ブログ人 話の広場

日頃の生活のなかで見つけたことなどを写真もそえて

また忘れ物

2012-01-30 09:38:25 | 日記・エッセイ・コラム

 昨日の日曜日、今日のぼくの放送にゲストとしてお招きしているSさんとレストランで事前打合せをしてきました。

 テーマは「日本の伝統芸能を味わう」とし、Sさんが長い間、お鮨を中心に日本料理にささげてこられた中で生まれた「庖丁式」についてご紹介していただくことに下のです。

 もう1000年も受け継がれてきたこの儀式は、手も使わず庖丁と俎箸のみを操って見事に魚の芸術品をならべるならば低枯れるもので、観賞するものも緊張と感動を覚えるほどです。

 もちろん、このうちあわせのために、ぼくも下調べをして臨んだのですが、さすがに経験があり、Sさんの所属する流派の師範でもあるだけにわかりやすいポイントに整理し、リスナーにわかるようにコメントをいただきました。

 次第に薄れ行く伝統芸の行く末を案じてはおられるが、こればっかりはやる人の勉強や伝統を受け継ぐ真摯な姿勢が生まれてこない限り、続かないとも言われていました。

 あらためて芸の継承の難しさ、伝統を維持することの厳しさなどを感じました。

 今日の放送で、どんなお話が聞けるのか、質問するぼくもまったく門外漢だけにいささか緊張しているのです。

 ところでせっかく資料もいただき、シナリオを改変しようと思ったのですが、またへまをやりまして、レストランにめがねを忘れてきてしまいました。新聞もネットも読めない有様。実に困った次第です。このブログも目を細めながら作成しています。誤字のあることを前もってお詫びします。

 それでも朝の習慣ともなっているので、何とか今日も一番に出すことができました。

やさしいタイガー


支援の難しさ

2012-01-29 09:50:50 | 日記・エッセイ・コラム

 まもなく、東日本で大震災が発生して11ヶ月になります。昨年発生後すぐに僕が所属している団体は、支援奉仕プロジェクト委員会を立ち上げ、直ちに行動を始めました。

 今日のネット情報を見て、計画的避難区域に指定されている福島県飯舘村は村の大半が散らばって避難生活を余儀なくされているが、仮設住宅の人びとと民間の借り上げ住宅に住む人びとの間に支援のわたり方に差があるようで、対立感が心の荒れを起しつつある、と掲載していました。

 その飯館村に僕たちは注目し、支援活動を行おうとしているのです。先日は仮設住宅地にお住まいの方々の足に慣れたらとの思いで、4WDの自動車2台を寄贈しました。

 さらにこの3月と8月に福島の子ども達を北海道にお招きしようと準備をしています。

 もちろんこうした計画は、相手方にもある「支援委員会」と連携しながら、行っているので、独断ではありませんが、それでも一連の支援の陰には見えない不都合があり、静かに待つ人びとの思いをくみ上げていない事柄が多すぎるように見えます。

 どの被災地の人びとも国の対応の遅さを非難していますし、その怒りもわかろうというものです。

 いろんなところからの支援の志の届くところと、置き去りにされているところもあるということを忘れてはならないのです。政府も関係者も隅の問題にまで関心を寄せていないのかもしれませんし、知っていても心の中では通過しているのかとも思います。

 支援する私たちは、まさに最も一番弱いところにいる人びとに心を寄せ合うことができますように、との願いと祈りをこめて取り組んでいるのですが、実情がわかり始めると、このやり方でよいのか、忸怩たる思いに駆られてしまいます。

 でも続けていくのです。そのことが今のぼく達にとって一番心しておく課題なのです。

やさしいタイガー


出会いの引き出し

2012-01-28 10:20:11 | 日記・エッセイ・コラム

 多くの人は、今までの人生で出会った数など憶えてはおられぬであろうと思います。しかしその中でも心に残っている方を記憶している方も数多おられるでしょう。

 ぼくも忘れられない人や力になっていただいた方など、時々思い出すか方が結構います。

 そうした方々はもう会う機会もなく、今息災にお暮らしかもわからぬ人も含まれています。

 昨年亡くなったドクトル・マンボウシリーズをお書きになった詩人斉藤茂吉のご令息北杜夫さんがじつにユーモアあふれる文章をモノにしておられます。長野県旧制松本高校から東北大学医部に進む北さんは医者になりたいとは思わず、小説家になることを考えていたというのです。

