ブログ人 話の広場

日頃の生活のなかで見つけたことなどを写真もそえて

雪虫が初雪を呼ぶ

2012-10-29 19:43:03 | 日記・エッセイ・コラム

 今日、放送を終えて自宅近くのバス停で降りたら、白い綿毛のようなものが数片、風にさまよって体にまとわりついてきました。おお、いよいよ来たか、と思いながら歩きました。

 そうなのです。北国では、これを雪虫といい、一週間から二週間ほどあとに初雪が降ると聞いていました。もしかしてそうなのかもしれません。

 そういえば、このところ日中はともかく、日の入りも早くなり、急速に寒さが伝わってきます。もうまもなく雪のシーズンがやってくるのです。

 雪虫というと、とてもロマンチックに考えられがちですが、この季節幼虫を産卵した白い羽をもったアブラムシの仲間で、虫がまるで雪のように風に吹かれて漂っているところからつけられた北国特有の虫です。

 多いときは体にまとわりつき、手で処理すると、虫の正体が見えてきて、とても優雅な気分にはなりません。とにかく一定の寒さが好きなようで、今がちょうど適した気温らしいのです。

 昔の人はよくいったもので、雪のシーズンの前触れなのです。なんだか寂しくなりそうです。地元に住む人たちは、あまり気にも留めていないのかもしれませんが、ぼくのように本州から来たものにとっては、一つ一つ気に入るものもあれば、気に喰わぬものもあり、雪虫は早い時期から苦手になってしまっています。

 寒さ対策は怠りなくしたいのですが、今年から節電も大きな課題に加わってきます。とりあえず、雪虫の予知を心しておきたいものです。

やさしいタイガー


不安社会を生きるために

2012-10-29 11:14:22 | 日記・エッセイ・コラム

 遅まきながら、最近曽野綾子さんの本を立て続けに3冊ほど読みました。曽野さんは著名な作家であり、行動的ではっきりと主張される作家としても、よく知られています。

 ことに「老いの才覚」というエッセイ風な作品は、読んでいて誠に痛快な思いをしました。この「老い」に関してですが、一般的には負のイメージが高く、ぼくのような後期高齢者は、よほど自分を律していかなければ、世の中の排除者になりかねません。

 歳を重ねるということは、自分が望んだわけでもなく、誰もが衰えを感じ、今まで出来ていたことができないというもどかしさ、さらに気持ちまで何かと苛立ち、気短になり、自己主張が強くなりがちです。服装にも頓着しなくなります。

 どこかに大きな不安を抱いているのです。先日経済評論家の内橋克人さんがラジオ講演で不安社会をどう生きるか、という感銘深い話をされていました。こんなに豊かな社会だと自他共に認めつつ、それでいて半数以上の方が、これからの社会に不安を抱いているといわれます。こんな国はどこにもないといわれます。

 そして中国の漢詩を引用しながら、ご自分は今までの社会の中枢にいた人たちの言動に赦しがたいものがある。それが「積憤(せきふん)」となって今日に渦巻いている。決して今の社会に妥協することなく、どう変えていくかを一生問い続けることだ、それが生きる支えになっているという話しでした。内橋さんは、80歳になられるそうです。

 作家曽野綾子さんも80歳を超えておられるようです。肉体は老いたりといえども、精神はなお衰えを知らず、という方です。曽野さんの本を読んでいると、とにかく一人で生きていく訓練をすること、自立と自律が大切といい、世間体を大事にしてきたことは、その人の価値観だからとやかくは言わないが、これからは、あまり周囲のことに気を回すことなく、自分を大切にしていきたいといわれます。

 ということは、新しい価値を見出すということでしょう。新しい価値とは、これから自分が生きていく上で、過去のしきたりやいつしか身につけた伝承や付き合い精神を捨てて、辛いしがらみから解放されて、わが道を行こうということのように読み取りました。すっきりしそうな気がします。

 「積憤」、経済や政治を含めた社会への積み重なった義憤を抱く内橋さん、「老いの反抗」として捉えられなくもない、エッセイにこめられた痛烈な思いを「老いの才覚」で表現される曽野さん、社会を鋭く見つめるお二人の主張は、これから生き延びていくためのぼくらの課題でもあるような気がしています。

やさしいタイガー


何を期待するというのか

2012-10-28 12:21:36 | 日記・エッセイ・コラム

 石原慎太郎東京都知事が、突然知事を辞め、国政に参加するという記者会見で、早速2,3の政党が彼に寄りかかろうとしています。いったい彼に何を期待するというのでしょうか。

