初心者のクラシック

有名な曲からおすすめの曲まで、できるだけ初心者にも分かり易く紹介します。

ポルカ「狩り」 (ヨハン・シュトラウス2世作曲)

2007年09月15日 | ちょっとした曲
たまには、クラシック音楽を聴いてみてはいかがですか?

今日はヨハン・シュトラウス2世:ポルカ「狩り」です。

ヨハン・シュトラウス2世は実に多くのポルカ・ワルツを作曲しています。
今日のこのポルカ「狩り」も有名な曲で、ニューイヤーコンサートでも使われたりしているシュトラウスの中でも定番の曲といえると思います。

軽快で勢いのあるこの曲は、スッキリ、サラッと心地よく聴けますから、ちょっとしたときにいつでも聴ける曲ですね。
 
 トランペットがパンパン、パンパン♪と次第に音を大きくしていくと、
 ムチを打たれた馬が走りだすように、勢いのあるフレーズが始まります。
 獲物を追いかけて、猟犬と先を争うように走りだすイメージでしょうか?
 スネヤドラム(小太鼓)とバスドラム(大太鼓)のリズムも軽快に
 トントンと次へ進んでいきます。
 小刻みなピッコロのフレーズが入ると少し雰囲気が変わっていきます。
 仲間と示し合わせて獲物を追い詰めると、合図のトランペットを鳴らし、
 猟銃を撃ちます。
 とても愉快で楽しそうに、馬に乗り狩りを楽しんでいる様子が
 いきいきと伝わってくる一曲です。

演奏時間も2分少々と、かなり短めの曲なのでいつでも誰でも気軽に聴ける一曲です。
テンポも軽快に短い曲が一気に次から次へと進んでいきますから、アッと言う間に終わってしまいます。
スッキリと通り過ぎる風のようにさわやかな曲ですね。

≪オススメCD≫
美しく青きドナウ~ウィーン・フィル・シュトラウス・コンサート
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団,J.シュトラウス,クリップス(ヨゼフ),カラヤン(ヘルベルト・フォン),Jo.シュトラウス
ユニバーサルクラシック

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【コレってどんな曲】
喜:☆☆☆☆☆
怒:☆★★★★
哀:★★★★★
楽:☆☆☆☆★

≪おすすめシチュエーション≫
明るくスッキリ楽しめるシュトラウスです。


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「音楽の父」ヨハン・セバスチャン・バッハ(第5話)

2007年09月14日 | 作曲家の生涯
たまには、作曲家の生涯にふれてみてはいかがですか?

今日は「音楽の父」ヨハン・セバスチャン・バッハ(第5話)です。

≪作曲家の肖像≫

これがバッハだ
オムニバス(クラシック),ハーフォード(ピーター),バッハ,アカデミー室内管弦楽団,ベネット(ウイリアム),マリナー(ネビル),シュトゥットガルト室内管弦楽団,ミュンヒンガー(カール),ロンドン・シンフォニエッタ,ラローチャ(アリシア・デ)
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【Johann Sebastian Bach】


ワイマール公の庇護のもとに、音楽活動を続けるバッハ。今日はその続きからです。

(第5話)【ワイマールの転機】
ワイマールで落ち着いて仕事をするバッハでしたが、1713年7月ちょっとした転機が訪れるのでした。
ワイマール公(ヴィルヘルム・エルンスト)の甥である公子のヨハン・エルンストが留学していたオランダのユトレヒトからワイマールへ帰国してきたのでした。

公子ヨハンは当時交易が盛んなオランダから数々の美術品のお土産と同時に、イタリアやフランスの楽譜を持ち帰っていたのでした。

公子ヨハンは、バッハをはじめ宮廷楽師たちにこの楽譜を渡して、ピアノ用に編曲する事を命じるのでした。この楽譜の中にはヴィヴァルディやテレマンをはじめ、当時の名作曲家たちの楽譜が含まれており、バッハはこれらの作品に興味深く接する事になり、その後の作曲にも大いに影響を与えられることになるのでした。

