ブログ人 話の広場

日頃の生活のなかで見つけたことなどを写真もそえて

忙しかった夏の思い出

2016-08-23 15:02:56 | 日記・エッセイ・コラム

 今日は「処暑」である。暦のうえでは晩夏だが、猛暑は全国に広がっている。北海道も今年の夏は慌ただしい日々だったように思う。                                              それにしても今年の夏は顕著なことが3つあった。一つは何と言ってもリオ・オリンピック開催であろう。次には全国高校野球選手権大会だった。                                           そしてもう一つは相次ぐ台風の襲来で豪雨や川の氾濫などによって各地に被害をもたらしたことだ。

 ここ数年、自然災害が多いように思えるが、このような大きな出来事の前に立ってみると、人間の力がいかに小さいかがわかる。                                               それを乗り越えて挑戦する私たちの姿をもう一人の自分がみているといささか滑稽に見える。山の日があり、海の日があり、自然を愛し、                                       故郷を愛し、などと字ずらにするとごもっともなことではあるが、いちいちそんなことをお上から言ってほしくないのである。

 そんな愚痴っぽいことは別にして、リオのオリンピックでの日本の成績は素晴らしいものがあったが、開催地の治安や疫病などへの不安は                                            もしかして戦後のオリンピックで最も案じられたかもしれない。だがテロも起きず、地元の友情やサポートは大きな讃辞となっていた。                                              選手団は国家の代表ではなく、あくまでもトップ・アスリートの結集団だったことを忘れてはならない。だからこそ国を追われ他国に逃れた人たちや                                      自国政府の圧政によって忍従する選手たちの権利を生かそうとしていた。

 今年は「難民選手団」が結成されオリンピック旗を持って入場していた。粋な計らいだと思った。選手の力の違いを度外視して初めて出会った人々が                                      尊い絆を創りえたとしたら、こんな舞台はそう多くはあるまい。

 4年後舞台は東京に移る。いろんな批判が渦巻く中、英智を結集して心の籠った大会にしてもらいたいものだ。政治的な思惑や経済的欲望を                                        むき出しにしてほしくない。巨額な金が動くと必ず不正や汚職が徘徊する。政界も経済界も自分たちの権力を無節操に求めず、                                                 何が一番大事なのかを謙虚に考え、世界に通じる「おもてなし」をしてもらいたいものである。

 この夏の思い出の一つとして心に残ったシーンでもあった。

やさしいタイガー


戦争という愚を繰り返さないために

2016-08-15 10:59:04 | 日記・エッセイ・コラム

 今年も敗戦記念日がやってきた。あえて僕はこの日を「敗戦」という言葉を使うようにしている。71年前の暑い夏の正午、                                                   近くの広場に集められた周辺の人々は、一様に暗い表情をしていた。「正午に重大発表があるから集まるように」とのお達しがあった。                                             僕は当時9歳、何事かと奇異な思いで叔母に手をつながれて参加した。時報とともに天皇の言葉が流れ始めた。初めて聞く声だった。

 何とも不思議なトーンの話し方、そして何よりあまりにも難しい言葉遣いに何を話しているのか、全く理解できなかった。                                                      むろん後になってわかるのだが、居合わせた人々の中には涙を流している人もいた。それが戦争を終えた宣言だということを知らされ、                                             何となく、気持ちが明るくなった思いがした。空は快晴だった。夏休み中でもあったので学校に行くことはなかったが、もうこれで先生から                                             暴行を受ける心配がなくなった、と想像していた。

 戦時中の先生の中には軍服を着て、言葉遣いも荒々しく、クラスで誰か一人のいたずらは連帯責任だとばかりに全員が木刀で殴られた                                            経験をしていたからである。このように幼い年齢であっても容赦のない叱責と暴力にいつも怯える日々であっただけに、戦争がなくなると                          いうことはそれだけでも解放感が子供なりにあった。

 当時この戦争を「聖戦」と教えられてきた。今にして思えば随分馬鹿げたことを真に受ける国民だったのだ。僕らもまた敵を憎み、駆逐しよう、                                       天皇のために命を捧げよう、勝つまでは耐え忍び、ほしがらない、といったスローガンを喜んで叫んでいたのである。学校のグラウンドは畑に                   なっていたし、体育といえば木刀を持って投げおろす仕草や体力を鍛えることばかりだった。クラス全員は野菜の肥料にと溜めた人糞を桶に                          入れて運ぶ作業を強いられ、中にはふらついて頭から人糞を被るものもいた。僕もその一人だった。こんな話はつきない。                                  語り継げるほどのものではないかもしれない。

 だが、空高くアメリカ機が飛び、強烈な爆弾が投下されるのを避けるために、小さな庭に掘った穴倉(防空壕)に身を寄せる日のことは                        決して忘れない。 あの時の恐怖は体験したものでないと理解できないかもしれない。それでも今、声高に戦争を臭わせることを平気で                              発言する有識者や国粋主義者がいることに嘆かわしく思うのだ。

