ブログ人 話の広場

日頃の生活のなかで見つけたことなどを写真もそえて

大丈夫か北海道新幹線建設

2012-06-30 11:53:59 | 日記・エッセイ・コラム

 すべて条件が整ったので、未着工の3線の新幹線に設置のGOサインを国は出しました。その中に北海道新幹線も入っています。札幌ー新函館間24年後ということです。喜んでいる人もいますが、憂慮している人も当然います。

 ぼくは未だに日本人は技術やコンクリート物に頼りにしている傾向にあり、文化や心へのかかわりへの低さがどうも気になるのです。

 かなりの黒字を見込んでいるようですが、これほどの大工事ともなれば必ず経費は増大し、税金の負担も多くなるはずです。過去すべてがそうでしたから。試算しているような黒字になるのか、これも疑問です。当事者はきっとこのことをわかっていて取り組むのです。

 24年後、という先を見ると、今の70代以上の方は完成を見ることは難しいのかもしれませんが、もちろん楽しみにしている人もいることでしょう。見果てぬ夢を描くのもまたいいのかもしれません。そういうことにしておきます。

やさしいタイガー


本当かな、陳謝とお詫び

2012-06-28 13:02:24 | 日記・エッセイ・コラム

 最近、企業や政府関係者などが記者団に向かって「深くお詫び申し上げます。今後二度と起こさないよう最善の努力をいたします」といって深々と頭を下げる姿を見て、もう大丈夫だ、と信じてられないのです。国民も冷ややかな目で見ているのでないでしょうか。

 もう日常化している企業の犯罪、経営者の確執、さらに隠蔽して取り繕うとする姿勢が多すぎて、強い失望感に襲われます。特に震災後、電力会社のとってきた言動の嘘が露呈され、不手際の深謝とお詫びというみっともない姿をよくみます。

 それで事が済んだと思い、いつものように穴倉にもぐってしまうのではないか、と疑心暗鬼な目で見てしまいます。苦々しく思う「言い訳」はまさに空をうつ拳闘のようなもので、ぼくたちの心に響いてきません。

 それほど社会は腐りきっているようです。最も鈍感なのは政界人でしょう。

 先日電力会社の株主総会の様子をネットで見ましたが、冒頭はお詫びでした。しかし本当に次への策を持ってお詫びしているのか、いささか疑問でした。

 日本人の「あいさいさ」をそのまま出しているなあ、と思いました。ということはその場を取り繕うのはうまいが、正義と正直をモットーにしていないからです。一つの通過儀礼として扱い、耐えていけばあとは国民は忘れてしまうのだから、という思い上がりを感じてしまいます。

やさしいタイガー


おかしな社会

2012-06-27 10:49:49 | 日記・エッセイ・コラム

 政府が消費税値上げを提案して、野党と一緒になって法案を通してしまいました。一方で同じ与党の小沢グループが反対ののろしを掲げて、脱党することを視野に入れている、との報道を知りました。いったい政治の世界は日本をどこに導こうとしているのか、まあいつものようで、とぼくたちのほうが呆れて冷ややかな目で見つめざるを得ません。

 先日、東北を旅した親友の話だと、大震災を受けた地域が未だに手つかずの状態で放置されている光景に悲しみとも怒りともいえない感情がわいてきたとのことです。これもいったい誰の責任?といいたくなるのです。

 国際社会もまた、ハンドルを切り間違っている国が多いのです。永く非人間的な施策をとり続ける国、政治の駆け引き、自己保存に走る為政者たちの哀れな姿もおかしな社会です。

 そんな社会を反映してか、どうも不可解な言動をとる人間の犯罪も増加しているように思います。そのために多くの犠牲者が出ていることに憂います。

 今の日本は、安心して歩けない社会、恐怖の社会と感じている人が増えているのではないでしょうか。いくら法律やシステムを変えても、ゆがんだ政治を続ける限り、自分に何のメリットもないと感じる人や、自分には世の中が変わる過程で恩恵に浴することはないと受け止める人の「やるせなさ」だけが際立ってくるのは当たり前のことです。

 おかしな言動を取り、世間を騒がせていくことや命を粗末にする愉快さを感じる人物はどこの社会にもいますが、こうした事件だけをことさら大きく取り上げるジャーナリストの記事もまたうんざりしてしまうのです。

 おかしな社会は、おかしな人だけで創られていくものではありません。おかしくする回りにもいささかの責任があるはずです。しんどい世の中になりました。

やさしいタイガー


67年前の沖縄

2012-06-23 13:43:13 | 日記・エッセイ・コラム

 このとき、日本がもう戦争に負ける、と多くの国民は感じたに違いなかったでしょう。ぼくは数回沖縄を訪ねたことがあり、あのときの凄惨な状況は知る年齢ではありませんでした。日米双方で20万人が犠牲となりました。そのうち9万人は沖縄の普通の市民だったといわれています。

 まだパスポートが必要な沖縄を訪ねたのが初めてでした。摩文仁の丘に行きました。そこに掲示された多くの記念碑は、命を失った人々の名が刻み込まれていました。じっと佇んで見つめていたら、言葉もでてきませんでした。 

 あれからすぐ1975年になり、沖縄は本土復帰した、と当時の首相佐藤栄作は国民に告げました。過去の辛い歴史から一度も解放されることなく今日に至っているように思います。

 今67年になり、何が解決されたのでしょうか。本音と建前を内包する日本人は、そのまま今を受け入れ続けているとぼくは思っています。決して戦闘的にならない日本人は、それが美的であり、外国から賞賛されてきたのです。

 けれども心のうちを覗くとすれば、今の状況をよしとしているわけではない、と感じます。昨年の6月久しぶりに沖縄を訪ねました。

 那覇は活気があり、伝統的な雰囲気と陽気なウチナンチューに、ついあのころの苦渋を忘れるほどでした。悲しみや辛さを乗り越えようとぐっと耐えているようにも見えます。

 今、基地を抱え、日本政府は外交的手腕のまずさからでしょうか、袋小路に入ってしまったようです。沖縄も日本も変わりました。けれども過去を通して未来を考える時代でもあるような気がします。思想や世代を超えて。

やさしいタイガー