ブログ人 話の広場

日頃の生活のなかで見つけたことなどを写真もそえて

2009-02-25 17:26:47

2009-02-25 17:26:47 | 日記・エッセイ・コラム

恐らく映画好きの方なら、もう何年も前にご覧になったかもしれませんね。「巴里のアメリカ人」と「雨に唄えば」この2本観てきました。1951,2年の作品で特に「巴里のアメリカ人」はアカデミー賞をとっている人気の高かった映画です。前者はなかなか売れない画家志望のアメリカ人がエコール・ド・パリを目指すのですが、愛くるしいダンサーに人目惚れ。ジーンケリーの歌とダンスと、そして見事なタップは魅力的でした。後者もよく似たないようですが、ハリウッドのブロードウエイがトーキーの制作やスタジオを見せてくれます。「singing in the rain」が流れ、とても懐かしい曲でしたね。これもジーンケリーの明るいキャラクターが見事に出て本当に楽しい映画でした。

 日本はちょうどそのころ、敗戦の痛手の中で今日の食事にも事欠く時代を迎え、娯楽などというものはごく限られたものしかない時代。アメリカは戦勝気分だったかもしれませんが、とにかく戦争が終わったという開放感が環境の違いはあってもどこか人の歩む先に希望を抱かせるような作品です。みんなの表情がどこか明るい。

 しかしそれから50年すっかり疲弊した現代社会は、人と社会を結ぶ絆が切れたようです。国会議員や会社の社長の冴えない表情、それでなくても暗い顔をした人たちの多い政界の要人たちの顔を見ていると、希望などという言葉がむなしい死語のように思えてきます。たまにはこんなオールディーズから元気をもらおうなんて、ちょっと寂しい世の中ですね。

やさしいタイガー


子どもにかける小柴昌俊先生

2009-02-22 14:59:23 | 日記・エッセイ・コラム

 土曜日は猛烈な吹雪で町を歩くことが悲しくなるほど辛い一日でした。そんな中でのロータリーの大会が開かれ出席してきました。ゲストはノーベル物理学賞受賞の小柴昌俊先生。飛行機が着くのか案じてお待ちしていた最中、ゆっくりとして足取りで会場にお入りになりました。早速例の「ニュートリノ」のお話をポインターを使って私たちにも分かるように心くばりをしてお話くださったのです。それでもよく理解できなかったのは凡人の知識の低さゆえでしょうか。

 講演テーマは「心に夢のたまごをもとう」といういたって優しいテーマでしたが、その話でとても大切な話をされました。先生は2003年「平成基礎科学財団」の創設されました。理科嫌いな子どもたちが少しでも好きになり興味を持ってもらいたいと財団を立ち上げられたのです。でもそのためになんと1億円が必要だという。多くの周囲の人は「そんなことはやめたほうがよい」とそっけない返答。だから応援にならないわけです。でも先生は一計を按じて国民一人1円、団体1年10円という会員制度をしかれたのです。そうしたら何とある自治体はその人口分の会費を送ってきたそうです。それから続々と支援の輪が広がったというお話を伺いました。

 先生が受賞後天皇・皇后様の前でご進講された中に財団の話をされたら、黙ってお聞きになっていた両陛下が後日宮内庁を通して「ご下賜金」として二人で金2円があったそうです。なるほど国民として会員になられたから2円が正解です。そしてプラスすること20年分の個人会費を含め、合計「20,002円」が送られてきたそうです。なんとユーモアのある両陛下でしょう。小柴先生は周囲の心配をよそに、時間をオーバーし、お帰りの飛行機の事も気になさらず、静かに話のまとめをされました。「人はやろうと思ったことはやめようとしないことだ」「将来自分のやりたいことを心に卵として抱いていなさい。そうしたらいつか卵から還る日がある」とのメッセージをくださいました。とても感動的でした。先生は今76歳だそうです。若者と同じように心に卵を抱いておられると思うと、聴き手の僕たちも大きな勇気を与えられました。