こうしてワイマールで充実した日々を送っていたバッハでしたが・・・、

1713年12月バッハにはまたいつものクセ?が出てしまいます。
ハレの聖母教会でオルガニストを募集している事を知ると、これに応募するのでした。ハレの教会には、素晴らしいオルガンがあり、これがバッハの気を引いたのかもしれません。採用試験をパスしたバッハは、さっそく採用条件のすりあわせをハレの教会をしていたようですが、

ハレの教会が提示した俸給の額は現在のワイマールでの俸給に比べると、やや落ちる額だったため、バッハは内定を一時保留していたのでした。

すると、これを知ったワイマール公はバッハの移籍をどうにかくいとめるため、現在の俸給の額をアップさせて、楽師長に任命する事を約束するのでした。

ワイマール公から、これらの条件を提示されたバッハはハレの採用を断りワイマールに、残ることを決意するのでした。

こうして1714年バッハは宮廷楽師長に就任すると、それまでとは違い、毎月一回の教会音楽を作曲する事が義務付けられるのでした。
これを機にバッハは毎月教会のためにカンタータを一曲ずつ作曲し、演奏するという生活をしばらく送ることになるのでした。


ワイマールから、またどこかへ行きそうになるバッハでしたが…、ワイマール公の熱心な引き止めにより、ワイマールに留まる事になったバッハ楽師長の地位を手に入れますが…、このつづきはまた来週。

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「音楽の父」ヨハン・セバスチャン・バッハ(第4話)

2007年09月13日 | 作曲家の生涯
たまには、作曲家の生涯にふれてみてはいかがですか?

今日は「音楽の父」ヨハン・セバスチャン・バッハ(第4話)です。

≪作曲家の肖像≫
決定版 バッハのすべて
ピノック(トレバー),イングリッシュ・コンサート,バッハ,スタンデイジ(サイモン),ウィルコック(エリザベス),ムジカ・アンティクワ・ケルン
ユニバーサルクラシック

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【Johann Sebastian Bach】

アルンシュタットでオルガニストを務めるバッハは、結婚します。ようやく落ち着いて音楽に取り組む事ができるんでしょうか?今日はその続きからです。

(第4話)【ワイマールへ】
結婚をしたバッハはミュールハウゼンで教会のオルガニストを務めながら、カンタータの作曲をはじめていきます。今度こそ落ち着いてオルガニストをやるのかと思いきや…、

ミュールハウゼンの聖ブラジウス教会では、ふたつの派閥があったのでした。一方は教会音楽を重視してこれを取り入れる派閥。もう一方は教会にとっての音楽は形式的なものだけで十分として音楽の必要性を軽視する派閥。これが対立しており、教会の牧師たちは後者に属した者が主流だったようです。

そんな派閥争いに巻き込まれるのが嫌だったのか?あるいは教会における音楽の重要性をもっと追究したかったのか?

1708年6月、バッハはワイマールでオルガニストを募集していることを知ると、聖ブラジウス教会に辞表を提出し、ワイマールのオルガニストに応募して採用されるのでした。

バッハは前回もワイマールの私設楽団の演奏者として採用された事もありましたが、今回はワイマール公(ヴィルヘルム・エルンスト公(兄)の宮廷楽団のオルガニストに正式に採用されたため当時の俸給とも各段に違い、当然ミュールハウゼンの時よりも多くの収入を得ることができていたようです。

バッハの仕えたワイマール公は、音楽を愛し、各地から著名な音楽家も集め、宮廷のオルガンも新しく改修するほど熱心に音楽家たちの活動を保護した人物だったようです。

そんなワイマール公の音楽家達への待遇は、かなりの好待遇で、バッハもその例に漏れずワイマールへ移籍した直後の初任給もそれまでの額の倍近くだったようですが、更に年々昇給を加え、休暇もほぼ自由に取れていたようです。
バッハはその休暇を利用して、各地へ出かけるとテレマン他、各地の著名な教会オルガニスト達の音楽を満喫する事が出来ていたようです。

