あれから3年が経った。何が変わったのか、被災者や避難者の痛恨の想いと震災復興の主体者との間には大きなギャップがあるし、相変わらず隠蔽体質と政府機関や大臣のあいまいな言動は、苛立ちや怒りを増幅させている。
東日本大震災から3年の月日が流れた。ことに福島原発の事故が及ぼした影響は想像を絶する。原発の影響で命を落とした人もいる。そんな人は一人もいないといった愚かな政府要人もいるが、被曝地域に住んでいた人々は何不自由なく暮らしていた自宅をそのままにして他地域に避難し、自分たちが生きている間に帰宅できないと感じている。誰の罪なのだろうか。
自分たちはよくても、孫子の代に生命の危険性を残したくないとの思いが、被災地を離れる要因になっているとの声を聴いたことがある。NHKの調査によると、74%が故郷にはもう戻らないという反応があるそうだ。
しかし、現実の動きはそうした苦汁に満ちた人々をあざ笑うかのように、原発の再稼働に動く電力会社、経済的恩恵を受けることをよしとしている一部の地方自治体、さらに政府・自民党の思いがどんどん前のめりになって動いている。
中には原子力規制委員会の審査時間がかかりすぎると文句を言う議員もいるようで、多分早く再稼働のサインを出したがっているのだろうが、そう簡単に決定してもらいたくない。これほど大事故を起こしているのだから、何としても終息と対策を公表してもらいたい。一般市民のわからないような言語でごまかしてもらいたくない。どうして政党や政府の要人たちは、被災した人々の現実を深く受け止められないのか、ここにも別の怒りがこもってくる。
もうこんな苦悩は誰も味わうべきではないし、それで経済が減速してもあえて受け止めていけるのではないだろうか。今こそ、人々はこんな危険な指針を受け止めれるべきではない。断じて原発の廃炉を目指すべきだと思う。
「美しい日本、国を愛する心」などといったのは誰であろう、時の首相だ。だとしたら、私たちが誇れる郷土にしよう。それには原発をやめ、技術移転などやめるべきだ。そのことを堂々と主張する政党を生み出していくしか道はないのかもしれない。私たちの意思が問われている気がする。
やさしいタイガー