 知事としての興味やすることがないといい、1週間に半分も出ないような人物が、国政に参加するといって何をしたいのか、と問いたいものです。突出した発言が国内外に物議をかもし、また極めて危険なものの言い回し、時代錯誤の言語表現など、こういう人を国の中枢に置こうとする共鳴政党も、また頼りない限りです。

 今、日本は戦後、曲がりなりにも平和を築いてきました。もちろん平和という言葉の解釈はいろいろあると思いますが、日本独自の社会を造ってきました。それらの国づくりに貢献してきた人々を賞賛します。

 けれども後継者たちが、なし崩しに危険な方向に導こうとしていることに、どうしても危惧を感じます。後を引き継いだ政権党も迷走続きです。

 閉塞状態の国に、カツを入れるために登場しようとする石原氏の情熱もわからなくもありませんが、どうも衝動的な言動の多い彼にどれほどの期待を寄せているのかわかりません。

 いかにもオレは力ある存在だと叫んでみても、人々は彼を待望しているのでしょうか。不安定な社会に苦悶する日本、この機会に私たちも今の社会と未来に関して、冷静に見つめていきたいものです。

やさしいタイガー 


ボジョレ・ヌーボー解禁

2012-10-27 14:24:08 | 日記・エッセイ・コラム

 今朝のニュースを見ると、フランスから今年のボジョレ・ヌーボーが到着したとのことです。明日いっせいに解禁されるそうです。

 どうやら今年の生産は、天候不順のために輸入量も減少したらしいのですが、それでも一本2000円程度で手に入れることもできますし、スーパーではそれ以下で売り出されるようです。

 中にはペットボトルに入ったワインも売り出されるという報道も見ましたが、いくらなんでもペットボトルに入ったワインというのは、どうもいただけません。

 やはりワインは、心の贅沢さを味わってこそ楽しいのであって、飲めばいいということでもないのではないでしょうか。

 というぼくは、特段ソムリエのような知識も味覚もありませんので、なかなか気に入った講釈はできませが、いつのころからか、ワインを好きになりました。だから多少目利きならぬ、味利きもできるようになり、楽しみながらいただいております。

 多くの人の中には、お酒を嗜む方は多いのですが、案外ワインという方が少ないように思います。思いのほか多いのは円熟期の女性のようです。いつだったか、3,4人で会食したとき、アッというまに一本空けてしまったことを思い出します。

 ワインは静かに飲むのではなく、グラスを傾けながら楽しく会話をする、というのが一般的です。秋の夜長にワイワイやるのも一興ですね。せめて2時間程度の贅沢をしてもよろしいのでは。

 そのためにも、怪我の回復を早めることができたらなあ、と毎日念じているのですが・・・。

やさしいタイガー


もてあそぶな。政治を

2012-10-26 10:32:50 | 日記・エッセイ・コラム

 どうも今の政党や政府の中枢にいる人は、民意がどこにあるのかに、もはや関心がなさそうです。急場しのぎのように、いまさら選挙区に思いをはせても、地元の人は、もうだまされないぞ!と思っているに違いなのでは?

 そこへまた台風の目のような人物が知事を辞めて中央政界に打って出るというニュース。80歳にもなって、何をしたいというのでしょうね。年齢には関係ないのかもしれないが、ことさら波紋を投げるタイプの人だけに、日本を混乱させる種をあちらこちらにまくのではないかと政府も警戒しているような気がします。

 少人数の政党を作り、自分が親玉になって進めようというのですから、民衆の存在など頭にないのでしょうね。もうしばらくして選挙もあるらしいですから、そこで問われるのは、まさに私たち自身です。

 大震災の被災地では、いまだに復旧すらできず、未来に暗い思いしか涌いてこないといわれ、政府も何をしてよいのか右往左往している現状の中で、政治ゲームはもうやめろ、といいたいです。

 官僚もまるで弱みに付け込むような態度は改めるべきです。優秀な組織かもしれないが、人間味のない、不平等を平等というノー天気な態度に、一層輪をかけたような議員たちの無能ぶりに飽きれ返ります。

 今の社会で一番時代遅れであり、良心を失った組織は官僚であり、政党だということを彼らは思い返してほしいものです。民衆の失望は大きいと思いますよ。

やさしいタイガー