こうしてバッハも、ようやく落ち着いて、音楽活動に取り組んでいったようです。また私生活でも余裕ができたせいか、この頃から妻マリアとの間にたくさんの子供をもうけていく事になります。


今度はワイマールへ移ったバッハ。ここではかなりの厚遇を受けていますが、ようやくここで腰を据える覚悟ができたんでしょうか?このつづきはまた明日。

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「音楽の父」ヨハン・セバスチャン・バッハ(第3話)

2007年09月12日 | 作曲家の生涯
たまには、作曲家の生涯にふれてみてはいかがですか?

今日は「音楽の父」ヨハン・セバスチャン・バッハ(第3話)です。

≪作曲家の肖像≫
オーケストラで聴くバッハ名曲集
プロ・アルテ・オーケストラ,バッハ,レーデル(クルト)
ワーナーミュージック・ジャパン

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【Johann Sebastian Bach】

アルンシュタットの教会では、人間関係があまりうまくいかないバッハ、リューベックに向かうことになりますが・・・、今日はその続きからです。

(第3話)【アルンシュタットからミュールハウゼン】
アルンシュタットの教会から休暇を得たバッハは北部ドイツのリューベックに向かいます。リューベックには聖マリア教会があり、そこには名オルガニストのブクステフーテがいたのでした。

ブクステフーテのオルガンにバッハは魅せられてしまうのでした。当初4週間の予定だった休暇も、延びに延びて、結局3か月近くリューベックでそのオルガンの世界に浸るのでした。

アルンシュタットに帰ってきた教会では、休暇の無断延長もあってあまり良い関係とは言えない状態が続きます。更に、バッハは当時女人禁制とされていたオルガンのそばで「見知らぬ女性」に歌を歌わせたと噂が立ち、両者の関係はかなり険悪なものになっていくのでした。

1707年、バッハは聖ブラジウス教会から復活祭に招待されそこでオルガンの試験演奏を行うのでした。すると、バッハのオルガンはここで大好評を受けるのでした。

当時聖ブラジウス教会では専属のオルガニストが亡くなっていたため、その後任を探していましたが、バッハの演奏を聴いた教会はすぐにバッハに、専属オルガニストとしての契約を持ちかけるのでした。

アルンシュタットの教会とは既に関係を悪化していたバッハにとって、まさに渡りに舟の
この話を受け、アルンシュタットを離れミュールハウゼンの聖ブラジウス教会のオルガニストに迎えられるのでした。

新天地でオルガニストに迎えられたバッハはここで、結婚を決意します。相手はアルンシュタットに居たころから、親交を深めていたマリア・バルバラでした。

1707年10月、結婚式はアルンシュタット近郊の町ドルンハイムで行われます。このときバッハは22歳マリアは23歳でした。


アルンシュタットからミュールハウゼンへオルガニストとして渡り歩くバッハ。早くも結婚して家庭を築くことになりましたが、このつづきはまた明日。

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「音楽の父」ヨハン・セバスチャン・バッハ(第2話)

2007年09月11日 | 作曲家の生涯
たまには、作曲家の生涯にふれてみてはいかがですか?

有名な作曲家にはその真偽はともかくとして、たくさんの興味深いエピソードがあります。
そんな興味深いエピソードを中心に作曲家の生涯をたどっていきます。

今日は「音楽の父」ヨハン・セバスチャン・バッハ(第2話)です。


≪作曲家の肖像≫
J・S・バッハ:オルガン作品全集 第8巻 (2CD) [Import]



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【Johann Sebastian Bach】

早くから両親を亡くしてしまうバッハでしたが、兄の元に身を寄せてオルガンを学び、音楽家の道を進んでいきます。今日はその続きからです。


(第2話)【教会オルガニスト】
リューネブルクのミカエル教会の学校に入学してから、バッハはより音楽への興味を深めていったようです。
ドイツの北部地方は当時の著名な音楽家たちが居たこともあり、バッハはそれらの演奏を聴くためにハンブルクやツェレを訪れ、様々な演奏を聴いていくのでした。

