ブログ人 話の広場

日頃の生活のなかで見つけたことなどを写真もそえて

今の日本を考える

2013-09-24 11:53:02 | 日記・エッセイ・コラム

 ちょっとオーバーな表現だが、毎日の新聞を読みながら今の日本はいったいどうなっているのか、僕なりに探ってみました。先行き不安の政治の世界のあれこれ、オリンピックの東京開催に向けての問題点、国際社会のとてつもない対立と駆け引き、福島原発の処理を巡る対策の不備など、抱えている問題が多すぎて、どのように解きほぐしていこうとするのか、市民として気にかかっています。<o:p></o:p>

 もちろん、暗いニュースだけでなく、明るい話題も決して少なくありません。例えば、佐賀県の武雄市は、教育は学校からという概念を取りはずし、自宅で十分な自習ができるように、と小学校低学年にタブレット型端末機を全員に貸与して先生と生徒の間で課題を共有する試みを始めたそうです。<o:p></o:p>

 情報社会の利点を巧みに取り入れ、子どもたちの興味をうまく引き出しながら、学習意欲をかきたてようという挑戦は、学校教育の在り方を予見するようにも見えます。来年には全校生にこの機種を持たせるそうです。<o:p></o:p>

 一方では産業界も様々な新技術を開発し、深める努力が続けられています。ことに中小企業の持つ細密で高度な技術をいろんな業界に生かせないかという挑戦が続いています。水資源の開発、漁業や農業分野での現場での新しい試み、医学・科学分野での開発などは、儲ける事ばかり追求しようとする企業とは違う野心的な活動に見えます。<o:p></o:p>

 いつまでも拝金主義で推し進めることを良しとしない、成熟社会の到来が見えてきそうです。そこには何よりも人と社会に献身的な貢献が問われる時代になってきているという実感があります。<o:p></o:p>

 次に2020年のオリンピック東京開催にまつわるニュースです。 あと7年後に向けて関係者たちは鳩首を集めています。浮上している多くの計画が理にかなっているのか、冷静に見つめる人たちが結構見られます。人間の知恵は深いようで案外粗末なところがあり、興奮冷めやらぬ思いだけでは決して良い作品は生まれません。<o:p></o:p>

 開催に向けての準備だけでなく、終了後どうなっているのか、という課題も忘れてはなりません。しゃにむに賛成し成功させたいと意気込む姿勢はよくわかりますが、あまり景気の良いことばかりのアドバルーンを上げていては、世界から物笑いになりかねません。<o:p></o:p>

 その勢いの陰に隠されてしまいそうな課題、例えば東日本の復興は確かなのか、大言壮語した原発事故の汚染処理やその他の課題は、本当に言葉通り問題ないのか、多くの国民が疑っている現実を明らかにしてこそ、喜びを持ってオリンピックを通して安心して世界からのお客様を受け入れることができるのではないでしょうか。

 政治が前面に出る一大行事だけに、ごまかしが見透かされるような行動は現に通信でもらいたいと願う一人です。今の日本の一断面を考えてみました。

やさしいタイガー


山と人生のきずな

2013-09-10 18:08:43 | 日記・エッセイ・コラム

 先日、僕が担当する放送番組のゲストに来てくださったのは、今もなお山の魅力に惹かれて活動される札幌市内に住む先輩でした。Hさんとは年に2,3回会食をしながら世間話をする間柄ですが、登山家として数々の山を登攀された経験をお持ちで、しかも日本山岳会の副会長もされた方です。

  それだけに尽きぬ話は面白く、日頃知る機会のないものにとっては興味深いものでした。Hさんは大正6年(1917年)に創業された道内でも屈指のスキー製作会社を営んでおられた方で、多くのスキーファンもお世話になったかもしれません。いまでは自宅を開放して往年のスキーの代表モデルなど約30本を展示する展示室をオープンさせ、一般に無料公開していると伺いました。

 

  地元で育ち、自然とともに生きてこられたHさんは、東京の大学に進学され山岳部にお入りになり、主に国内の山々を次々と制覇されていきます。

 やがて桑原武夫教授をリーダーとする京都大学山岳部が日本で最初のチョゴリザ登攀を馬頭すということになり、このチームに招かれます。総勢10名程度のメンバーに200人近いポーターに支えられ頂上に足します。1958年23歳の若きHさんでした。7500m級の山です。

  印象に残った話があります。多くの登山家がエベレストなど最高峰をめざし、頂上に立つという快挙を知りますが、本当に立ったのかどうか疑いたくなるのが素人の勘繰りです。Hさんは山に登るということは紳士である。頂上に立ったかどうかは自己申告であり、自己責任であることを自覚しているといわれました。 

 

  なるほどそうなんですね。                                  マルローという登山家は1928年、8500m級のエベレストの頂上に達しますが、頂上近くになって霞がかかり、下から見上げていたチームが登攀したかどうか確認をとれないまま、帰らぬ人となってしまったのです。マルローは、長い間未確認ということになっていましたが、後年アメリカチームが彼の経路辿っていたときに8400mあたりで遺体を発見し、胸のポケットに入れてあった夫人の写真で確認したというエピソードを聞きました。ついに頂上に立てなかったのです。厳寒の環境に姿かたちはそのまま残っていたそうです。

  そのマルローが言った言葉がすごいです。なぜ山に登るのかという問いに対して「そこに山があるからだ」と答えたそうです。大変有名な言葉です。それより早く1905年に発足した日本山岳会はやがて山や自然に関して数々の貢献をしてきました。皇室もまた歴代山に親しんでこられたようですが、皇太子はことのほか造詣も深く、今も山岳会のメンバーだそうです。 

 