 実は今の日本、かなり危険な方向に向かいつつある。自衛隊の隊員たちはサマワに1500人ほどがPKOとして派遣されているし、                                南スーダンにも後方支援として従事している。平和維持活動とは言え、危険がないわけではない。現場の指揮官は生々しい状況を把握している。                        だが政府は心配ないという。しかし最近の安保関連法案の行使容認や「駆けつけ警護」と称して地球の裏側まで同盟国に参加するのだと                          安倍政権はいきまく。おりしも安倍氏と価値観を共有する寄りによって稲田氏を防衛相につかせている。  

 彼らはいったい苛烈な戦争状況を、そして命の尊厳を真摯に受け止めているのか、不信と疑念を拭い去れないのである。                                                        71年目の今日、何の日であったのか思い起こし、歴史に学びながら真の平和とは何か問い続けていきたいものである。

やさしいタイガー


イチローの4000本ヒット達成

2016-08-09 12:28:05 | 日記・エッセイ・コラム

 アメリカ大リーグのイチロー選手は、ついに4000本安打を達成した。とてつもない記録だ。愛知県出身のイチローはプロ野球のオリックスに入団、                                  当時の仰木監督は本名のスズキではなく、イチローとして売り出した。次第に力をつけて注目を浴びるようになった数年後、イチローは                                        仰木監督に大リーグに行きたいと申し出、快くアメリカに渡ることを許可され、シアトル・マリナーズに入団、いきなり活躍する。27歳の時だった。

 それから15年間、ティームは変わったものの、相変わらずのバッティングは衰えることなく、打ち続けた。彼への尊敬は次第に高くなり、                                    今ではイチローは全米の野球ファンを魅了する大きな存在になっている。見た目にクールなイチローは、4000本目を達成を3塁打で飾った。                                        アウエイの球場だったが、4万人もの観客は総立ちになって祝福した。ヘルメットを高く上げた表情は感動的だったが、それでもイチローは                                         少しの笑顔しか見せなかった。そこがイチローの良さなのだろう。ティーム・メイトはベンチから飛び出して、3塁ベース上に立つイチローに                                          喜びをともにしていた。

 後の記者会見で「自分はバットにボールが当たればヒットにすることはできる」と言い放っていた。一見これだけ取ると思い上がりに聞こえるが、                                    バットに当てない限りヒットは生まれないということだろう。空振りやボールを見送っていればヒットになる確率は低いのだからその通りかもしれない。                                   しかし、イチローが話すからこそ、深い思いが込められていて、4000本達成するにはその倍の8000本以上当てなる練習をすることだと話していた。

 何れアメリカの野球殿堂入りするだろうし、後世の野球ファンにとって永遠に心に残るプレーヤーとして賞賛されるだろう。                                                   周りの人々は彼を人間的にも優れていて尊敬するといった声は多そうだ。たぶんそうした評価を受ける理由には、イチローは勝っても負けても、                          レギュラーになっても ンチ・プレーヤーであった時も、いつものトレーニングを続けてきた努力の人だったのであろう。                                                                       冷静な判断力といつでも応じられる体力・技術の練磨を怠らなかったからおそ達成できたことで、まさに努力の人といえよう。

 この快挙は人の生き方にも当てはまると思う。どんなにまっすぐ歩んでいても時々手抜きや怠け心がにょきっと頭をもたげてくる。                                              いつどんな時でも冷静に備えるということは言葉では簡単だが、実行するには相当の覚悟がいる。人はこうして自分の生き方を他者から学び取り、                                      生かそうとする受け入れ素地を作ることが大切ではと学んだ気がした。まさにあやかりたいと思う。暑い夏を爽やかにする大きな話題だった。

やさしいタイガー


婚活の前に恋愛の手ほどき

2016-08-04 13:24:31 | 日記・エッセイ・コラム

 あなたは恋愛の経験がありますか、と聞かれたらどう答えられるだろうか。人昔まえは相手がどんな人かもわからないまま結婚した、                                            などというカップルは珍しくなかった。そんな方は恋愛などご法度の時代だったかもしれないし、ご経験はないかもしれない。                                    でも長い間の夫婦生活によって愛が深まるというカップルは決して少なくない。

 今の時代、何でも手に入る自由な選択時代なのだから恋愛も結婚もうまくできているのかといえば、そうではない。                                                     最近の調査報道を見ると、20~40代の男女のうち、男性の40%が女性の30%が恋愛経験ないという回答があったそうだ。                                             だから婚活の前に30万円以上も出して恋愛の手ほどき講座を受け、カウンセラーと称する人から教えてもらう時代なのである。