こうして音楽の世界にのめりこんでいくバッハは1702年、ハレ郊外の町ザンゲルハウゼンにあるヤコブ教会のオルガニストの職に応募するのでした。若いバッハは採用試験でも優秀な成績だったようですが、採用はされず、このときは別の宮廷楽師が採用されていたようです。

結局、翌1703年にワイマール公(ヨハン・エルンスト)の私設楽団の宮廷楽師として、ヴァイオリンやヴィオラの演奏をして半年を過ごすことになります。

しかし、小さな楽団の楽師の地位に満足する事のなかったバッハは、故郷に近い町アルンシュタットに新しい教会が出来ると、このオルガニストとして迎えられる事になります。

教会での仕事は週3回の礼拝のための演奏と、少年聖歌隊の指導というものだったため、時間的には余裕も出来て、収入も申し分無いほどあったようですから、ここでは充実した生活を送っていたようです。

故郷に近い事もあって、周りにはバッハの親族も多くおり、リューネブルク時代に共に学んだ友人エールトマンや又従姉弟のマリア・バルバラもいたため安心して仕事に打ち込んでいた事が想像できます。

こうして、一見すると順調に見えたバッハの教会での生活でしたが、1705年事件が起きるのでした。20歳の若いバッハは音楽的には優秀だったようですが、そのため教会の楽団メンバーのレベルが低く見え、ある日団員の一人に「ヤギのファゴット」と野次ったのが原因で、ファゴット奏者が殴りかかると、バッハも剣を抜いてこれに対抗しようとしたため、仲裁が入らなければ危うく大惨事を招きかねない状況になっているところでした。

バッハは教会から厳重注意を受けますが、おそらくこれがきっかけで、少し嫌気が差したらしく、教会に4週間の休暇を申し出て、ドイツ北部の都市リューベックへ向かうのでした。


比較的順調にオルガニストの職についたバッハでしたが、おっとっと、剣に手をかけちゃあマズイでしょう。リューベック訪問が気分転換の息抜きになればいいんですが・・・、このつづきはまた明日。

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「音楽の父」ヨハン・セバスチャン・バッハ(第1話)

2007年09月10日 | 作曲家の生涯
たまには、作曲家の生涯にふれてみてはいかがですか?

有名な作曲家にはその真偽はともかくとして、たくさんの興味深いエピソードがあります。
そんな興味深いエピソードを中心に作曲家の生涯をたどっていきます。

今日は「音楽の父」ヨハン・セバスチャン・バッハ(第1話)です。

「G線上のアリア」や「主よ、人の望みの喜び」などの親しみ深い曲から、「ゴールドベルク変奏曲」や「ブランデンブルク協奏曲」などの大作まで、多くの作品を送り出し近代音楽の基礎を築いたと言われるバッハはどんなどんな生涯を送っていたのでしょうか?

≪作曲家の肖像≫
ベスト・バッハ100
オムニバス(クラシック),パトリアシュ(キャサリン),ブレット(チャールズ),クルック(ハワード),シュリック(バルバラ),クーイ(ピーター),コーラス・オブ・コレギウム・ヴォカーレ・ゲント,オーケストラ・オブ・コレギウム・ヴォカーレ・ゲント,ヘレヴェッヘ(フィリップ),バッハ
EMIミュージック・ジャパン

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【Johann Sebastian Bach】

【ドイツ】
【1685~1750】
【バロック】


(第1話)【音楽一家】
1685年ヨハン・セバスチャン・バッハはドイツのアイゼナハに生まれます。父アンブロジウス・バッハと母エリザベートとの間に8人目の子供として生まれたバッハは(いや~子だくさん)文字通り“音楽一家”で父アンブロジウスもアイゼナハの音楽家でバッハの兄も後に音楽家になっているようです。