  一見優雅に見えますが、過酷な環境に挑みながら頂上に立つ喜びは、山に登った経験のないものにとっては味わうことのできない醍醐味なのでしょう。放送は実に楽しいものでした。

 やさしいタイガー<o:p></o:p> 

 

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2020年開催のオリンピックに東京が

2013-09-10 18:04:10 | 日記・エッセイ・コラム

 日本時間で9月8日朝5時、ヴェノスアイレスで開かれていた2020年のオリンピック開催地が東京に決定したことをロゲ会長は宣明しました。現地の日本代表者だけでなく、東京でのイベント会場の人たちは涙を流して歓迎しました。ぼくもこの瞬間、よかったと思いました。<o:p></o:p>

 同時に他の候補地のイスタンブールやマドリードはさぞ落胆されたであろうことを想像すると、東京はこうした人々の思いも組んで受け止めることが大事だと思いました。NHKの元スポーツアナウンサーだった方がコメントしていた言葉がとても印象的でした。<o:p></o:p>

 決定して2,3日は浮かれてもよろしい。しかし、そのあとは世界に向けて発信したことを誠実に実行することが大事であり、単に東京だけ潤えばよいというものであってはいけない。東北の人々の思いを十分受け止め、開催によって復興が遅れることのないよう注視することが国民の義務だとも発言されていました。<o:p></o:p>

 これからの課題は何か。もちろん関係者は怠りなく準備を進めることと思うが、関心を持つ一人としてこんなことを考えます。何より、世界に日本人のもつ特性をいかんなく発揮することです。そのためにボランティアマインドを存分に作り上げてもらいたい。すべて経済的な側面だけを強調されるきらいがありますが、予算的や計画はどんどん膨らみ、国民を圧迫していくことは大型の予算計画が必ず陥るワナです。<o:p></o:p>

 また巨額の資金が動くということは、不正や汚職、談合や政治や官僚の圧力、さらに献金をねだる危険分子が発生する土壌を造りやすいのです。資金が膨張するとゆがみが起きます。過去そうでした。しめたと思っている企業や関係者が多いことも見逃せません。<o:p></o:p>

 監視体制をしっかり敷くことを願いたい。また東京だけに恩恵が届くのではなく、この際東北の惨状を早く解消する必死な取り組みが必要です。そのために情報機関は、冷静に東日本の現状の変化を忠実に報道することを期待したい。阿部さんが世界に約束のように発信した言葉は、東北の人々に先に行っておくべきことだったように思います。この言葉が開催に向けたパフォーマンスとならないことを願いたいものです。<o:p></o:p>

 コラムニストの天野祐吉さんは、経済面だけを強調することに批判しています。スポーツ文化をさらに醸成する姿勢が重要だといわれています。そうだと思います。とかく日本は文化観に乏しく、予算も少ない。この際、縦割りや縄張り意識を放棄して、純粋な思いで世界から評価される道筋をたどってもらいたいものです。<o:p></o:p>

 平和とはこういうことだという姿勢を貫くことが東京開催の理念であるよう期待します。

やさしいタイガー


暗い9月の幕開け

2013-09-01 09:08:33 | 日記・エッセイ・コラム

 オールディズに「セプテンバー・ソング」という歌があります。気だるい感じのするスイングな曲ですが、何となく木の葉の舞い落ちる風情を思い出させます。今年の夏はかなり暑い日が続き、時には気象台始まって以来とか、集中豪雨、竜巻、河川の氾濫による水害など、各地は荒れ狂う日が多かったような気がしています。1日もどんより曇った朝でした。<o:p></o:p>

 

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札幌も結構暑い日が続きました。それでも他地域に比べると、適度の暑さだったのでしょうが、やはり暑いことは暑いのは間違いありません。友人からいただく暑中見舞いの中には、残暑お見舞いというのもいただきますが、8月の半ばを過ぎると、こちらの朝晩はひんやりして北国の夏の短さや足早に秋の訪れを感じ、残暑感は急速にしぼんでしまいます。<o:p></o:p>

 

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札幌に住んでもう28年ほどになり、すっかり気候になれてしまったので、本州あたりのムシムシする暑さを思い出す感覚が鈍ってしまいましたが、反面これから向かう寒さにはいささか恐怖でもあります。<o:p></o:p>

 

なにしろ、雪の道を滑って骨折でもしたら、これからの人生台無しになる、とか行動が極度に半減してしまうなど、マイナスのイメージしか浮かんでこないからです。<o:p></o:p>

 

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厳寒や雪を楽しむといった過ごし方は、体力や気力が整っている年代なら良いでしょうが、ぼくのような忌まわしい体験をした者にとっては、これから始まる長い冬にうんざりしてしまいます。そして暑い日の間でもあの鬱とおしい雪空を思い浮かべては、少しでも夏が長くあってほしいとさえ思う有様です。<o:p></o:p>

 

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秋というと、味覚や芸術、樹々の色鮮やかな変化を愉しんだりさわやかな空気を存分に吸い込み、野外で楽しむ時間の多い季節でもあります。北海道の秋はかなり早くやって来るだけに、何かせっつかれる感じもしますが、つかの間の過ごしやすい季節は、欲張ってでも楽しみたい思いになります。<o:p></o:p>

 

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さて今年の9月、何をして楽しむか。壮大な計画はないものの、やはり好きな水彩画でも描きながら楽しみな時間を存分にとってみたいなあ、と思っています。そんな中、サトー八ローの「小さい秋」という童謡を思い出しています。誰もが知っているこの歌、日本もこんなに風情のある家庭があったのだと思い起こしながら、はて、今の時代はどうなっているの?と憂いを感じています。

やさしいタイガー