ブログ人 話の広場

日頃の生活のなかで見つけたことなどを写真もそえて

失言と本音

2010-11-21 13:31:28 | 日記・エッセイ・コラム

 このところ大臣や議員は何をしているのだ、と叫びたくなるほど失言や意味不明な発言が多いように思います。もう国民は好きなようにしたら、とあきらめの心境ですよ。きっと。

 なぜこんなに平気で失言をするのか、それは日本語が実にうまく相手に納得させる要素がたくさんあるからではないかと思うのです。言葉の裏を読み取っているからでしょう。「関係者とよく検討します」というのは「しません」という意味。「皆さんのご意見を傾聴して善処したいと思います」とは「お好きなことをどうぞ。どうせしませんから」という意味です。「努力します」というのは「しません」という意味。

 つねに抽象的に表現することが名解答なのです。「何月までにやります」と断定的にいわないことが大切なのです。こうしたちぐはぐな問答は、知識が浅く不勉強による依存型の議員に多いのです。かつて自民党も他の党もそうでした。

 考えてみると、僕らもうっかりミスで失言し、相手の心に傷をつけることがままあります。しかし案外失言の中に本音が隠されていて、それがぽろりとでる。つまり議員もそうですが、本音ばかりでは喧嘩の種をつくるようなものです。ですから慎ましくやさしく相手に伝えて行きながら信用してもらう術を身につける必要がありますね。

 信号の赤色が点滅したら、あわてず待つことです。そうしたら心が落ち着いてじっくり待ってもわずか1分足らずです。それで期待していたバスがいってしまったということがあっても、次にしようと思うことが本音なのです。日頃からじっくりと勉強し、言葉を上手に使う方はそう失言はしないものです。でも政治関係者は頑固だから、市民に向ける顔はにこやかでもそれは本音ではないのです。失言はしっかり自分を見つめ、社会を末端まで見ている人にはそうないと思いますよ。

やさしいタイガー


イサム・ノグチの母レオニー

2010-11-21 10:01:31 | 日記・エッセイ・コラム

 昨日の日曜日どうしてもみておきたい映画「レオニー」を朝一番にみてきました。映画館は7割くらいの入りでしたから、かなり関心を持っている人が多いんだなあと感じました。比較的中年以上の人たちが多いように見受けました。

 映画は世界的彫刻家でもあるイサム・ノグチの生涯ではなく、二人の子どもを育て、安んじるかのように波乱に富んだ人生を終えるストーリーです。最後に画面いっぱいにイサムが作った壮大な公園が写り、子どもたちが喜々と遊んでいる姿がとても印象的でした。

 アメリカで知り合った日本人の詩人ヨネと知り合い、起居を共にする間柄になります。しかし結婚はせず、互いに愛し合った二人の間にイサムが生まれ、次第に育っていく中でイサムの隠れた才能をみいだした母レオニーは、自身も詩を書きながら、あるいは友人の助けを借りながら生計を立てていきます。決して生活は豊かではなかったのです。我が子の成長を見つめることが何よりも幸せだったのかもしれません。

 子どもをおいて日本に帰国したヨネは日本人の妻がいたのです。時は20世紀初頭、国家ができてまだ間がない日本はすべてに国際社会から軽視されており、野蛮人とさえいわれていたのです。外国からヨネを頼ってやってきた日本の姿は、実に奇異に感じたことだろうと思うのは至極当然のことでしょう。

 しかもその中で英語の堪能な人々との出会いはレオニーを勇気づけました。開拓使庁から明治のはじめ女子教育のために派遣された当時最年少の6歳で派遣された津田梅子が20年ぶりに帰国し、西洋の文化を身につけて東京に津田女子英語塾を開設するまでに凛々しく成長梅子も登場します。小泉八雲の妻も登場します。当時は女性は教育を受ける必要はないとさえいわれた時代、レオニーも体験もしたことのない差別や異文化に戸惑うばかりでした。

 しかし彼女を支えたのはいじめに遭いながらも寂しさを耐えるイサムを護り育てることに生きる望みをつないでいたと想像できます。そうした歴史の一断面を伝えながら、日本が次第に変化している姿、医師になりたいと願っていたイサムを彫刻家に育てたレオニーの感性はやがて母の亡き後開花するのです。

 複雑な国際社会、アメリカにいて軽蔑される日本人、日本にやってきた外国人を避けるかのような日本人の態度、それらはまだ国家の幕開けにはほど遠い世界の社会だったのでしょう。なにしろ1900年代の半ばですから。松井久子監督は全体を美しく表現し、優しい人々の姿を描いていて、淡々と時代を映し出していました。

 今、札幌の東区にある「モエレ公園」は北海道ではデザインされた最大の憩いの場ではないでしょうか。大通公園にも彼の作品があり、きっと北海道の豊かな自然を愛していたのかもしれません。1988年イサムは大きな遺産を残して異界の世界に旅立っていきました。

 久しぶりにさわやかな映画にしたることができました。

やさしいタイガー