとりわけ深い。それはたぶん日本人の持つ四季の移り変わりの節目に幸せの待望心が湧いてくるからだろうか。そんな想いで春を待ちたいものだ。今ぼくのCDから高木綾子の「愛のプレリュード」のフルートが流れている。外はもう真っ暗だ。

やさしいタイガー


雪の花咲く師走に想う

2006-12-03 17:11:30 | ブログ

 とうとう本格的な雪が町にまでやってきた。一夜で木々は花咲爺ならぬ小さな小枝にまで雪で包まれた冬景色に変わってしまった。雪国はこれがあるから美しいという人もおれば、恐ろしいとも思う。浮世絵に歌川国貞が描いた「四季の内 冬」という作品がある。しんしんと降る雪の夜、頭巾をかぶった妖艶な女性が夜の仕事に出かけるのであろうか、一人歩いている。素足の下駄が深雪にめり込んで濡れる姿はなんとも美しいが痛々しい。横で野良犬が盛んに吠えている。その泣き声は静かな江戸の町に響き渡っていたことだろう。1800年代中期の作品である。

 雪の白さは時には私たちに純真な品のよさを感じさせる。鑑賞するにはロマンティックでファンタジックである。しかし、音もなく降り積もる雪の夜は、また寂しい。さまざまな過去が横切って行く。どこか哀感を誘うように思うのはぼくだけだろうか。かつて雪国育ちの知人がぼくが温暖の地から雪の多いところに転勤するとに、ふとこんなことを話してくれたことを思い出す。

 11月ごろになって今にも雪が降ると思われる厚い雲をみていると、なんともいえない物悲しさを感じるものですよ、と語ってくれたことを思い出す。やっぱり日々の生活の中では、雪はやっぱり寂しく何かを恋うる季節なのだろう。

 やさしいタイガー