ブログ人 話の広場

日頃の生活のなかで見つけたことなどを写真もそえて

一生懸命生きるとは

2015-05-18 11:48:24 | 日記・エッセイ・コラム

 私はこの3年の間に、4回の手術を受けるという経験をした。若い時代での手術を含めると5回ということになる。手術のたびに麻酔から覚めた瞬間、生きている!との実感をしたものだ。ことに加齢とともに、生きることの味わい深さを感じるのだ。久しぶりに外の空気を吸い、陽光を浴び、自分の足で歩くとき、周囲の光景に変化があることに気づく。今まであった建物は壊されていて、それがどんな建物だったかさえ思い出せないのである。

 だが、そんな変化よりも自分の身体的減退を気にすることが多い。目の前にした乗り物にたどり着けないもどかしさ、乗ってもわがもの顔で座ってスマホをいじる若者が席を譲ろうとしない傍若無人さ、エレベーターはどこか探す気弱さに愕然とするのだ。 みじめったらしい自分に気づき、ふと周りの人の動きをみていると、自分よりもっと辛そうな姿を見てしまう。まだまだ自分はよいほうだと言い聞かせながら動こうと叱咤するのである。

 そんな自分を励ましてくれるのが仲間と絵を描く時間だ。友人と水彩の会を作ってもう5年にもなる。病に襲われた後もこの会があるから前に向かうことができているのだと思う。始めた時、絵筆を振るうことで精神が集中するのだ。つまり一所懸命になっていく。しかし、仲間と出会い、共ににつつがない姿に接するとき、生きるという営みと重なり、一生懸命に変わっていく。今では楽しみである以上に生きる糧になっていることに深い感謝を覚えるのだ。

 世の中には一生懸命何かに取り組む人が多い。その行為が正しいか間違っているかは別にして、自分の価値や力を出し切ろうとする人の姿は、どこか光るものがある。その光は自分にも木漏れ日のように映し出してくれるような気がする。これもまた生きるよすがになっている。人はどんな情況にあっても生きようとする姿こそ、大切なことだと今日も感じたのである。

 この日、大阪都構想の住民投票の結果、反対層が多数を占めて構想は消えた。さぞ住民は一生懸命考えたことだろう。沖縄の辺野古湾に米軍基地を建設することに反対する集会があった。沖縄の現実に向き合う人々は一生懸命取り組んでいる。こういう人々の姿を自分にもしっかり心に刻んでおきたいと思う一日だった。

 やさしいタイガー


こんな足音聞きたくない

2015-05-14 16:22:38 | 日記・エッセイ・コラム

 こんな足音聞きたくない!

 とうとう安倍内閣は自民党・公明党の安全保障法制という名目で「国際平和支援法案」を承認してしまった。何という暴挙か。しかもまったく国会の審議を得経ずして11の法律を一括承認してしまったのだ。公明党ももはや平和党という看板を下ろしてもらいたい。今更言い訳をしても聞きたくない政党になった。

 そもそもこの法律の発端は政権や与党の本年である憲法を改変することにあり、落とすべき本丸は憲法第9条にあることに間違いあるまい。だが国民の反発を恐れて憲法の解釈を変えるという高慢な手法から生み出されてきたものだ。自衛隊を従来の専守防衛から、アメリカだけでなく、同盟的な関係にある国を阻害するような事態になれば、自衛隊を切れ目なく派遣しますよ、ということを明言したいが故の愚策だ。断じて戦争に加担することではないというが、私は断じて平和を保持できるとは思っていない。聞く耳を持たず、感情的に相手をねじ伏せるような高飛車な首相の文言は全く信じることはできない。

 これを国際貢献といい、積極的平和主義と標榜するのはまったく虚言だ。この責任は後世に大きく残す。彼は生きている限り責任を果たすべき重要人物にしておくべきだろう。

 ことに11の事態法のうち、「武力攻撃事態法」は集団的自衛権の行使を容認したもので、自衛隊員は世界中に派兵することを謳ったものだ。70年間、少なくとも戦争という渦の中で一人の犠牲者を出さなかったのは重要な誇だと思う。だがこれももうあきらめるしかないとの覚悟をする時代に来よう。こんな法律がずらりと並べて自民党の高村、公明党の北側は悦に入っているのだろうか。失う可能性が高くなった命の保障、さらに家族の嘆きをいったい誰が寄り添うことができるのか、悲しい想像をせざるを得ない。

 そんなに急いで危険な「戦争加速的法律」を作る背景に何に恐れ慄いているのだろうか。

 そもそも政府ほど嘘をつく集団はないと揶揄されるように、私は昨今の政治の動きを見ていて、そう思えて仕方がない。ますます政治不信と無関心が広がっていくのではないだろうか。そうした中での政府の一連の取り組みを見ていると、危険なナショナリズムが加速しているように見えて仕方がない。戦後70年の首相談話も、おそらく国際社会から受容されるような内容は全くなく、中国や韓国との距離は一層開いていき、取り返しのつかない事態になるのではと危惧する。

 そんな私的予見の中でこんな風景を描いている。今回出す事態法は何かと物議をかもし、言い訳と失言に終わるような気がしてならないのだ。この日のことを忘れてはならないと思う。

やさしいタイガー