ブログ人 話の広場

日頃の生活のなかで見つけたことなどを写真もそえて

壁画廊

2007-06-28 08:53:47 | ブログ

 この2,3年札幌市内はいたるところで大型の工事をしているために歩くのも自転車で走るのもきわめて危険状態が続いている。以前自転車で雨上がりを走っていて道路に張った鉄板の上でスリップし転倒したこともあった。中島公園も、札幌駅前通もいつ果てるともしれない工事が地上や地下で行われているようだ。今まで威容を誇っていた某銀行もいまや没落を象徴するように跡形も消え、背の高い囲みの塀で覆われている。

 最近こうした工事で覆う塀にいろんな装飾を施すようになって、これまた観るのも面白い。落日の隠し塀には大通公園などの変遷写真で飾っている。観ていると面白い。また中島公園駅の周囲の工事の囲いには星座とそのいわれが描かれていて、なかなか知的な興味のそそりそうな看板が並んでいる。

 一昔前と違ってちょっとした味わいのある工事現場の外の風景も信号待ちには心休まる。誰がこうした発想をするのか、設計士だろうか、工事会社だろうか。いずれも壁画廊のようにみえて面白い。せめて騒音と危険の街中をこんなことでもして潤いをもたせるセンスに嬉しく思う。

やさしいタイガー


「すすきの」の夜

2007-06-25 18:08:44 | ブログ

 9時というのは「すすきの」にとってはまだ宵の口かもしれない。先日会合に出た後、誘われてスナックに行った。1年以上も行っていないので、ちょっと腰が引けたが、せっかくの交わりの機会だと思い、数名の中に加わって1時間半ほど楽しんだ。すでに自分ではオーバードリンクなので、水割りを一杯ほんのなめる程度で過ごした。周りはヘビードリンカーばかり。着物をはんなりと着こなした品のあるミドルのホステスは、巧みに話題の中に加わったり、またうまく褒めたりして持ち上げてくれる。

 たった数名なのに、二つに分かれたような形で、こちらはぼくの子供のような年齢の企業の社長が、これからの子育てについて機関銃のように質問を浴びせてきた。まだ2歳の男の子だという。ぼくは自分の子育ての経験だけを話し、理詰めの話をしなかった。こんな席でも父親として将来を考えると、男の子ゆえに不安が一杯なんだと思う。真面目腐って応えるぼくもいささか座を堅苦しくしたかもしれない。話に割り込んできたホステスが盛んにぼくの子育てに褒めちぎるのである。面映い気持ちだった。もうその頃は酔いも冷めていた。表に出たらタクシーやら気分は天国みたいな人のふらつく足元、大声で話す人でごったかえし、久しぶりに賑やかな夜の歓楽街をみた。たまにはこんな賑やかな夜を楽しむのも一興だ。夜風に当たりながら歩いて帰った。

やさしいタイガー


資料調べ

2007-06-16 17:20:20 | ブログ

 ある方から著作を依頼されて、今いろんなところで資料調べをしているが、作業をしているうちに満足のいくものや不満足なものなどが気になり始めた。共通していることは、北海道自身の歴史が浅いためか、思う資料の発見が迅速に出来ないことだ。それに行政や専門機関に保存意識が薄いためか、応答する力が弱い。特に行政機関は組織を変えたり、人間が変わったり、縄張りがあったりするせいか、資料の大切さの意識や親切心が乏しい。

 もちろんそういうところばかりではない。たとえば北海道農業研究センターなどはまるでアメリカ並みに明治の記録をきちんと保存し、丁寧に回答をいただく。そういうところと出会うと満足感があり、書くイメージと意欲が湧いてくる。最近の交信はメールでのやり取りも可能だから、ある程度は集められるが、やはり直接足を運んでさらに肉付けや臨場感を味わいながら資料を集めたほうがよいと思った。物書きの人からみれば、当たり前だ、何をたわけたことを、といわれそうだが、ぼくにとってもどのように出来上がるのか楽しみだ。著作の楽しみを味わいながら、期待に沿えるような作品を描きたいと素人作家は願っている。

やさしいタイガー


よさこいソーランのバイト生のマナー

2007-06-09 13:02:59 | ブログ

 もうすっかり札幌の初夏の風物詩になった「よさこいソーラン祭り」も明日がピーク。札幌は暑く燃えている。ところで先日準備している会場の横を自転車で走っているとき、警備に当たっているバイトの学生が「おはようございます」と挨拶をしてくれた。ぼくの知っている学生かな、と一瞬思ったが、どうやらそこを通過する人にはみんなに挨拶を送っていることに気づいた。素晴らしいことだ。

 多くのボランティアをハンドルする中枢の人たちの観客に対する思いが隅々に渡っていることが見えてくるようだ。何に重点を置いて指導しているかがよくわかる。バイト生もそこに徹する姿勢がよい。大学の教室では見られないこの姿、学生はこんなに見事に切り分けられるのか、と思うほどだ。

 どうやら大学の中で机の上で言葉で理解することでは決して身には付かないことは以前からわかっていることだが、いささか非力を感じてしまう。でもこのマナーをずっと続けてほしい気がする。でもよい場面を見た陽に思った。

やさしいタイガー


気になるバスの広告英語

2007-06-05 08:31:13 | ブログ

 ぼくがしばしば乗るバスの路線に幾つかの病院があり、そのうちの一つの病院に近づくと、「当院は英語が通じます」という意味のコマーシャルが流れる。そこの部分だけ英語でアナウンスが入る。その英語の発音が間違っていて、乗っていてもずっと気になって仕方がない。外国人に聞かせるために英語で入れたのであれば、正しい英語で発音してほしいと思うのだが、注意の連絡をするのが親切なのか、おせっかいなのか迷う。

 ずっと昔、ぼくがある研究所で勉強しているとき、講師が該当の英語の日本語訳が違っていると会社に指摘したという話を思い出していた。つまり看板に「リクレーション」と書いていたのだが、正しくは「レクリエーション」と表記すべきだという話だった。それからぼくは言葉に神経を使うのだが、そういいつつ、しばしば間違いを犯すものだ。

 いってみれば些細なことかもしれないが、そうしたミスアナウンスが日本人の語学に対する無感覚さをあらわにしているように思う。ちょっとしたことでも正確に聞きただし、確認するという姿勢をプロとしてもしっかり持ってほしいと思うのはぼくの過剰反応だろうか。

やさしいタイガー