やさしいタイガー

小柴先生のHP http://www.hfbs.or.jp


話の間のとり方は音楽

2009-02-18 10:50:47 | 日記・エッセイ・コラム

 昨日僕の所属するクラブで小さなスピーチをしました。20分ほどの短い時間なので内容はいささか舌足らずの感は否めません。例会後、大先輩とお茶を飲みながら、「今日の話はとてもよかったよ。」「実に心にジーンと沁みるような話だった」と身に余る賛辞をいただいたのです。そのとき、音楽の権威者でもあり著名な大先輩氏は「話のトーン、間の取り方、話の展開など、これは全く音楽に似ている」という話を承りました。

 音楽は指揮者やプレーヤーの表現の仕方で曲想に大きな変化をもたらすと話され、「ここが聞かせどころ」というときの表現力も心得ているものだ」と話してくださったのです。そして「話も全く一緒だね」と感嘆するかのように僕のスピーチに対して嬉しいコメントをいただきました。

 帰り際、「今日はぼくが支払いますから」と潔くいって背広のポケットを探ったら、財布がない!こんな日に忘れるなんて、なんというドジ。結局は先輩氏に救援していただく始末。せっかくの心地よい話を台無しにして申し訳ない気分になって分かれたのでした。

やさしいタイガー


母の想い出

2009-02-16 10:48:01 | 日記・エッセイ・コラム

 今日16日は、14年前に母が83歳の生涯を閉じた日です。といっても皆様にとっては特別の日ではないでしょう。1995年1月17日といえば思いだしてくださるかもしれません。そう「阪神淡路大震災」のあった日です。ちょうどその1ヵ月後に震災の影響を受けた母は逝きました。恐怖と不安と寒さ漂う院内の風邪が遠因でした。我慢しつついのちを閉じたのだろうと想像しています。

 急遽駆けつけ再会した母は、もう永遠に開かない目を閉じ、長い間の労苦から開放されたかのように平安な表情をしていました。ぼくの心は、多くのことをしてもらいながら、何も母を喜ばせることをしなかったことへの悔いで乱れました。じっと顔を眺めるだけでした。僕にとって身内の死に直面するのは50年ぶりくらいの出来事です。

 思いのほか多くの方に見送っていただき、かなたの世界へと旅立っていきました。もう14年もたちます。その間に相次いで父を送り、そして昨年の大晦日は実の姉も両親の下へ戻りました。今日の放送は母の存在の大きいことを話そうかと準備しています。サトーハチローの「小さな母さん」という詩と共に。81.3mhz・FMさっぽろ村ラジオ 午後2時「人の絆を創るために」の放送にちょっとお耳をお貸し下さい。プレゼントも用意しています。

やさしいタイガー


思いがけないプレゼント

2009-02-14 11:12:53 | 日記・エッセイ・コラム

 昨日JR札幌駅の6階でレストランを経営する社長が「お昼をご一緒に」とお誘いくださったので友人と出かけました。すでにテーブルで待っていてくださった社長とはちょっとしたご縁で親しくなった方です。ぼくはこの6階をしばしば歩くのですが、いつ行ってもどの店も賑わっていてとても待つ気になれず、つい下に降りてしまっていました。店はお昼時、どのテーブルも楽しそうなお客で一杯でした。すっかり長居したので、このあたりで、と帰り仕度をしているときでした。

 「よかったらこのチケット(食事券)放送のプレゼントに使ってください」と高価なセット券が差し出されました。僕も厚かましくリスナーの当選者の笑みを浮かべながら、ありがたく頂戴しました。来週の放送あたり聴いていてください。81.3mhz「FMさっぽろ村ラジオ」月曜日午後2時の放送です。僕はこの方とはまだ3回ほどしかお会いしていないのです。

 しみじみ思いました。人は出会う回数の多少で関係ができるものではないと。関係の深さにあると気づかされました。一度会っだけでもずっと交友が続く場合と、しばしば会っていても上辺だけということもあります。人間の関係を築く絆はやはり信頼と謙遜、利他の思いを抱くことかなと、今日もまた学びました。

やさしいタイガー