ブログ人 話の広場

日頃の生活のなかで見つけたことなどを写真もそえて

一無二少三多の実行で

2018-06-30 16:16:35 | まち歩き

 「一無二小三多(いちなし にしょう さんた)」はリハビリテーション学会のスローガンである。                                  以前、友人がこんな話しを紹介してくれたことを思いだした。これからの世の中、健康で生きて                                いくには、少なくともこの三つのスローガンを実行してはどうか、ということだ。

 その中味は、「一無」とは、タバコを止めること。「二小」は深酒や大食をしないこと。「三多」は                             運動をすること。適度な休息をとること。そして人と接すること、だそうだ。

 国会は受動喫煙防止に関して審議している。いささかみみっちい法案に見えるが、これも                                 タバコ産業に気遣ってのことだろう。東京都は条例でもっと厳しい法律を決めたらしい。ぼくは                                 吸わないので受動喫煙もないほうが良いのだが、愛煙家にはちょっと辛いことだろう。

 健康でいたいのなら、この際今までの生活習慣を改める勇気も必要だというのであろう。                               だが、中には余計なお世話だと言う人もいるに違いない。世の中にはいろんな人がいて、                                   ヘビースモーカーや深酒を楽しんでいる人は、この楽しみを取られるのなら、死んだほうが                               まし、と豪語する人がいる。

 それはそれでよいのだが、隣にいる嫌煙者のこともかまってほしいし、酒の度が過ぎると                                   絡むいわば酒癖の悪い人もいる。バーのカウンターの端に座り、ゆっくりと瞑想しているかの                                  ような飲み方もまたいいのだが。まるで高倉 健にでもなったような気分で。 

 けれども標記の戒めは、そんなキザッぽいことをいっていない。とにかく喫煙や深酒は健康に                             よろしくないから、おやめなさい、と警告しているのだ。慎み深く嗜むのも人間美しく見えることは                            あってもだ。

 なにはともあれ、健康で生きていきたいなら、「三多」の精神も大事ということだ。ゴルフや                              ジョギング、そしてウォーキングなど適度な運動を楽しみ、休息をとり、音楽や芸術的な活動を                              楽しむ。そんな人生を過ごせるのも健康であってこそである。歳はとるものではなく、重ねて                          いくものだ、と教わると、生きていることの実感は自分で創っていくしかない。若くても老いても                                 結局は自分の人生は自分で責任を負うということだ。

やさしいタイガー


無味な党首会談

2018-06-29 15:37:37 | 国際・政治

 たった一日の党首討論が終わった。じつに空しい会談だった。以前からそうだったが、                                    国会などの討論を聞いていても、どうしてこんなに議員たちは味気ない討論ばかりして                                     いるのか、少しはプロの人に教えてもらったらどうかと皮肉の一つもいいたくなる。

 遂に党首討論の意義はもう終わった、と告白したのだから、あきれてしまう。                                       国会の各種委員会も何をゴールにしているのかさえわからない討論を繰り返している。                                    むろん政権と与党は自分たちの法案を通したい。しかし、野党の質問に丁寧に答える                                    姿勢が見られず、生煮えのまま強引に扱ってしまう。

 「高度プロフェッショナル」の法案も、過労死を知る人々が納得されないまま強行採決                                       してしまった。ぼくもおかしいと思っている一人だ。与党や一部の政党の議員を含めて                                    本当にわかっているのか、と聞き正したい思いさえする。与党の質問と言っても聞くに                                 耐えない内容だが、野党の向き合い方も今一迫力がない。

 市民に変って質問をしているのだからしっかり理解するために鋭い質問してもらいたい、と                           願っているのだが、限られた時間内だから仕方がないのだろうか。さらに輪をかけて不信を                              募らせるのが、政権の解答姿勢だ。

 政権側の官僚や大臣でさえまともに答えられず、立ち往生する場面もしばしばあり、                                   失望することが何度もあった。必ずしも万全を期して提案されていないにもかかわらず、                                  それでもすべてよしという姿勢からか、相手の質問に対してすり抜け、誤魔化し、排除                                しようとする。これでは納得することはできない。

 下原稿は国民目線で準備しているとは思えない。この一年、ウソの資料で論じ合う姿を                                    見て、まるで騙しあいの国会を見てきた気分だった。最後は数の力で法案を強行採決して                             しまう。これが民主主義だというのなら出直してほしい。

 多数決がすべてよしとする考えは一強の思いあがりである。議員たちは誰のための政治                               をしているのか、という原点を忘れているようだ。こんな醜態を見せる中で、教育では子ども                           たちに民主主義は何かを教えているのである。最も模範を示すべき国会が最も情けない姿を                          見せるのは困ったものだ。これが日本の政治の世界なのだ。やはりここはぼくたち市民が                                  立ち上がるしかない。そのために議員一人一人の言動を観察して、期待にそむくような人物を                                   二度と国会に送らないことだろう。

やさしいタイガー


ニセコで優雅に過ごすシニア

2018-06-28 17:54:42 | 日記・エッセイ・コラム

 先日、水彩仲間の友人から地元新聞の「ニセコの夏」という掲載記事の切抜きをもらった。                                そこには鹿児島からやってきた高齢者夫妻が長期滞在している優雅な姿の写真も添えてあった。                            このお二人はなんとニセコのホテルに4ヶ月も滞在しているらしい。

 こうして倶知安には、コンドミニアム型ホテルがあり、長期滞在者が自炊も出来るよう、                                 キッチン用具まで完備されていて、何不自由なく過ごせるというホットな記事だった。

