ブログ人 話の広場

日頃の生活のなかで見つけたことなどを写真もそえて

ホームレス歌人の生き方

2018-01-29 13:04:01 | 日記・エッセイ・コラム

 札幌市内を走る地下鉄は3本あります。その内の1本に「東豊線」があり、東区を縦断する形で走っています。                                ぼくはこの線を頻繁に利用していますが、その駅の一つに「東区役所前駅」があって毎週のように乗り降りしています。                         この駅の構内にスチールの図書棚が置いてあって、だれでも自由に持ち帰ることができ、読み終えたら返すという、                                いわば駅弁ならぬ駅本があるのです。

 ぼくは時々拝借するのだが、中には優れ本があり、自分の蔵書にしたい本もあります。                                               先日電車待ちのわずかな時間に本棚をみていると、ちょっと興味をそそられた本があり、早速持ちかえって読みました。                            題名は「ホームレス歌人のいた冬」という本で、ジャーナリストの三山 喬さんがルポルタージュした本で読み応えがありました。

 一人の謎めいた人物が、ある日朝日新聞の「朝日歌壇」に短歌を投稿するのです。

(柔らかい時計)を持ちて炊き出しのカレーの列に二時間並ぶ”(ホームレス・公田耕一)。

 これが最初の投稿短歌ですが、高名な選者3人が☆印を付ける優秀作品になったのです。                                   選評した佐佐木幸綱氏は、「住所欄にホームレスとあった。柔らかい時計はダリの時計である。通常の時間とは違う                               進みかたをするのである」と表しました。

 ここには投稿者の深い知識人の様子を想像させます。それからというもの約9ヶ月の間次々投稿し、他の歌人からも                           注目を浴び、反応する短歌まで現れてくるのですが、このホームレス歌人は一向に表舞台には登場する事はありません                          でした。名乗り出てほしいと新聞にも呼びかけの記事が出されるのですが、全く反応はなく、やがてパタッと途絶えるのです。

 この本を書いた三山さんは元朝日新聞の記者だった人ですが、このホームレス・公田耕一を求めて2年もの時間を掛けて                          取材し、その経過を雑誌「望星」に連載するのです。しかしとうとう出会うこともなく、公田耕一現象は終わってしまいます。                      後書きに和歌山にお住まいの方の

伊達直人公田耕一その人を知りたくもあり知りたくもなし

を活用して終わっています。伊達直人とはタイガーマスク現象とまで言われた謎の篤志家が毎年子どもたちにランドセルを                    寄贈する人のことですが、トゲトゲした世の中で、どこかほっこりする話です。ぼくはこの本を読んで、教養豊かなこの歌人は                      今もホームレス住民なのか、気になりましたし、人にはそれぞれに他人には言われぬ事情があって一人になって生きようと                       する逞しさもあるものだと、どこか息苦しさもあるものの、爽やかな感じがしました。近いうちに返却しようと思っています。

やさしいタイガー


地域放送にかかわって600回

2018-01-26 15:41:06 | 日記・エッセイ・コラム

 ぼくが地域放送に関わるようになって、もう12年が過ぎました。回数も4月には600回を迎える予定です。                                    放送番組のタイトルが「絆を創るために」となっていますが、必ずしもすべて絆を意識してきたわけではあり                                   ませんが、そこはかとなく感じてもらえれば、との思いで取り組んできました。

 この間、ゲストとして出演した下さった方は193名にも及びます。中にはお目にかかった事もないのに、                                      いきなり電話で出演依頼をした方も含まれています。みなさん初めは躊躇される方も終わってみると                                       案外時間の経過が早かったと漏らす方がほとんどです。

 このような方の中には今も交友が続いていて、ありがたいことだと感謝しています。放送といっても                                         地域放送ではないか、と捉えられるかもしれませんね。しかし、私たちが住んでいるところは小さな社会です。                              その中の話題を拾いながら1時間じっくり話せる場などそうたくさんあるわけではないのです。

 地域放送はメジャー局と違い、足もとの話題を拾い、人々に語りかけるのが使命ですから、高度な専門家が                                     豊富な知識を披露する場でもありません。ぼくの放送はそうはいっても極少の硬派な物ですから、いわば                                   大衆向きではないかもしれませんが、今の時代のように、雲行きが怪しくなれば、自分に降りかかってくる                                    難問に沈黙するわけには行きません。