 そうか、今の若者は恋愛経験をしていないのだ。そういえばそうかな、と思いあたる節はなる。学食で食べる学生の中で、                                                     わざと人を避けて食べる姿はあった。講義の机に一人離れたところに座る学生もいた。最近ではファスト・カフェで向き合う二人、                                                互いにスマホをいじっていてちっとも楽しげには見えない。明らかに恋の真っ最中という感じを受けない。

 こんな若者に「恋愛ってどういうこと?」と聞いたらどう答えてくれるだろうか。恋愛にあこがれる前に、普通の人との出会いや会話、                                            そのほか基本的なコミュニケーションの仕方ができていないのかもしれない。ややこしい人間関係に巻き込まれるより一人でいたほうがよい。                                         好きなギターを弾いて楽しんでいればいい、などど一人でいることのほうがかえって自由だと思っているのかもしれない。

 近年のように婚期が高年齢に傾斜していくと、独身者は人のことや周囲がよく見え、それに伴って自分とは何か、ということも見えてくる。                                              時には理想と現実の落差に気付いていく年齢でもある。もともと恋愛などは、明日のことなど考えない。自分とは違いもう一人の自分がいて                                    相手から受容されるように努力する。周囲も見えず条件もない。ただ相手に没頭することなのだ、と多少の経験から思う。                                                       だが、それが結婚に結びつくかどうかは育み次第である。

 何でも自分の力で乗り切ってきた道が、今では誰かの手を借りないと先に歩めないというのも寂しい気がする。一歩足を出せば道はあると思うのだが、一世代送った者にはわからない何か超えきれないバリアがあるのかもしれない。

やさしいタイガー


難民選手団リオで活躍を

2016-08-02 19:31:31 | 日記・エッセイ・コラム

 いよいよリオのオリンピック(パラを含む)・ゲームが始まる。4年に一度だけに、世界中が注目するのは当然だし、                                                       日本選手の活躍にも大いに期待したい。選手たちには世の中の変化に左右されることなく、日の丸をしょってなどあまり考えずに、                                                 自分の力を信じてエンジョイしてもらいたい。負けても顔向けできない、腹を切ってお詫びしたいなどと時代がかったことは言わずにだ。 

 とにかく選手は日ごろの厳しい練習をしてきたのだから、自分と向き合って悔いを残さないようにと祈りたい。さらにコーチや指導者は                                              成績に拘ってほしくない。けがもなく無事笑顔で帰国してほしいものだ。人生の一瞬を楽しませて上げてほしい。”気合いだ”と                                                檄を飛ばすことも感心しない。 つい応援者も熱が入り、限度を超えてしまう。それはもう重荷のはずだ。表彰台に立ったら大きな声で                                             君が代を歌え、と戒める過去に生きる人の声も聴くj必要はない。

 表舞台で活躍する人々の背後で、長い期間、何事も起こらないようにと、祈るような思いで支えてきた人のことも                                                 忘れてはならない。4年後の東京開催に向けては東京都の前知事がさまざまな不正行為、さらに組織関係者の惚けぶりなど不愉快な                                       話題を振りまき、地に落ちた姿を見せてしまった。                                                                                                

 到達するまでの4年間、政府の要人たちは総替わりしているだろうが、政府も都もいろんな思惑が走り、しかもだれも責任観のない                                             組織で動くという奇妙な「無責任事業」が続いていくのだろうか。警視庁や検察官は、多分通底している疑惑が発生することを予測して                                     秘密裏に準備しているはずだ。そんなことを言うと怒りを買ってしまいそうだが、巨額の金が動くというのは背後には狙う集団や個人が                                           いるというのが世の常だ、と僕は思っているのだから。

 そんな日本を横において今回のリオ大会に、自らの国の災難から逃れてきた複数の若者たちが一団となって選手団を創り、                                               参加するということを知った。今激しい戦闘が続くシリアや南スーダンから国境を越えてきた彼らだ。                                                                         「難民選手団」と言っている。従って国旗も持たずにオリンピックの旗を持つそうだ。おそらく十分な実力を備わっているとは言い難いが、                                          参加することに意義があるといわれるオリンピック憲章を生かそうとした関係者の粋な計らいだろう。大いに拍手を送りたい。

 どこの世界でもすっきりと心地よい事業などないのかもしれないが、世界の祭典といわれてきたオリンピックが歴史的にも                                                     不快な空気を発症させてきた原因は、きまって政治に関係する人や、一獲千金を狙う大企業の思惑によって起こってきている。                                                   毎日毎日激しい練習を重ね、目標の実現に一歩近づこうとする純粋な選手や指導者たちの思いを考えもしないのだろう。

 表彰台で涙するのは国家への忠誠や愛国心の発揚ではなく、蓄えてきたすべてに対しての自己賞賛であったほうがよい。                                            観るぼくたちも選手と同じようなと感動と喜びを味わうことができるのだから。心からの成功を祈りたい。

やさしいタイガー