 この町は冬になると、良質の雪を求めて外国からのスキー客がわんさと詰め掛けてくることで                               有名な町だ。北海道に住む者はわざわざ寒い時期に、と思うが、彼らにとっては実にハッピーな                              リゾート地なのだ。夏はかえって閑散期になるそうだ。

 そこで夏をどうアピールするかに勝負をかけたのである。本土の人々に北国の良さを味わって                             もらおうと、ゆったりとした自然、雄大で美しい羊蹄山を眺め、そして豊富な食も含めて低廉な                              価格で長期滞在はいかが、と紹介していった。このことが功を奏して昨年だけで500組の                                 観光客が長期滞在し、登山、ゴルフ、そして温泉を楽しんだというのだ。

 このようなアイデアは、東日本大震災による福島の原発事故が産んだ皮肉な結果である。                              あの時予約していた外国人が大量にキャンセルしたことで町は大打撃を被ってしまった。                              何とかこの危機を乗り越えようと立ち上がった努力の結果が今の隆盛に繋がったようだ。

 この町が当面取り組んだのは高齢者の滞在への試みだった。冬は外国人で賑わっても                              快適な夏の訪問者が少ないことに着目し、高齢者が楽しんでもらえる町になったようだ。                                以前倶知安観光協会の会長をしいた関係者は、狙いどころがIT企業の社員だったが、                                   結果的に高齢者の反応がよかった、と語っていた。

 倶知安町やニセコ町は今、高齢者の受け入れをさらに推し進めるようだが、さらに                                 次のステップは、外国からの滞在希望者にも意を砕き、その家族の子どもたちや学生にも                                呼びかけながら、言葉の習得や仕事などを含めた留学が可能なプロジェクトを模索している                                 ようだ。

 地域活性化への取り組みはこうして地方から発信されている。この事業を推進する町の                              有力者は、ずっと以前から親しくしている人で今は町議会の議長という重責を担っている。                                 切抜き記事をわざわざ手渡してくれたのは、ぼくがよく知っている人とだということの配慮から                            だった。久しぶりに再会したような思いで記事を読んだ。

やさしいタイガー

 


戦後73年 沖縄を想う

2018-06-23 18:58:34 | 国際・政治

 6月23日が何の日であるか、沖縄の人々以外はそう多く知る人は少ないという。                                       1945年6月23日、総攻撃をかけてきた米軍の容赦ない仕打ちによって沖縄は                                          壊滅的な被害を被り、軍部は敗軍を知りつつ、市民に玉砕を命じた屈辱の日である。

 jこの日沖縄に配備された日本軍の牛島満司令官と長 勇参謀長が自決したのである。                                             「軍司令部の機能が崩壊および全軍の組織ある防衛戦闘終止で玉砕の日に相当」と                                   したことからこの日となった。軍部は市民たちを道連れにしたのである。

 本来は軍部は市民を守るべき存在であるはずが、敗戦を知って責任放棄し、なすすべを                                        失った人々は、手榴弾を渡され、力ないものには青酸カリを手渡されるという残酷な扱いを                                受けたのである。死を道連れにされた人々は不本意ながら生きるべき命を断ち切られて                                 しまった。

 今その人々は摩文仁の丘に眠っている。この日を慰霊の日にしたのは1961年                                       (昭和6年)、日本に復帰する11年も前のことである。今年も翁長知事は病身を押して                                 メッセージを伝えた。米軍基地のために県民の意志を無視して建設しようとする辺野古                                     埋め立てに反対の意を唱えていた。

 肝心の首相は困難な中に置かれる沖縄のことを無視するかのように型どおりの挨拶だった。                             政府は苦悩する沖縄に本気で寄り添うような態度を見せないままだ。まるで日本では                                 ないかのような振舞いをみていると一国の指導者として悲しく映る。

 戦後生まれが90%を越える今、時と共に人々の関心が薄れ、風化し、後世に届かなくなる                              ことに危惧しながら、自分一人の力では何も出来ないもどかしさを覚えつつも、少なくとも                                自分の心だけは風化しないように絶えず沖縄に思いを寄せていきたいと銘じているのである。

やさしいタイガー


いい加減にしろ 自民党議員

2018-06-22 19:45:32 | 国際・政治

 また自民党議員が暴言を吐いた。自民党の穴見陽一衆議院議員は、                                              衆議院厚生労働委員会で参考人として出席したがん患者の男性が                                              意見を述べている際、「いい加減にしろ」と発言したのである。

 新聞は大きく取り上げていた。報道機関が何も問題に感じなければ                                            私たちの目に止まることなく見過ごされてしまう出来事だった。                                                 彼はいったい何を考えているのか。

 どう見てもこんな議員は許せないし、もはや議員の資格はない。                                               即刻議員をやめて国会から去るべきだと、ぼくは怒りを込めてそう思う。

 こともあろうに、彼は地元大分のがん研究振興財団の理事だという                                               ではないか。かれは肺がんステージ4の参考人の男性が、「4、5年先                                              には全面禁煙にできればよい」と控えめに語っている最中に発した。

 参考人の方は、患者として苦しむ日々であろうことはぼくもがんを                                                 抱える身だけに痛いほど理解できるが、そんな苦悩をまるで無視した                                                ような発言は謝って済むものではない。

 穴身という男は喫煙者らしい。大分県選出の議員だということだが、                                            大分の有権者は黙って見過ごしてはいけないと思う。

 近年議員の質は低下や劣化が激しく、しかも十分に審議しない不消化な                                       法案を次々強行採決する態度は目に余る思いあがった行為だ。                                                  だからこんな議員が発生して行くのであろう。一人の市民としてここは                                              どうしても黙っておくわけには行かない暴挙に声を大にして怒る必要が                                               あるのではないか。悲しき日本だ。

やさしいタイガー