家の中の整理をしていた妻が、思い切って「足踏みミシン」を処分するといい出し、惜しむように最終テストをしていました。処分と言っても誰かにもらってもらうか、廃棄物として引き取ってもらうかしか道はありません。<o:p></o:p>
たまたま近所の方が、洋裁を教えているとの情報が入ったものの、今やコンピュータで動く時代のミシンと違い、何しろ足踏みだけに貰い手はないだろうと話のついでのような思いで話したところ、ちょうどほしいと思っていた矢先だと色よい話になり、見ていただいた結果、ラッキーな無料譲渡は成立しました。<o:p></o:p>
今まで我が家では、頑丈な板の上に人が乗ってもびくともしないし、機械もピカピカだし、きちんと動く年季の入った代物だけにモノを乗せる台に変身していました。<o:p></o:p>
妻は今更のように、手放す寂しさを囲っていましたが無理もありません。15歳の時に父親から買ってもらったものらしく、いわば形見のような品物だっただけに惜しむ気持ちはよくわかります。50年以上も経った今でも動く代物は、かなりの値打ちものです。おそらく足ふみ型ミシンは、今では見かけることもないのではないでしょうか。<o:p></o:p>
かつて母親が夜なべをしてガタガタと軽快な音を響かせながら、いろんな繕い物などを修復している姿を思い出します。今の時代、こうした機械は精密化して自分の意思より内蔵した操作に任せるようになり、人間の知恵も工夫もなく、あなた任せになりました。<o:p></o:p>
悪いことに我が家のかなり大きな冷蔵庫がある日突然動かなくなってしまいました。 大変です。購入先に連絡すると、今はもう備品がないので故障したら廃棄するしかありませんと言われてしまいました。<o:p></o:p>
わずか17年前のものです。それにしても寿命が早すぎます。最近の機種の多くは10年もすれば買い替えるような仕組みにしているとしか思えないのです。パソコンも同類です。<o:p></o:p>
昔の生産者は、技術は今ほど高度ではないとはいえ、しっかりと製作し、使う消費者も「もったいない」精神が横溢していて、大事に使うことを旨としてきました。それが無用の長物になっていくとは、悲しいことです。<o:p></o:p>
何ごとも合理的に考え、即物的に行動する現代人の私たちは、いつしかいろんなことへの値打ちを下げてきているのではないかと見えます。ぼくは今の時代を「残す文化」から「捨てる文化」に変容していると評定しています。人もこうした構造の中で「捨てられる」運命に立たされているような気がして、背筋が寒くなっていきがちです。<o:p></o:p>
それぞれの家庭が小さな宝物として後生大事にしてきたものが、今や一文の得にもならない「捨てられる」という邪魔物になることに、どこか割り切れない思いを強くしています。一世代前の人間だからでしょうか。
やさしいタイガー