ブログ人 話の広場

日頃の生活のなかで見つけたことなどを写真もそえて

残花と迎花

2013-03-31 18:14:46 | 日記・エッセイ・コラム

 こんな言葉があるのかどうかわかりませんが、まさにそんな感じを受ける春3月弥生の季節から卯月を迎えようとしています。

 届く花の便りは、もうすでに西日本はもとより、東日本の桜の花も入学式まで待ってくれそうにもない、と伝えていました。今はわずかに楽しめる桜は東北より北に移ってきています。今年は異常なまでに天候不順で、急に寒くなったり、暑くなったりしたところが多かったようです。北国はいつまでたっても最低気温がプラスにならず、厳冬に悩まされました。

 そのせいか、積雪が昨年の倍以上にもなり、その除雪がうまくいかないほどでしたし、札幌市は2回もの予算追加をしたほどですから、予想もつかなかったのかもしれません。私たち北国に住む者にとって、もうたくさんと思うような気分になりました。道路の傷みも激しく、穴ぼこだらけ。雪の水分が道路にしみこみ、舗装した部分に侵食して空いたとも聞いています。

 それにしても雪の多い地域ですから、専門家の方は何かいいアイデアでも出せる研究をしてほしいとさえ思います。10年一日のごとく、毎年同じ悩みに苦しむのは問題です。莫大な予算を使うのですから、せめてその中から、研究費にでも回してもらい、真剣に取り組んでほしいものです。そんな研究をしている学者はいないのでしょうかね。

 いささか、愚痴めいてしまいましたが、それでも次第に春に向かっていることはうれしいことです。あんなに大雪に見舞われたのに、春の訪れは例年通りだというのですから、自然も急いで春の準備をしてくれているのではないかな、と思うとありがたいことです。

 僕はこの季節を「迎花」と言いたいのです。もちろん造語ですが、そんな思いにさせてくれるほどの待ち遠しい桜の季節です。今年も例年通り、札幌は5月の連休明けということのようですから、まだまだだいぶ先の話でしょう。

 冬来たりなば、春遠からじ、とか。もう少しですね。これを「待春」ともいうようです。

やさしいタイガー


一票の格差是正ができない国会の怠慢

2013-03-29 17:24:43 | 日記・エッセイ・コラム

 先ごろ、選挙の一票の格差を巡り、憲法違反だと提訴していた有権者に対する判決が、全国14か所の高等裁判所でなされ、いずれも憲法違反と判決しました。ことに広島高裁と岡山支部の判決は厳しく、先の衆議院の選挙は無効とまで言い渡しました。

 この判決について、各裁判所の判決書簡の中で、そもそも国会は司法に対して甘く見すぎている。国会は明らかに違反を知りつつ、何の対策を講じずに至ったのは、議員の怠慢であり、政争の具にして、真剣に取り上げなかったことが問題だと指摘しています。

 これに対して自民党は、司法は国会に対して踏み込みすぎだと反論し、三権分立の精神に反していると憤りの発言をしていて、なんら反省を示していないという報道がありました。

 そりゃそうでしょう。自分たちの選挙基盤である地域にあって、何十万票をとっても当選しない人もいれば、ごくわずかな得票で当選する候補者もいるのでしょうから、死活問題ととらえている人もいて無理からぬ話。

 けれども明らかに全訴訟の判決は憲法違反だと指摘を受け、しかも過去2回も最高裁判所は憲法違反だと判決しているのです。それに対して何ら対策を講じてこなかったのは、どうみても国会議員をはじめ、歴代の政党の逃げの姿勢があったからとしか、捉えることができません。

 私たちはまっとうな政治をしてほしいと思っていますし、何事も謙虚で真摯に取り組んでほしいと思うからこそ、慎重に候補者を選んでいるのだと信じています。けれども赤いじゅうたんを踏んだとたんにエリート意識を持ち、傲慢な姿勢を振りかざすのなら、どんな結果になろうと厳しく選びなおす必要があります。

 選ばれる前は、皆さんに主権がありますといいつつも、当選してしまえば、国民から負託されていることを忘れ、国民は奴隷だといわんばかりの態度で日本の未来を考えているのなら、日本の政治も末期的と言わざるを得ません。

 取り組むべき課題が多すぎて、どうにもならないのかもしれませんが、どうか国民の側に立ち、どうすれば国民の権利を守っていけるか、を問い続けて政治を実行してほしいと願っているのです。

 最近は、危ない発言や取り組みが多くみられるのは、どうも腑に落ちません。その中の一つとして考えてみました。

やさしいタイガー


川柳創作が生きがいの友人

2013-03-28 12:31:11 | 日記・エッセイ・コラム

   人には、いろんな楽しみがあり、それによって自分の生きがいにしている方は多いようです。先日、僕の友人が川柳を始めてもう10年になるということで、放送に出ていただき、リスナーと楽しみました。65歳の時に、府として機会に川柳に触れ、以後毎月100編を捜索するそうで、大きな研究会のメンバーとして活動し、機関誌も発行し、その編集長までしているとの話でした。