 それこそ、メディアが痛い目に遭わないためにも主張すべき事はできるだけ取り上げたいと思っているのです。                             手弁当のボランティアが朴訥に話をするのもいいではなうかと思いながら取り組んでいます。結局のところ、                                放送体験は、得たものが実に大きい事に、これはもう感謝しかありません。こんな超高齢者が毎週1回                                    マイクを通して話が出来るなど、ちょっと贅沢すぎるかもしれませんね。

 リスナーの方々には失礼なことですが、これはもうぼく自身のために用意してくださった神からの贈り物の                                   時間なのだとありがたく頂戴しているのです。生き続けるための「よすが」とでもいえるでしょうか。

やさしいタイガー


市民離れの雪祭り

2018-01-21 18:30:12 | 日記・エッセイ・コラム

 この時期は北国にとって最も寒い時期ですが、そんな時期だからこそ意味があるのだと                                                                                開催されているのが「さっぽろ雪まつり」です。第69回の「雪まつり」は2月5日から1週間                                               札幌失中央区の大通公園など数箇所で、賑々しく開かれます。

 今年は69回というのだから、69年前に開始された事になります。1950年、地元の                                                中・高校生が6つの雪像を大通公園に設置したことが きっかけでした。つまり当時は市民の                                          憩いのイベントだったのでしょう。雪合戦、雪像展、カーニバル等まさに冬と雪を楽しもうという                                           試みです。何でも記録によると、5万人あまりの人出で予想以上の大人気となりました。

 ぼくが札幌に来たのは、1987年のことでしたが、やはりこの雪祭りは楽しみでした。                                                 寒いのも足もとが悪いのも気にせず、丁寧にみて回り、感心したものでした。1953年には、                                           大雪像「昇天」がはじめて作られ、以後この巨大な雪像は自衛隊の隊員の手によって制作され、                                          きちんと櫓を組んで新鮮な雪を市内外から運び込んで制作するのです。

 これには見事としかいいようのない傑作で芸術品です。これを一週間溶けずに持たせるわけ                                             ですから、なかなか神経のいる作業です。こんなことを自衛隊員に依頼してよいのか気になる                                              ところですが、今や隊員なくして雪祭りは成り立たないのかもしれません。昨年には200万人の                                         人々が鑑賞したようでした。今年はどうなのでしょうね。

 でもちょっと気になるのは、市民の関心が薄いということです。近年には子どもたちが招かれて                                                                                          隊員と一緒に手伝ったり、製作過程を公開するツーリズムや壊す姿をみるツーリズムもあります。                                          ずっと寒さゆえに閉じこもってしまいがちなぼくたちを引っ張り出してくれる楽しさはありますが、                                              お気持ちはありがたくいただいておくといったところが本音ではないでしょうか。

 冬の風物詩である「さっぽろ雪まつり」が終わると北国にも春の訪れがやってくるような気がして                                       くるのです。「冬来たりなば、春遠からじ」ですね。

やさしいタイガー

 


首相、日本をどうする気か。

2018-01-17 19:12:45 | 国際・政治

 安倍さんの外遊は多いように見えますが、どうも国会も開かずあちらこちと出かける理由は何なのか、                                      いささか首を傾げます。誰かに聞いたジョークなのですが、自宅で世界地図を開きながら、昭恵夫人が                                        「ねえ、今度どこに行く?私行ったことのない所に行って見たいわ。たとえばバルト三国などどうかしら?」と                                   まるで物見遊山の私的外国訪問だ、と揶揄していましたが、むろん冗談でしょう。

 でもリトアニアにいった際、この地でナチスドイツからの弾圧を逃れて命のビザを発行した杉原千畝の                                      業績を讃えていましたが、千畝が任を終えて帰国した時、外務省は退職勧告をし、長い間そんな人物は                                     いないと嘘ぶいていたのです。日本政府というのはそんな姿勢です。

 「少しは楽しめましたか。総理。」「ところでどのようなご用でいかれたのですか。」「国会も開かず、寒空で                                ゴルフも難しいこのごろ時間も取れるでしょうに、毎日何しているのですか。」と聞きたいところです。

