ブログ人 話の広場

日頃の生活のなかで見つけたことなどを写真もそえて

「あったこと」を「なかった」とは言えない

2017-06-23 16:14:23 | 国際・政治

 最近の報道機関によると、軒並みに安倍政権への支持が急激に下落した、と発表した。                                           いよいよ来るときが来たか、と民意の正しい意思が表れ始めたとも取れる記事だった。                                       この情報が今、そしてこれからどう変化していくのか、油断は出来ないが注視したい。

 安倍氏は国会で民進党の質問者に対してこう話した。「世論調査によりますと、私どもは                                   53%の支持をいただいております。民進党はご承知のとおりであるます・・・。」いかにも                                        野党に対して低いのだろう?と言わんばかりの返答をしていた。

 ところが昨今の政権・官僚間のやり取りを聴いたり見たりしていると、そうした野党への                                      上目線や非力をあざ笑うかのような、政権与党の思い上がりによって破れが出始め                                        鉄槌が打たれていることにまったく気づかないお坊ちゃま的ふるいが続く

 とにかく最近の国会議論はあまりにも稚拙で内容が不可解、閣僚たちの能力の低さ、                                    傲慢さが蔓延していて、さすがの国民もあきれ果てている。金田法務相に対して公明党の                                     議員は彼を賞して立派に共謀罪法案に道つつけたという。公明とのもを怪しいい。                                すでに数人の大臣の入れ替えをするらしいが、誰がなってもそもそも安倍政権自体の                              信頼度が下がっているのだから、うわべの姿だけではもう効果はあるまい。

 誰も本当のことを語ろうとしない。誰が正直な発言なのかわからない。みんな弁明に                                    窮している。根も葉もないことを国家で論じているわけではあるまい。天下国家に関わる                                     誇りある頭のよい役人が書いたのであり、私情で作文したわけもあるまい。

 文科省の前事務次官の前川氏は果実堂々とした記者会見した。いくつか衝撃的な発言も                                     あった。つまり官僚と政権との陰湿な上下関係があらわになった。前川氏は「あるものを                                    ないとは言えない。白を黒とはいえない」と事実を知ってくれと語った。勇気のいる話だ。

 指弾されそうな与党議員や政権、そして官僚たちは自ら弁明に終われているように見えた。                                       もみ消すように菅氏は鋭い眼つきで怒りを込めて個人攻撃に転じた。みっともない姿だった。                                      いままでの不適切な隠蔽的な発言に輪をかけて文科省から出た書類を「怪文書」といいきった。

 後日、文書が出てきたことに対して「あの時点では出所が明らかではなかったからだと                                    弁明した。確認もせずに相手を批判するのは、まさにトランプと同じ。フェイクニュースを                                      流しているのはどちらなのか。東京新聞の若い記者は菅氏に臆せず厳しい質問を投げ                                    かけていた。このくらいの勇気を持ち、十分な飼料を盛ってこそ聞けるのだろう。

 ジャーナリストはどんな人を言うのか。ワイドショウや報道番組でコメントする政治評論家の                                話は一般記事をなぞる程度で本当に自由や民死守主義をもまり、ただしく伝える力量を                                    もっているのか、このごろ信じられなくなってしまった。

 「しらない」 「ない」 「ださない」ともいえる「3ない」はもはや内閣の決まり文句になった。                                   前川さんも淡々としながらも「あることをないとは言えない」と事実を主張した。                                          その証拠類が次々出てきたのだから、やっぱり火の粉があったから何らかの煙がでた。

 「ない」という政府側のいい分に対しては文書はあったじゃないかと指摘されると当事者は                                    反論する立場はあって当然いい逃れが出来ない。そりゃそうだろう。適切な資料があり、                                      成否を確認するのは双方だ。知らない、ない、と言ってしまえばそれ以上進まない。                                    野党もそんな状況は知っているはずだから、ほかに戦術はないのか、検討すべきだ。                                

 知らない一点張りを押し通すことを「白を切る」とも言われる。下落した信任がいずれ回復                                       すると過去の例からそう読んでいるのんきな議員もいるらしいが、しばらく死んだふりを                                        しておこうと悪知恵だけが妙に冴えて時を待って生き延びようとしているのだろうか。

