ブログ人 話の広場

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非常識の常識

2016-02-15 11:07:35 | 日記・エッセイ・コラム

 どうも近年日本語の乱れが際立っているとの記事を目にすることが多いが、これは若者が使う言葉への批判ではないように思う。むしろ知性豊かだと思われる人が使う言葉に信頼を置きかねる発言が多いようにみえる。多くの企業の経営者が自社の不正や不祥事に対して記者団を通じて「わび」を入れる場面での言葉を思い出してみる。決まって「再発防止に努める」という。しかし、こうした言葉を使う経営者の真意は軽いのではないか。少しも謙虚な姿勢が伝わってかないし、「善処します」という言葉は何もしないということらしい。つまり本気度が低いということだ。

 ことに言葉の貧疎さが目立つのは政界の要人たちの言葉だ。官僚たちは自分たちの失言のしっぽを掴まれないように政権の顔色を伺う不遜さを感じるが、それ以上に許容を超えているのは閣僚や議員たちの傲慢な態度から出る言葉の低さだ。

 首相の軽率で感情的な忌み嫌われる発言、甘利氏に端を発した不正に対する言葉、丸川、島袋、高市氏などの威圧的な言葉や無知、いったいどうなっているのか、と怒りを越して失笑したくなるほどの非常識な言動が続く。このように頻繁に物議を醸す要人が発する一つ一つを取り上げると切がないほどで、僕たちも、「またか」といった呆れ顔で済ませてしまう通過語にしてしまいがちだ。

 どうやら今の時代、立場が違うと私たちがおかしいと指摘したり感じる言葉がかえって非常識になり、不正や法律違反、あるいは倫理的に問題を持つ人の発言や行動が常識なのだと思わせてしまうので、いささか狂ってしまう。時には使う言葉によってその人の人格の評点にもなることを思うと、人格に問題があるのだろうか。

 報道機関を通して知る目立つ人々は、僕たちの模範であってほしいし、教育的配慮を日ごろから意識して、勉強してほしいと思う。非常識が常識にならないよう日本語を磨き、誇り高い心を養って僕たちに向いてほしいものだ。

やさしいタイガー


地に落ちた閣僚たち

2016-02-11 18:50:33 | 日記・エッセイ・コラム

 最近の閣僚たちの発言を見ると、自民党にはこんな人材しかいないのか、と思うほど貧弱だ。失言、方言、金銭の不正疑惑に平然と言い訳ですり抜けようとするもの、さらに倫理的に問題を抱える大臣、知識不足と不勉強極まりない大臣たち、あげればみんな失格な人物ばかり。1億2千万人のために本当に役立っているのか、笑いさえ起こりそうだ。

 例えばこんな大臣がいるのだ。北海道に関係する島尻沖縄北方担当は「歯舞」が読めない。北海道人が聞けばあまりにもお粗末としか見えない。高市総務相担当は、政権に反対する報道が続けば電波を停止することもある」と憲法違反な発言。戦時中の報道統制を思い出させる。そんなに高市氏は偉いの?そして稲田自民党幹部は「安保法に反対する憲法学者が70%もいるのだから、逆に憲法を変えたらいいのだ」という。なんという不遜な発言か。

 遠藤文科相は金銭疑惑を起こし、いまだに回答していない。首をかしげる。こんな人物が20年のオリンピックの準備担当とは。そのころには、もう交替していて疑惑放免と思っているのだろう。黒印だ。まだいるのだ。北海道選出の丸川環境相は「1㎜シーベルトなど科学的根拠はない」と大震災に遭遇した人々を足蹴にしている。中谷防衛省は「法制強化に当たり、戦時環境の中に民間船を徴用」するかのような発言。1945年の敗戦間際、沖縄を発した民間船「対馬丸」には3000人の疎開児童が乗っていたが、潜水艦に狙われ2000人が亡くなったという史実がある。悲しい思い出を無にしてほしくない。

 これからまだまだ出るのではないか。無能な閣僚が。これも任命責任は首相にあると自ら言うが、どんな責任を取らせているのか、また取ろうとしているのか、さっぱり見えてこない。甘利明さんはどこに行ったのか。

 次々起こる不始末でお粗末な大臣たち、官僚たちに程よくあしらわれ、小ばかにされながらも「おらが大臣」を決め込む姿などもうたくさんだ。哀れでさえ見えてくる。子供の姿を見るとき、親の顔を見たいという。まさに閣僚たちの言動に、総責任者の顔を見たいといえそうだ。だが、もうこの顔は二度と見たくはないのが本音である。

 国際社会はいま大揺れだ。そんな中外交下手に加え、能力不足の大臣たちを揃える今の内閣に何を期待したらいいの、と思ってしまうほど昨今の日本の政治は寂しいものだ。もうすぐ春あというのに。

やさしいタイガー