 先日は日韓条約の中の慰安婦問題で大揺れになっていましたが、お隣の大統領は条約は大事にするが、                                慰安婦と言われた人々の心の傷は癒しきれていない。日本はお詫びのメッセージをもらえたらなあ、と                                    遠まわしに話していました。これに対して日本政府の番頭役は、1mmたりともゆずりません、と冷たく言い                                  放っていましたね。国家間の条約ですから、たとえ秘密文書があったとしても面子に関わりますから、                                    曲がっても正しいというのが政治の常道ですから、それはそれでいいでしょう。いずれ歴史がはっきりする                                 時代がくるのですから。

 これにあわせるように最近の政府の発言はだんだん頑固になり他者を思いやる優しさがなくなってきたように                              思いませんか。どこかとげとげしくなっているように思えてなりません。ことに安倍さんになってからです。                                 昨年ノーベル平和賞を受賞した「核兵器廃絶国際キャンペーンICAN」に対して日本政府は祝福のメッセージも                             談話も出しませんでした。どうやら日本政府が使う「平和」というのは私たちが求める意図と真逆の事のようです。

 この組織の事務局長ベアトリク・フィンさんが来日した時、首相と会いたいと申し出ていたのに、調整が付かないと                          いう理由で面会拒否。ゴルフの時間は取れても仲良しの友達では無いからでしょうね。がっかりしたフィンさん、                                そんなことでは日本は国際社会から孤立しますよ。リーダーにはなれませんよ、と。

 「ほっといてよ、フィンさん。日本はアメリカを100%信用しているのだから。日本はアメリカさんに核の傘の下で                          守られているのだから、反対できると思ってるの?」と。」「でもね。本当にアメリカが守ってくれると思ってるの?                                トランプさんそれほど信用できる人なの? 抑止力になると思っているの?国民はそうは思っていないと思うけど。」と                          嘆きの声。

 よく今の日本政府のやり方をみていってご覧。アメリカから攻撃的武器を巨額で買い取る交渉をしています。                             元来攻撃的武器は憲法違反だと承知しているはずなのに、また恣意的解釈でディール扱いにするようです。                                 そしてアメリカを儲けさ、アメリカ第一主義のトランプを喜ばせることばかりしているようです。                                              あー嘆かわしい。こんな宰相をいつまで持ち続けなければならないのでしょうか。                                                  老いの愚痴ではありません。ぼくは本気で怒っているのです。

やさしいタイガー

 

 


虹と雪のバラード

2018-01-13 19:06:54 | 日記・エッセイ・コラム

 夜なかなか寝つけないのが悩みの種ですが、そんなこともあって以前からずっとそうしているのですが、                                  床に入ると、イヤフォーンでラジオ深夜便を聞きながら、いつしか眠れることを待ちます。                                              ところがたまに放送の中身に興味を示すと、眠ることより聴き続けようという気になって、結局はまさに                                         深夜まで聴きっぱなしということになってしまいます。

 先日がそうでした。出演していた詩人の方が、リクエスト曲にトワエ・モアの「虹と雪のバラード」をされ、                                  流れました。ご存知のように1972年の札幌冬季オリンピックのテーマ曲とも言える懐かしい曲です。                                      この詩人は札幌出身だそうで、真っ白な美しい雪景色が広がる札幌の街が、これを機会に変貌していったと                                    語っていました。

 作詞したのは札幌医科大学の整形外科の教授で詩人でもある河邨文一郎先生です。                                                「虹と雪のバラードの一番はこんな歌詞です。                                                                      ”虹の地平に歩み出て 影たちが近づく手を取りあって 町ができる美しい街が あふれる旗 叫び                                          そして唄 ぼくらは呼ぶあふれる夢に あの星たちのあいだに 眠っている北の空に 君の名を呼ぶ                                                オリンピックと” 

 この詩には直接アスリートたちを表に出さず、選手たちの影を描き、夢や恋も生まれる白い町札幌の                                                  発展を願う詩であると話していました。河邨先生をよく知るぼくは、生前の低音のよく透る声を思い浮かべ、                                      すっかりエキサイトして眠れない一夜となりました。                                                                        来月に開催されるピョンチャン・オリンピックの成功を祈ってこの唄をプレゼントしたい、そんな気分になりました。

やさしいタイガー