 少なくとも国会論議でみた、あるいは失言の多い人物は退場間違いないが、やっぱり                                大臣待ちの不遇?な人物が登場してくるのではないか。嫌いと光る議員が大臣に登場しても                                   飾りのような存在ではうまく行くはずがない。今度こそ、国民は欺かれないという気持ちを                                    もったのではないかと思う。いやも多ないといけない。

やさしいタイガー


粛々とそして汲々とする官邸

2017-06-11 07:41:54 | 国際・政治

 政府はしばしば「粛々」と言う言葉を発する。おすきなようだ。                                                       何をを言われようと淡々と前に向かって進めるとでもいいたいのだろう。                                                        この政権と官僚は、今もあわてふためき、官僚たちは何とか火消しに回って、                                                        それこそ官邸のご意向を伺いながら、「あるもの」を「ないもの」にすべく、それ                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        こそ徹夜の騒ぎで動き回っているかもしれない。                                                                                                                                                                                 

 だが想像する姿からは、とてもじゃないが、静かにまじめに取り組んでいる                                                       ようには国民には見えていない。むしろ野党から痛いところを、あるいは、                                                          わかってしまったか、とでも思っていいて、冷静な動きや誠実な対応する                                             精神状態かもしれない。

 それどころか、何とか事実を隠してとことん口裏を合わせて虚偽の解答を                                                     与えようと狙っているのではないか。政府関係者は、前川前文科事務次官の                                             告白によって慌てふためき、隠蔽する作業で汲々としている。一連の発言からも                                          実に醜い争いを起こしている。

 今後どのように展開するのか注目する必要がある。資料があるとかないとか、                                                都合の悪い資料は廃棄し、何も残っていないと盛んに突っぱねる政府や官僚の答弁。                                          一貫性もない。こんなことが続いてよいのだろうか。

 官房長官のイラつくような早口の答弁、威嚇すするような態度、ころころ解答を                                          変える姿には嘘を重ねるから応えづらくなっていることくらいは国民はもう見抜いている。                                       みんなどこまで「白を切り通す」つもりなのか、ほとぼりがさせてくると覚めてくるよ、と                                             高をくくっているかも知れないが、そうさせてはなるまい。

 納まるときを待てば、すべて元の鞘に納まるだろろうと安易に考え、国民を欺く行為を                                           いつまでも取り続けると、そのしっぺ返しは選挙に現れるはずだ。私たちは政府の下僕                                       ではない。それにしても追求してくれる野党の努力は結構なことだが、しかしこの問題の                                        追求のゴールは一体どか。森友も加計もそして浮上している新設大問題をどう決着を                                          つけるのか。国民に何を伝えたいのか、決してスキャンダラスな匂いも明らかにして                                        もらいたいし、教育のあり方、まるで戦時下の教育に回帰するかのような学校を認可する                                     怪しげな審議をしてもらいたい。

この機会に事実と真実を明らかにして政治との癒着に疑念を晴らすことこそ「官邸から                                           最高のご意向」を打ち消すことは出来ないのではないか。前川さん、身の安全は大丈夫                                          だろうか、と共謀罪がちらくのである。また違った手で官邸のご意向が働くような気がして                                     ならない。

やさしいタイガー

 


黒い森美術館で

2017-06-01 15:29:58 | 日記・エッセイ・コラム

 かねて一度行ってみたいと思っていた美術館にやっと行くことが出来た。                                                 「黒い森美術館」だ。なんだか謎めいた館名だが、そこは札幌中心街から                                                 車で約1時間の北広島市のうっそうと森林が広がる木立の中にコテージ風の                                                 小さな美術館である。

 ここにはエッチングや金属などで制作する彫刻家・渋谷栄一さんの作品を                                                所蔵しているユニークな美術館である。いかにも北海道そのもののイメージが                                                 漂う。広大な自然はダテカンバが幾重にも天に向かって伸びていて、木の間を                                               抜ける風はまるで囁いているように優しい。そして時折、どこかから鶯が呼び                                                 かける。そんな自然に包まれた美術館は、まさに知る人ぞ知るといった場所で、                                           やや不便ではあるが、心洗われる思いにさせてくれることは間違いない。

 都会にある美術館のような無機質な感じはまったくしない。この美術館は                                               週3日しか開館していない。また11月に冬眠に入り、次の年の4月までは閉館                                             という、のんびりした美術館だ。だが取り仕切る女性の館長さんは、「実はここ、                                                私が建てた自宅なんです」と笑顔で紹介いただく。「だからこれだけは自慢でき                                                るのです」と明るく語ってくださった。

