ブログ人 話の広場

日頃の生活のなかで見つけたことなどを写真もそえて

ここまできたかお犬様

2008-09-30 10:50:19 | 日記・エッセイ・コラム

 とにかく唖然としたというのが、ぼくの偽らざる思いです。犬を飼っている人には怒られそうですが、世の中ここまできたか、と呆れ返るニュースを知りました。まず某有名な茶道の茶室で犬と一緒に参加した裕福そうに見える犬主の夫人が犬を横に座らせ、生真面目な表情で正規のお茶を頂くのです。その間犬はおとなしく待っている様子です。一服終わると今度はお犬様にも茶菓子が振舞われるのです。

 もうひとつは最近犬の引きこもりがふえてきたのか、まるで犬の集団見合いのように、犬友のいない飼い主同士が誰かの呼びかけでしょう。こうした場に連れてきて引き合わせて仲良くさせるのだそうです。ニュービジネスにする人の発想に感心させられますが、むしろ飼い主が犬とだけ独り言を言って楽しんでいるうちに自分に友人がいないことに気づいたのかもしれません。荒れる日本の中でここだけは別世界のように「平和」なんでしょうか。

やさしいタイガー

 人馬一体ということはよく聞きますが、人犬一体ってあるのかもしれませんが、犬はどんな気持ちなんでしょうね。ふと「りんごの歌」を思い出しました。リンゴを犬に置き換えて唄ってみたらどうなるでしょうか。哀れな表情を見せる犬でも人の気持ちが分かっているのかもしれません。それにしても盲導犬の毅然とした行動に心打たれます。


引き際

2008-09-28 11:52:25 | 日記・エッセイ・コラム

 ダイエーの王 貞治監督が50年のユニフォームを脱ぎ、いわば現役を引退すると発表しました。号外まで出たといいます。爽やかなスポーツ選手の引退の声に「ご苦労様」と言いたい思いがします。政界でも同じ頃小泉純一郎氏が次期選挙に出ないと引退を表明、次男を後継者にすると発表。そうかと思えばたった5日間だけの職を辞した人もいました。何のために重職に就いたのでしょうね。

 惜しまれながら辞めることに引き際の美学を感じるという人もいます。その一方いつまでも立場にしがみつく人に引き際の拙さを指摘されがちです。それにはそれなりの理由もあるのでしょう。とやかくはいえませんが、自分の問題として考えてみたとき、自分の引き際ってどうすることだろうかと考えてしまいます。

 重責を担う人の中には、だんだん周囲の声を聞かなくなって、いつのまにか裸の王様になっていることに気がつかないトップが多いようです。引き際って美学で考えるのではなく、いろんな状況から己に問い、周囲の声なき声を受け入れて身の処し方を考えるのはどんなことをしていても常に考えておくべきことでしょうね。

やさしいタイガー


それでも中山大臣必要なの?

2008-09-27 17:55:11 | 日記・エッセイ・コラム

 北朝鮮拉致問題で何とか努力している前中山拉致担当大臣の夫の国交大臣の中山さん、どうも懲りていないのか連日の失言が続きます。今度は「日本の教育をだめにしたのは、組合があるからだ。組合を解散させなければならない」と強行失言。これは謝って済むわけにはいかないのではないでしょうか。

 国家をリードする重職にあるものがなぜこんなに軽々しく言い切ってしまうのでしょうか。もちろん何を言っても自由だが、立場をわきまえることも出来ず、不勉強な発言をして失笑を買うような人物を大臣にするほど人材不足なのかもしれません。国民として恥かしいですね。

 多分発言は大臣の本音であることは間違いないでしょうから、上っ面だけで謝ったとしても誰も信じないでしょう。 実に情けない話です。近く総選挙があるとの噂があるというのに、それでもこんな人物のいる政党に日本の未来を託してよいと考えている国民が多くいるとしたら、どこか焦点が合っていないのではないでしょうか。中山大臣お辞めになったら?

やさしいタイガー


先達の言葉の重み

2008-09-27 09:07:18 | 日記・エッセイ・コラム

 ぼくは、毎朝食後コンピュータを開き、その日のメールをチェックして必要な相手の方にはすぐに返事を出し、また読みたい情報をまとめてファイルするというのが午前中の日課になっています。時にはもう何年も会っていない人からのメールは、時の流れがあることを十分承知しつつも、まだ若かりし時しか浮かんでこない顔を思い出して懐かしんでしまいます。

 ところで毎日送られてくるメルマガの中に「二十世紀の言葉」というメールが届きます。これは世界中の各界の著名な方の残した言葉を紹介しているものですが、今朝はソニーの創業者井深大氏の味わい深い言葉が紹介されていました。「いかに生活が便利に豊かになろうとも 信頼感の欠如した社会に 人間が平和で幸福に暮していけるわけがありません」。

 確かに今の社会は不信感が渦巻いているようです。あれほど信頼を置いていた昨日の友が豹変して今日敵になるという現実はしばしば起こりうることですね。それによって友を失い、それまでの信頼を一夜にしてなくしてしまいます。改めて「信頼」の言葉の重みを噛み締めて、失った友を赦せるか考えてみたいものです。

やさしいタイガー


芸術の秋スタート

2008-09-25 18:43:13 | 日記・エッセイ・コラム

 秋ともなるといろんな楽しみが待っています。何といても秋の豊かな料理でしょうか。熱燗できゅっと一杯やりながら芸術談義でもやれば、それはもう最高。というような高尚な話題では酒もあまりうまくありませんかな。

 仲間と開いた「秋の文化展」は予定通り23日に終わり、大勢の方がひっきりなしに来館され、愉しんでくださいました。ぼくの作品をじっくり眺めてくださる方がいると、つい側によって絵の解説をしたくなります。日ごろ美術館で解説している癖ではなく、多少自分の作品を際立たせたいという下心からでていて、自慢げな自分に気づいて恥ずかしくなってしまいました。

 それにしても鑑賞するといった静かな環境には程遠く、来館者からいただく差し入れをつまみながら、丸いテーブルはいつも話と笑いに包まれ、何と賑やかな会場だったことでしょう。それにしても美術の鑑賞もさることながら、様々な方々との久しぶりの再会や互いに見知らぬ方を紹介しあって出会う楽しみの方が大切だなあとしみじみ感じ入った芸術の秋の一こまでした。

 ご来場くださいました方、本当にありがとうございました。また来年をめざして???。

やさしいタイガー