最近の報道機関によると、軒並みに安倍政権への支持が急激に下落した、と発表した。 いよいよ来るときが来たか、と民意の正しい意思が表れ始めたとも取れる記事だった。 この情報が今、そしてこれからどう変化していくのか、油断は出来ないが注視したい。
安倍氏は国会で民進党の質問者に対してこう話した。「世論調査によりますと、私どもは 53%の支持をいただいております。民進党はご承知のとおりであるます・・・。」いかにも 野党に対して低いのだろう?と言わんばかりの返答をしていた。
ところが昨今の政権・官僚間のやり取りを聴いたり見たりしていると、そうした野党への 上目線や非力をあざ笑うかのような、政権与党の思い上がりによって破れが出始め 鉄槌が打たれていることにまったく気づかないお坊ちゃま的ふるいが続く
とにかく最近の国会議論はあまりにも稚拙で内容が不可解、閣僚たちの能力の低さ、 傲慢さが蔓延していて、さすがの国民もあきれ果てている。金田法務相に対して公明党の 議員は彼を賞して立派に共謀罪法案に道つつけたという。公明とのもを怪しいい。 すでに数人の大臣の入れ替えをするらしいが、誰がなってもそもそも安倍政権自体の 信頼度が下がっているのだから、うわべの姿だけではもう効果はあるまい。
誰も本当のことを語ろうとしない。誰が正直な発言なのかわからない。みんな弁明に 窮している。根も葉もないことを国家で論じているわけではあるまい。天下国家に関わる 誇りある頭のよい役人が書いたのであり、私情で作文したわけもあるまい。
文科省の前事務次官の前川氏は果実堂々とした記者会見した。いくつか衝撃的な発言も あった。つまり官僚と政権との陰湿な上下関係があらわになった。前川氏は「あるものを ないとは言えない。白を黒とはいえない」と事実を知ってくれと語った。勇気のいる話だ。
指弾されそうな与党議員や政権、そして官僚たちは自ら弁明に終われているように見えた。 もみ消すように菅氏は鋭い眼つきで怒りを込めて個人攻撃に転じた。みっともない姿だった。 いままでの不適切な隠蔽的な発言に輪をかけて文科省から出た書類を「怪文書」といいきった。
後日、文書が出てきたことに対して「あの時点では出所が明らかではなかったからだと 弁明した。確認もせずに相手を批判するのは、まさにトランプと同じ。フェイクニュースを 流しているのはどちらなのか。東京新聞の若い記者は菅氏に臆せず厳しい質問を投げ かけていた。このくらいの勇気を持ち、十分な飼料を盛ってこそ聞けるのだろう。
ジャーナリストはどんな人を言うのか。ワイドショウや報道番組でコメントする政治評論家の 話は一般記事をなぞる程度で本当に自由や民死守主義をもまり、ただしく伝える力量を もっているのか、このごろ信じられなくなってしまった。
「しらない」 「ない」 「ださない」ともいえる「3ない」はもはや内閣の決まり文句になった。 前川さんも淡々としながらも「あることをないとは言えない」と事実を主張した。 その証拠類が次々出てきたのだから、やっぱり火の粉があったから何らかの煙がでた。
「ない」という政府側のいい分に対しては文書はあったじゃないかと指摘されると当事者は 反論する立場はあって当然いい逃れが出来ない。そりゃそうだろう。適切な資料があり、 成否を確認するのは双方だ。知らない、ない、と言ってしまえばそれ以上進まない。 野党もそんな状況は知っているはずだから、ほかに戦術はないのか、検討すべきだ。
知らない一点張りを押し通すことを「白を切る」とも言われる。下落した信任がいずれ回復 すると過去の例からそう読んでいるのんきな議員もいるらしいが、しばらく死んだふりを しておこうと悪知恵だけが妙に冴えて時を待って生き延びようとしているのだろうか。
少なくとも国会論議でみた、あるいは失言の多い人物は退場間違いないが、やっぱり 大臣待ちの不遇?な人物が登場してくるのではないか。嫌いと光る議員が大臣に登場しても 飾りのような存在ではうまく行くはずがない。今度こそ、国民は欺かれないという気持ちを もったのではないかと思う。いやも多ないといけない。
やさしいタイガー