ブログ人 話の広場

日頃の生活のなかで見つけたことなどを写真もそえて

朝に静かな音楽を

2007-03-24 09:14:43 | ブログ

 ぼくの友人、といってもまるで親子ほど違う友人が、ぼくのコンピュータのことを案じて「今度又行きます」といって我が家にしばしば来て、いろいろ操作をしたり、新しい何か?を挿入してくれたりして、嬉しい以上にどうしてこんなことができるのか、その不思議さにいつも感心している。

 先日もコンパクトなステレオタイプのスピーカーを取り付けてくれた。取り込んだ様々な曲の中から好きな曲を選んで聞いて楽しんでいる。面白いもので好きな曲は何度も聴いてしまう。今朝はゲオルク・ザンフィルのパンフルートの美しく流れる「ライムライト」聴きながらブログを書いている。まったく陶酔してしまう。こんなメロディを聞いていると、心がさわやかになり、洗われるような気分になる。彼の取り付けてくれたおかげで又一日生きて呼吸していると言う実感を持つ。

 外の太陽は、もう春を告げている。窓の水滴も少なくなった。今日と明日は友人に誘われて温泉に行くことにした。音楽と同様、外気もきっと清々しさをささやくようにぼくらの頬をなでてくれるだろう。今日の花言葉は「イカリソウ」で「あなたをとらえる」だそうだ。うれしいね。

やさしいタイガー


言葉で人格が出る

2007-03-19 17:04:19 | ブログ

 人によるのか、北海道独特の風土から出るのか、どうも使う言葉に違和感を感じることがある。それはローカルな言葉のことではない。先日、しばしば商売上で立ち寄ってくださる人との対話で、ちょっと驚いたことがあった。娘は今遠方に住んでいるのだが、以前に帰宅したことを話題にして話していたときのこと。

 「家の娘がこの前帰ってきてね」と話すと、その人「エッ、帰ってきたの?」と応答した。普通なら「お嬢さん」か「娘さん」など相手に対して敬語を使うのが常識なのだが、これには驚いた。これはまあその人によるとみたほうがいいのだろうか。

 時々、思わず、その人の顔をみて、こんな高名な人が、と見つめてあっけに取られる低さを感じさせることもしばしばだ。言葉は大事だ。言葉は人格を表す。人のことをとやかく言えるほど豊かな表現力を持っているわけではないが、使う言葉で長く付き合えるかどうか判断が付く。もちろんTPOは考えなければならないが。美しい言葉を使う人は人柄も美しいように思う。ぼくもそうありたいと思う。

やさしいタイガー


イチヂクの実がついた

2007-03-16 19:13:39 | ブログ

 朝、すっかり日は昇っていた。妻がいつになく朝から「パパ、ちょっと来て!」と呼ぶので、ぼくはまた家の模様替えの手伝いか、と気の無い返事をしながら呼ばれたところに行くと、「ほら、みて。イチヂクの実がなっているわ。これとこれ」と2つ3つ指差すほうをみると、なるほどマッチ棒の先の丸い部分ほどの実がついている。ついでに隣の木にはみかんの実がわかるほどの大きさに成長している。この寒い部屋の中でけなげに実をつけるいのちのたくましさに、日ごろあまり関心を寄せないぼくもさすがに感動した。

 室内のイチヂクは秋ごろに大きく実がなり、食べごろになるのではないかと思うが、この寒冷地で米粒ほどの実がなったのも、ちょっと高いところにおいていたことが適温だったのかもしれない、と妻は言う。秋には食べごろになるのかどうかはなんともいえない。でも寒さに耐えて自然に育まれていく木々や草花のいのちの輝きの不思議さを教えられ、それだけ季節が移り行く証でもあろう。

 大事に育てて見事な実をつけるのをそっと見続けることにしよう。

やさしいタイガー


リスナーのメール

2007-03-16 18:45:14 | ブログ

 このところ毎週月曜日午後2時から放送している「人の絆を創るために」の中で、リスナーから簡潔にその場で感じたことを手短に書いたメールを頂くことが増えてきた。有り難いことだ。まるでリスナーとぼくが対話をしているような感じで、「あなたの放送を聴いていると落着きますよね~」とか「そうですか、あなたもそう思いますか」などと共感のものや、「選曲がいいですね」「ほんとうに癒されます!」などなど。

 時には「夫婦円満のコツって何ですか」などギョッとするような質問を頂くと、はっと我に返って、さてうちはどうかな、と自問する。どなたのご家庭でも同じだと思うが、喧嘩もするし、長話をすることもあるし、静かに終日それぞれの時間を過ごすこともある。だいたい自宅にいれば、なんだかだと机に向かっている。時々入ってくる電話やFAXの「音」を聴くが、いたって静かだ。

 ふと机を離れてコーヒーを作る。もちろん妻の分も作るので、子鍋に残しておく。プーンと鼻に付くコーヒーの香りを確かめつつ、ふと目の前の窓の外を眺める。流れる雲は早いが陽射しが春を語っているようだ。ちょっとした幸せ感が漂う。これを至福のときと言えば、小さな至福だ。

やさしいタイガー

 


改札口で駅員の挨拶

2007-03-12 18:34:00 | ブログ

 家から徒歩で約15分ほどのところに地下鉄の駅がある。どこに行くにしても便利な線だ。もう2年はなるだろうか。毎朝駅員が改札口の横に立ち、カード入れる客に向かって「おはようございます」と挨拶を続けている。ぼくは応答するのだが、たいていの人は黙って通り過ぎていく。不感傷になってしまったのだろうか。「へえ、地下鉄の職員でもこうして毎朝立って挨拶するのか、大したものだ」と感心と清々しさを思う。

 今日も大通駅の中の乗換え口に女性駅員が立ち、元気よく挨拶をしていた。今までは丁寧な機械の挨拶を受けてきたから、まさか機械に向かって「どうも」などいうと”この人おかしいのではないか”と言われるだろう。銀行もこのごろはATMなどの機械で済ますために、コンピュータが心のこもらないお礼を言ってくれる。銀行の中で所要をしようとすると、長い時間待たされてしまう。「近頃の若い者はあいさつもしない」と嘆きの声を聞くがそれを教育のせいにするのはどうか。そんな無味乾燥な社会にしてしまった社会の中核者たちは、的確な助言をする人格と妙案を持っているのだろうか。

 地下鉄でちょっと考えさせられた一幕だった。

やさしいタイガー