久しぶりに国会での与野党のやり取りを聴いた。だがやはり失望して途中で聴くのをやめた。耳に入ってきた質問者は自民党の議員だったので、政権と同じ政党だから、まるで歯の浮くような質問、明らかに僕より知識が乏しいことを知って、こんな人物に政治を預けているのか、と今更のごとく情けなくなった。
反面、野党からちょっと鋭い質問がでると、首相の答弁はいかにも質問者や所属する政党を見下しているような居丈高な態度、表現も荒々しく、聴くに堪えないような態度だった。これではまるで対話になっていない。安倍さんの本当の人格を見た思いがした。なるほど独裁者はこうして次第に聞く耳を持たなくなり、一国のリーダーとしての視線ではなく、権力者の驕りを深めていくのだなあ、と感じた。
今年は重要な政策を実行しようという企みが与党や一部の野党にあり、極めて危険な道に向かおうとしている年だ。
6月の参議院選挙で与党は3分の2を確保しようと息巻いている。もし過半数を取ったら、政権と与党にとっては、他の政党の意見を形式的に聞き流しておけばよいという姿勢になっていく。そして参議院は衆議院のファームのような存在になり、リーダーの独裁化が起こり、戦中のような大政翼賛会になっていく。まさか自民党であっても戦争に向かうことはあるまい、と多寡を括っていたら、あとの祭りになる。
戦争への道はそもそも権力者が超法規的に、また恣意的に権力を弄ぶことから始まる。その危険性は独裁的国家を見るとよく見えてくる。世界から見つめられる日本はかなり好感度が高いといわれる。政治の一線に立つ人々が、そんな評価をありがたく受け止め、さらに自分に磨きをかけるためには、身を低くし、相手の求めることに冷静に耳を傾け、誠実に民衆の声に応えようとするの人間観や社会倫理感が問われるのではないか。
自民党はすでに憲法草案を作っている。前文に「日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴いただく国家」とあり、「元首」と規定している。さらに「日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り、基本的人権を尊重するとともに、和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する。」という。
自衛隊は「国防軍」になり、「国際社会の平和と安全を確保すために国際的に協調して行われる活動及び公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは自由を守るための活動を行うことができる。」と。ここに集団的自衛権の行使や安全保障関連法案を突っ込もうとしている。実態を先に起こし、後で憲法を変え、正当化する姑息な手段が隠されている。多くの疑問点を露呈し、これが自民党の本音だとすると、あまりにも危険な発想文だと思う。
薄っぺらな内容の乏しい論戦に何の実りもないまま、うっかりすると気が付かない間に日本がとんでもない方向に向かうのではないかと危惧しつつ、彼らの言動に注意を払いながら、主権者である自分自身の言動を強くしないといけないと思ったのだ。
やさしいタイガー