ブログ人 話の広場

日頃の生活のなかで見つけたことなどを写真もそえて

気分が滅入る春の空

2010-04-30 08:39:12 | 日記・エッセイ・コラム

 いつまでも北海道らしくない空模様が続き、気分まで滅入ってしまいます。皆さんはいかがですか。不思議なもので天候と体調はどうも正比例しているようで、こんな日はなにもする気が起こらないいう「なまけもの」の正体がすぐに出てきます。

 一度放送で取り上げようと今「一休和尚」と「良寛和尚」にまつわる本を読んでいるのですが、時代は大分違いますが、どちらも子供が好きで一休さんはなかなかのトンチの効く人だったようで、よく人を煙に撒いていたそうです。それでも一休さんの最後の言葉は「死にとうない」だったそうです。良寛さんは相当の博学者のようで俳句など多くの著書も残されています。

 どこか共通しているところがあるところを見つけようと読んでいるのですが、それぞれがわが道を行くという精神が横溢し、出世は望まず、貧困に耐え、人のために生涯を捧げた人物として後々まで多くの人に愛された人物です。古人から学ぶことによって今の時代を見とおす事も出来ますし、大いに学ぶべき物もたくさんあるようです。

 どんな放送が出来るか、5月第3週目あたりで取り上げる予定です。

やさしいタイガー


人の流れの変化

2010-04-29 08:50:40 | 日記・エッセイ・コラム

 今、札幌駅と大通りとの間は地下道を作っている真っ最中。完成したらススキノから札幌駅まで傘なしで散策できるということになるのでしょうか。便利といえば便利ですが、地上は大通公園から札幌駅までの間に聳えたつ冷たいビル群でかぶさっていくのでしょう。お粗末な街路樹が少々植える程度でしょう。札幌は本当に緑の少ない街で、どこが美しいのか、と愚痴の一つもいいたくなるほどです。地上の店も心配でしょう。

 昨日友人のHさん兄弟と打ちあわせのために札幌駅にいました。食品街を通過して目的地のフリー・シーツのコーナーに着きました。驚いたことにこの辺りは人が一杯で本当に賑わっているという実感を持ちます。とりわけ学校を終えた高校生辺りの群団が座席を占めてしまい、乙女らしくない態度の女子学生が嬌声をあげています。

 学校の帰りでしょうか。それにしても楽しそうです。かえって怪しげなところをうろつくよりも、こういうところでワイワイ騒いでいるほうがまだ健全とも映ります 。部分的に見ると、世の中平和だなあとも感じます。それにしても札幌駅周辺は本当に人が多く集まり、どこか人々のニーズに応えているのでしょうね。

 それにくらべて大通り周辺の人の流れの弱さ、まるで漣のような感じです。長い歴史をつないできた大通公園を造った先達の人々は、美しい花が咲き、家族が広い大通りで楽しい憩いを取ってもらえることを夢見ていたかも知れません。ライラックが咲く頃には日光浴の人びとで賑わうころでしょう。

 街は何といっても賑やかであってほしいと思いますね。

やさしいタイガー


新装開店の料理店に

2010-04-28 08:59:04 | 日記・エッセイ・コラム

 この1ヶ月をかけてリニューアルをされていた僕たちの水彩画教室の会場である店が今日から開店ということになりました。以前のイメージが一新され、前の黒を基調として雰囲気が一変して街の空間の空の明かりを存分に取り入れ、全体が白と淡い緑をうまく取り入れた清潔感のある店に生まれ変わりました。

 JR駅のステラプレイス6階の「和み」という和風な料理をだす店ですが、僕たちはここに毎週木曜日に来て2時間ほどテーブルをお借りして絵を描いているのです。もう1ヶ月休会するのですが、皆待ちきれないかのように仲間が集まり、ご馳走になりました。

 あまりにもきれいになったこの店で水彩画の教室を引き続きさせていただけるのか、現実の問題になってきました。近頃はランチタイムという観念も少なくなってどんな時間でも食事を取る人が多くなったとのことでした。繁盛するのはお店にとっては当然の願い、僕たちにとっては絵を描ける隙間の時間をいただけますようにと、お互い自分たちの思いを描いているのですが、どうなりますやら。

 何はともあれ、店が開かれました。ちょっとお昼時覗いて見てください。素敵な店に変わっていますから。

やさしいタイガー


気苦労の多いバスの運転手さん

2010-04-27 08:27:32 | 日記・エッセイ・コラム

 知り合いの友人にバスの運転手さんがいます。まだ30代前半位の若い人です。昨日面白い話しをしてくれました。二人の幼い子供をつれた若いお母さんが乗り込んできた。彼はいっこうに座席に座る気配のない親に、「出発しますので、お近くの席にお座りください」と丁寧にアナウンスをしたのだが、馬耳東風のような母親は、まったく行動を起こさない。しかたなく彼は車を動かしたのです。 それも動いているかわからないほどのスピードでゆるりゆるりと走り出したのです。

 子供やお年寄りが足腰が弱いからこそ、余計なお願いをせざるを得ないのだが、今のお客様はあまりアナウンスを聞く耳を持っていないかのような態度を取る人が増えているように思うと漏らしていました。ぼくもよ良く乗るのでいろんな光景を見ますが、乗客の態度は決して褒められたものではありません。中には運転手に噛み付く客もいるそうです。

 最近杖をついたお年寄りが一層増えたように感じます。それでも周囲の人は替わろうとしない。電車と違ってバスは飛び出しなど急に止まることもままあります。ほんのちょっとした心がけが互いにあれば、バスの中ももっと快適で『譲り合い』の美しい光景を見ることが出来るのですが、まだまだ市民の他人への思いやりの精神を作り上げるには時間が必要なのでしょうか。それでもお客を守る責任は運転手さんにあるのですから、辛い仕事のようです。

やさしいタイガー


息苦しい職場の中で

2010-04-26 09:39:56 | 日記・エッセイ・コラム

 今、親しくしている若者が大きな悩みの中に落ち込んでいるようです。それでも僕と会うときは笑顔で明るく振舞ってくれているのですが、心の中はきっと渦巻くやりきれなさのなかで足掻いているようにさえ見えます。

 苦しいが楽しい、というのであれば乗り越える可能性もあるのですが、苦しいが悲しい、ということになるとつらい自分自身をみつめているような気分ではないでしょうか。彼の悩みは職場の問題ですが、もはやどうにも出来ないところまでいってしまっているように思えます。

 彼の年齢はぼくが小さな中学校に勤めていた時代と重なります。体調は万全でなく、2時間という通勤電車を立って乗っていたのです。本当に苦しく、前の疲れが取れないまま、翌日又登校するといった生活を繰り返していました。それは子供たちの元気な姿と触れあうことが出来るという喜びが後押ししていたのだと思います。

 苦しいが楽しい日々でした。しかしそれ以上に辛い日々でもあったように思います。万事休す。ついに苦しみは哀しみに変わりました。それから2年長い病との戦いでした。これもやがて絶望から希望へと道が備えられていることを知るようになりました。

 どんなに苦しくとも希望の道はあるのだと信じています。僕はもうそんなに欲張って生きるだけの時間はないかも知れませんが、かれはまだぼくの3分の1しか生きていません。一杯のコーヒーで向き合う僕と彼、いつも絶やさぬ笑顔と優しい表情を見ていると、もう限界を超えて希望の方向に向かいつつあるなと僕をほっとさせてくれました。

 僕は何一つ助言や指示をしたわけではありませんが少し明るい表情で分かれました。話すことによって心の重荷は半分になってくれたらいいと僕はそう思いました。

やさしいタイガー