 それにしても実によく練られた室内でどこからでも外の重厚な自然が見える                                               ようになっていて、緑濃い季節にはきっと癒されるだろうなあと想像して聞いて                                           いた。おそらく全国にはこんな美術館はないのではないか。参観したのは口で                                             詩画を書く星野富弘さんの聖句展であった。

 星野さんは群馬県出身の元中学校教員だった人で指導中に誤って体を損傷し、                                              それ以後四肢が使えずに壮絶な人生を余儀なくされるが、不自由さを強いられ                                            つつも、屈することなく信仰に裏打ちされた人生観に基づき、口で詩や絵を描く                                            ことで多くの人々に深い感銘を与えた人である。

 水彩画を描く仲間たちとちょっとした遠足気分で見てきた。北海道の風は今、                                             最も癒される季節になったのである。

やさしいタイガー


教え子に教えられ

2017-06-01 13:46:47 | 日記・エッセイ・コラム

 最近、思いがけない人から手紙をいただいた。旧姓Kさんからのものだ。                                                 といってもKさんを思い出せるのは、もう55年位前のかわいい中学生の女の子                                            だったことしか、思い浮かばない。もう忘れられても不思議ではない私、そんな                                             教え子からの手紙である。

 「先生、私のことを覚えていてくださっているでしょうか。私は先生のこと、忘れる                                          ことはありません。S学園中学校でお世話になった生徒です。・・・昨年11月26日に                                       同窓会が開かれ、・・・住所を教えていただき、私が元気でいることだけでもお伝えし                                          なければと思って」ということが冒頭に書かれていた。

 「先生が言ってくださったことで私が今も守っていることがあります。                                                 『Kさん体調がよくなっても、君はもう一日余分に休養したほういいよ』と良く言って                                      くださいました。今も守っています。」と。Kさんはおとなしそうな色白の少女で、いつも                                     スカートのギャザはしわひとつないきれいに着こなす生徒だった。ただ気になるのは、                                       心臓が弱く、時々学校を休む生徒であったので多分私は気遣って言ったのだろう。

 Kさんは今では孫をもち、ゆったりとした日々を送っているようである。気になる心臓も                                        43歳のときに手術を受け、今は安定していると書いてあった。そして「私が元気でいる                                       ことと、先生が病院でご馳走して下さったトマトジュースの味が忘れるられない懐かしい                                      私の好きな味であること、先生の教えの中のたった一つのことは忘れずに守っている                                       ことをお話したくてお便りを出そうと思いました。」と閉めてあった。

 一つ一つの出来事は今はもう思い出せないが、あの時代のことを走馬灯のように                                     次々と思い浮かび、涙が出るような興奮を覚えた。もうおわかりのように私はこの                                        S学園の教師をしていた。しかし赴任してたった1年2ヶ月で病のために退職せざるを                                        得ない事態になったのである。

 入院中、子どもたちはしばしば遠い病院まで見舞いに来てくれていた。今思えば危険な                                    病に伏す病院に親御さんはよく行かせたものだと改めて感謝の思いが募る。                                            わたしはその後この子どもたちとは一度も再会せずに今にいたっている。一人ひとりに                                     何を語りかけてきたのか何一つ覚えていないが、このKさんにそう語りかけていたとすれば、                                 私が高校生のときに2年間も病の床にあり、生きることに消極的になっていた経験から                                       そういったのかも知ない。

 昨今の教育界は退化しているようにしか見えない。先生が心から生徒や児童のために                                     一身をささげようとする志を奪い取っているのは、中央官庁の教育行政にあるのではないか。                                 苛酷な環境や教員への抑圧は未来を妨げている。一人ひとりの子どもたちに愛情を注ぐ                                       ゆとりがなくなっている現実にもっと真剣に目を向けるべきだ。わたしが優れた教師だった                                      わけではない。もしかして本気で貫き通そうとする教育信念だったかもしれない。

 私はいまは81歳になった老人だ。彼らがどんどん踏み越えて立派な人生を歩んでいる                                      ことを知るだけで、よき時代だったと今は感謝の思いで懐かしむことが出来るのである。

 やさしいタイガー