 しかし父上の茂吉は厳しく監視し、息子の行く末に夢を描きつつ生涯を終えるのです。偉大な父がかえって自分を拘束しているような窮屈感から、できるだけ父から離れて暮らし、はみ出し人生を青春期に送るのです。

 人の助けをかり、人間的に優れた教授たちと出会い、よき友であり、また悪友でもある仲間との出会いは、どんどん人生の肥やしにしていくところなど、実に劇的なものがあるように文面からうかがえます。

 精神科医であり、自らも躁鬱に悩まされながら、むしろ自らを俎上に載せて小説を書いてきたような気さえします。

 平々凡々とした日々を送ってきたぼくは、それでもぼくの人生を決定付けるような出会いは幾つかあったのです。今、そうした人との再会はなくなりつつあり、老いという領域の中で、出会うことの意味をもう一度考てみたいと思っているのです。

やさしいタイガー


伝統芸を残すことの難しさ

2012-01-27 09:53:12 | 日記・エッセイ・コラム

 来週の月曜日のFMさっぽろ村ラジオのぼくの担当の放送は、「日本の伝統芸を味わう」というタイトルで、日本料理の調理師の方々を中心に、もう1000年以上も続く「庖丁式」という芸をご披露していただくことにしたのです。

 北海道内では数少ない師範のSさんにご登場いただくことにしました。とはいえ、ラジオの前ですから、リスナーの逞しい想像力でお聴きいただくしかないのですが、それにしても質問するぼくのほうもとても緊張しています。

 以前にSさんに招かれて札幌の琴似とい言うところで執り行われた儀式にお招きをいただき、厳粛な伝統芸を拝見したことがあります。それはとても感動的な所作でした。

 素手は一切使わず、庖丁と箸を持ち、俎板の上に置かれた鯛を見事にさばいて別の俎板の上にきちんと並べるといえば簡単なことなのですが、もし落したり、きりそこなったりすると、昔は切腹モノだったそうです。

 見事に終えるまで約40分、ぼくも緊張していたことを思い出します。

 Sさんの話を楽しみにしているのですが、ちょっぴり明かしますと、Sさんは長い間おすし屋さんを経営して、もちろん板前さんでもあったのです。現役の時はよくいただきに行ったものです。

 この伝統芸である「庖丁式」そのものは弟子を取るという制度がなく、しかも口伝や所作をみて学ぶしかないそうで、後継者を作るのが大事業です。

 せっかくの1000年からの受け継がれてきた芸を見放してしまうのは、おしいなあと誰もが思うでしょうが、これも時代の趨勢か、と一言で片付けてしまいやすい現代社会の価値感にどこか薄っぺらなものを感じてしまいます。

 できたらお聴き下さい。81.3mhlで東区にある放送局です。

やさしいタイガー


人生の一ページ

2012-01-26 09:15:40 | 日記・エッセイ・コラム

 久しぶりに朝の陽光が、燦燦と注いでいて、誠に気持ちの良い一日の始まりです。今日もかなり寒そうで、マイナス5度くらいはあるのではないでしょうか。それにしても太陽というのはありがたいものです。健康にしてくれるだけでなく、生きる力を与えてくれるような気がします。

 相変わらず読書にふけっているのですが、一度読み出すといけるところまで読もうという意欲が出てきて、結局1冊を一日で、ということになってしまいます。

 人の生き方にはいろんなことがあり、それぞれに人生の折節を楽しんでおられるのだろうと思います。

 ぼくらのような年齢の人は、どうしても静的な環境を求めがちです。

 ぼくもこの年齢にある方の人生の速歩がゆったりとしていくのが、わかるような気がしてきました。また過ごし方も変わっていきます。若い頃はひとつのことをしながら、他のことを考え、いつもこの歩み方では間に合わないと思った事がしばしばありました。

 今は違います。一日を大切にすごそうと思うと、マイ・ウエイが一番あっているのではないかと思うようになりました。

 一冊の本を読み、作家の意図や書物の内容を反芻していると、読書の重みというのが、日に日にわかるようになっていくのでした。

 もう借りた7冊の本は1週間の余裕を残しつつ、返却することにしました。次は何を読むかどことなく、わくわく感があります。

やさしいタイガー