  ぼくも以前札幌でも有名な先生のセミナーに参加したことがありますが、後が続きませんでした。友人はコツコツと投稿したり、全国の会に出たりして、活動の幅を広げておられます。なんでも、がんの手術の時も部分麻酔のためか、意識ははっきりしていたので、その間も川柳が浮かび、しっかり覚えてあとでメモをしたという話にびっくりしました。

 彼の創作の基本は、自分の人生を読み取り作っているそうです。ご自分の人生を丸裸にしているようにも見えました。こんな作品です。

   パスワード 忘れてボクが いなくなる                                  

   トンネルを 出ると老人 ばかりいた                                 

   侮るな 女恐いぞ 可愛いぞ

 ざっとこんな作品です。思わず、にやりとしたり、吹き出したりする作品、さらに身につまされるような作品もありました。放送では創作の基本ワードも教えていただきましたが、単に自分だけで楽しんでいても成長がわかりません。どこか文芸雑誌に投稿したりして選者の目を通して批評をもらうことが良いとの助言でした。 

 とかく高齢者は、次第に何事もおっくうになり、気持ちはあっても思うように進まないもどかしさを感じやすいのです。そんなときいろんな活動する人と出会うことは大きな刺激を受けます。ぼくらのような年代の者にとって大事なことですね。川柳の魅力は、ぼくも、という思いにさせてくれることかな、と思いました。

 やさしいタイガー 


今日は彼岸の入り

2013-03-17 18:48:44 | 日記・エッセイ・コラム

 ぼくにとって彼岸の入りは、特段の感慨もないのですが、自然の見事さと古人の教えには感銘を受けます。本州では、すでに桜の開花が始まり、石垣島では海開きが行われ、デパートなどでは「おはぎ」が売り出されています。日本は結構広いのですね。

 何となく心浮だつものがあります。厳しい寒さの続いた北国も、どうやらプラス気温に変ってきました。今日から1週間は彼岸の日が続き、土曜日が彼岸明けです。

 暑さ寒さも彼岸まで、と昔の人は、季節感を見事に言い当てています。20日は春分の日で、昼と夜の時間がちょうど等しくなるといわれている日ですが、実に見事な表現です。

 日本では、先祖のお墓参りなどをする人が多いのですが、久しぶりに先祖に語り掛け、手を合わすというのは、どこか素朴ではあっても、いつも心に過去が生きていることに麗しさを感じます。

 それにしても北国にとっては、まだ春はかなり遠く、本州の季節をうらやむこともありますが、長い冬と雪に悩まされたことが、まるで忘れるかのように、春を待っているのです。

 札幌出身の画家の中には、結構春を表現した作品が見られます。「待春」などの作品は見ごたえのあるものですが、今ちょっと画家を思い出せません。ごめんなさい。

 雪が解けていけば、存分に外にも出られますから、また久しぶりに近代美術館にでも行ってみようかと思っています。

やさしいタイガー


心ある裁判官の言葉

2013-03-16 11:21:40 | 日記・エッセイ・コラム

 昨日の新聞に、久しぶりに心温まる裁判の判決が出たという記事を読みました。ダウン症の50歳になる女性が、自らの将来を考え、父上が財産管理や福祉サーヴィスの選択などを支援する[後見人」になられたことによる弊害を憲法違反だと訴えたのです。

 知的障がいのある人は他の人に自らの将来を第3者に管理を託すと、選挙権が与えられないという不文律が起こってしまいます。この女性は、自分は選挙に一票を投じたいのに、公職選挙法に抵触するというのは、憲法違反にあたると裁判を起こしたのです。

 そして昨日東京地裁が、女性の主張を認め、これは不当であり、憲法違反であると判決し選挙権を認めたのです。たぶんこれからもいろんな地域で訴訟などが起これば、判例となるのではないかと期待しています。

 裁判長は、法廷全体に障がい者への配慮や言葉遣いをやさしくし、見事な態度だったということでした。

 裁判長は判決に当たり、こんな言葉をこの女性にかけたそうです。「どうぞ選挙権を行使して社会に参加してください。どうぞ胸を張って、いい人生を生きてください」と。

 僕はこの言葉に胸が熱くなりました。人間味のあるなんとやさしい声掛けか、感動しました。

 法律は本来民衆のためにあるのであって、縛るものであってはならないと思うのです。しかし法律は変更すればするほど自由を奪い、規制する方向に向かいます。それをどう解釈するかは、扱う人の価値観によることが多いものです。ですから人によって違い、私たちは戸惑い、怒りも増加していきます。

 今、憲法を変えたがっているのは、国会議員や右系統の人に際立って目立ちます。天皇を元首にしたり、自衛隊を軍隊にしたり、とにかく平和的社会を破壊するような姿勢が前のめりになりつつあります。

 いまはとても忙しい天皇や皇室に大きな責任を負わせようとするのは、政治関係者の打算ではないでしょうか。かつての日本はそうして戦争に突入したのです。自衛隊の人たちも戦場が舞台になりかねません。たちまち多くの死者や負傷者を出すに違いないのです。

 どこに今の日本の不都合があるのか、私たち大衆は決して黙って後世に不安を与えることを断じて許してはいけないと思います。

 せっかく心ある法の番人が心ある判決をしたにも関わらず、なんとも思わない無感情な為政者は、こうした判決を謙虚に受け止めていくべきだと、複雑な思いで今の世相を考えていました。

やさしいタイガー