ブログ人 話の広場

日頃の生活のなかで見つけたことなどを写真もそえて

国勢調査のご苦労

2010-09-29 08:51:44 | 日記・エッセイ・コラム

 10月1日から5年に1回の国勢調査が始まるということで、先日係りの方の訪問を受けました。その調査員は「対応していて難しい世の中になりました。」とつくづくこぼしていました。つまり周囲の協力が得にくいということらしいのです。調査票を受け取ることすら拒否する住民が多いのだそうです。チャイムごしに用件を話すとかえって怒鳴る人もいるらしいのです。

 中には建物を管理している不動産会社自体が断ってしまい、マンションごと依頼できないとも聞いています。大きなマンションでは一軒ずつ1階に降りて番号を打たないとマンションそのものに入れないという有様のようです。こんな状態で調査をしても本当に正確なのかどうか疑いたくなります。それほどまでに警戒しないと日常生活が送れないという時代なのでしょうか。

 合理化された私たちの生活と手作りのように一軒ずつ周る旧態依然としたやり方の中に大きな溝が出来ているような気がします。基本的にはいろんな訪問者があって、「うるさい」という気持ちと安全管理上うっかり対応できないという意識が背景にあるのかもしれません。そして変なところで権利を振りかざす横暴な住民の非協力などが重なって難しくしているようです。

 だから偽の長命者がいてもどうにもならないことになります。「隣は何をする人ぞ」と無関心な住民が増えるこのご時勢に一軒一軒周る調査員のやり方がいいのか、町内会や自治会はどうしているのか、この際、国の関係者はもっと真剣に考えていくべきだと思うのです。

 我が家はもう済ませました。

やさしいタイガー


季節と心

2010-09-27 08:37:44 | 日記・エッセイ・コラム

 秋が深まってきたような感じがします。大通公園の緑も変化を見せています。例年に較べると、やや遅いような感じがします。道行く人は既にフードつきジャケットをかぶっている人も見かけ、一方ではまだ半袖で元気よく道を歩く人もいます。

 ぼくは秋まではいいのですが、マフラーや手袋をするような季節になると、気持ちがふさいでしまいます。何年住んでもこの厳しい寒さに馴染めず、つい冬篭りと言うことになりがちです。 本当は乗り物も建物も中に入ってしまえばかえって外出するほうがいいのですが。

 とはいえ目的もなく、出掛けるのも無駄ですし、自宅にいて窓から差し込む太陽のやわらかい光を受けているほうが、身も心も暖かくしてくれるような気がします。でも毎週決まった行動日には雪が降っても出掛けるのはこれは致し方ありません。寒いけれど人と会うと気持ちが温かくなり、元気をもらえます。

 だから少々の寒さでも縮こもっていないで外に出たほうが、よいに決まっているのです。今日もいつものように放送日ですので出掛けます。一つ一つが元気の源になると思い、楽しんでこようと思っています。

やさしいタイガー


難しい時代に

2010-09-26 10:14:32 | 日記・エッセイ・コラム

 最近の社会は、中国政府の次々打ち出す反日的な行動に、日本は批判的な反応が日増しに高まっているようです。こうしたときには過去の例で言えば、最も怒りをもって政府を襲うのは右翼と呼ばれる超ナショナリストたちなのです。それは日本の弱腰や報復をしないことへの苛立ちから来るのだと思います。偏狭的ナショナリズムといわれています。

 一部の市民は、「中国からなめられている。」という声も聞こえてきます。そうでしょうか。双方に冷静を願うのは当然としても、こういう言葉を吐く日本人の中に、自国が中国より優れていると思い込んでいる錯覚や謙虚さを失っている感情的発言ではと思うのです。

 過去の歴史を紐解いてもあの巨大な中国を侵略したことや様々な抑圧をしてきた延長線上にあることも重要な背景にあることも忘れてはならないことでしょう。転換期にきていることは確かです。難しい時代になったということです。これによって偏狭的な日本主義に陥らないような言動が望まれます。決して感情的に相手国や相手の人びとを見つめたりしないことが大切です。それが中国人がよく言う「大人的」な視点でしょうか。

 何事も時が解決していくのでしょうが、その時を複雑にするのも、何よりも中枢にいる政治関係者の大きな度量と言動です。日本に住む真面目な中国人がたくさんいることも、中には友人もいるのですから。それにしても仲良くするというのは本当に難しいものだと思いますね。

やさしいタイガー


下働きに感謝

2010-09-22 08:45:46 | 日記・エッセイ・コラム

 ぼくが所属している会が創立50周年を迎えることになり、その日が明日に迫ってきました。全体を指揮するメンバーは入れ替わり立ち替わりする情報を何度も訂正しながら、まだ頭を痛めるなど、ちょっと気の毒なくらい詰めの作業をしています。

 会のメンバー自体が出欠の返事をしないとか、急に欠席の連絡など、たった一人の非協力者のために全部プログラムを修正する様々な問題をぎりぎりまで注意深く見ながら、まだ完成していませんでした。

 ぼくもこの記念のために一つの部所を任ぜられているのですが、なかなかこちらが思うほど前に進みません。こういう重大な事態になっても責任感を持っている人はごく1,2名の人であり、他の人は関心すら失っていくのです。それでも何とか傍目には何の苦労もなく出来上がっているように進めなければなりません。

 組織を動かしていくには、最後は一人か二人に集約され、その人の下働きによって帳尻をあわせることになるのです。こうした人が一人でもいるだけで、組織のダイナミズムは大きなエネルギーとなって守られていくのです。いくつかの組織に所属していて思うのは、その一人や二人の下働きを黙々とする人がいるということです。

 さて、明日は夕刻から記念式典と祝賀会をします。記念に創成川の改修に伴い、公園化された機会に、しゃれた水飲み場を2カ所市民に贈呈することにしました。そして「水」の大切さを学ぼうと記念講演を聞くことになっています。

やさしいタイガー


おはぎのプレゼント

2010-09-21 08:32:48 | 日記・エッセイ・コラム

 彼岸の中日ということで、多くのご家庭ではおはぎを用意して先祖に捧げたりされていることでしょう。思いがけず近所で親しくしている方から相次いで「おはぎ」のプレゼントをいただきました。ぼくはおはぎが大好きなので、後でいただくことにしています。

 こうした親しくしている方がぼくらのことを思い起こし、わざわざ持ってきてくださる心が何よりも嬉しいものです。先祖の事を考えていると、だんだん自分が年を重ねていき、独りになったときどうしようと不安を抱く話題も立ち話の中に出てきたらしいのです。

 理屈ではわかっていてもなかなか受け入れられない心はまだ健全だからなのです。おはぎを見つめていると彼岸に逝かれた人びとのことが思い出され、懐かしさと同時に寂しい思いもまた浮かんでくるのでしょうか。そしてふと自分の周りに本当に会話の出来る人がいるのだろうかと考えるのかもしれません。

 不思議にも普通のお饅頭からはいろんな理屈は考えないものですが、おはぎは何か人間に気付かせるものが含まれているのかなと思います。ありがたい日でした。

やさしいタイガー