しかし、音楽家と言っても父アンブロジウスも一介の町の音楽家だったようですし、いわゆる“大作曲家”という位置付けではなかったようで、当時は職業自体が世襲的な要素を多く含んでいた事もあったようですから、“音楽一家”と言っても父の職業である音楽家を見て育った子供たちが、音楽家になった事も当然と言えば当然のなりゆきだったのかもしれません。

そして、バッハもその例に漏れず、迷うことなく音楽家への道を歩んでいくことになるのでした。

1692年7歳になったバッハは聖ゲオルク教会付属のラテン語学校に入学する事になります。ここで学びながら教会の聖歌隊として歌ってもいたようですが・・・、

1964年9歳になると母エリザベートが他界してしまいます。父アンブロジウスはすぐに再婚しますが、翌1695年に亡くなってしまうのでした。

こうなるとまだ10歳のバッハにはなす術もなく、オールドルフで既に教会オルガニストをしていた長男のクリストフの元に引き取られていく事になるのでした。

バッハを引き取ってくれた、この兄クリストフは、「カノン」でお馴染みのパッヘルベルに学んで音楽家として生活をしていたのでした。

バッハ、はこの兄クリストフからクラヴィア(ピアノ)の基礎を学んでいたようです。

そして1700年15歳になると、北ドイツのリューネブルクにある聖ミカエル教会に入学する事になります。ここには友人エールトマンと共にふたりで向うのでした。

15歳の少年バッハは、最初は聖歌隊としてボーイソプラノを歌っていましたが、変声期を迎えたバッハはボーイソプラノとしては歌えなくなってしまいますが、この頃から協会にあったオルガンに興味を示すようになってきたのでした。


少年時代に早くも両親を失ってしまったバッハ、その後は兄クリストフのもとに身を寄せて、音楽を学んでいきます。そしてオルガンに興味を示し始めるバッハでしたが・・・、このつづきはまた明日。

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もくじ (作曲家別R・S曲名リンク)

2007年09月10日 | ♪ も く じ
既に気づいている人もいるかもしれませんが、またもくじが増えました!結構大変デス!
頭文字R・Sの作曲家別です。

A・Bの作曲家・もくじはこちらから
C~Hの作曲家・もくじはこちらから
J~Pの作曲家・もくじはこちらから

☆RACHMANINOFF【ラフマニノフ】
ピアノ協奏曲第2番 ♪ピアノ協奏曲第3番 パガニーニの主題による狂詩曲

☆RAVEL【ラヴェル】
ボレロ  ♪亡き王女のためのパヴァーヌ   ♪ラ・ヴァルス  ♪スペイン狂詩曲 
組曲「マ・メール・ロワ」 「ダフニスとクロエ」第2組曲 ♪優雅で感傷的なワルツ
ピアノ協奏曲 水の戯れ

☆RESPIGHI 【レスピーギ】
交響詩「ローマの松」 ♪交響詩「ローマの噴水」 ♪交響詩「ローマの祭」

☆RICHARD-STRAUSS【リヒャルト・シュトラウス】
♪アルプス交響曲
交響詩「ドン・ファン」 交響詩「英雄の生涯」  組曲「ばらの騎士」
交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」 ♪交響詩「ドン・キホーテ」
♪交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」

☆RIMSKY-KORSAKOV【リムスキー・コルサコフ】 交響組曲「シェエラザード」

☆RODRIGO【ロドリーゴ】アランフェス協奏曲

☆ROSSINI【ロッシーニ】
「ウィリアム・テル」序曲 ♪「セビリャの理髪師」序曲 「どろぼうかささぎ」序曲
♪「絹のはしご」序曲 ♪「チェネレントラ」(シンデレラ)序曲

☆SAINT-SAENS【サン・サーンス】
♪交響曲第3番「オルガン付き」 ヴァイオリン協奏曲第3番 チェロ協奏曲第1番
組曲「動物の謝肉祭」 ♪バッカナール ♪交響詩「死の舞踏」
序奏とロンド・カプリチオーソ ♪ハバネラ

☆SARASATE【サラサーテ】チゴイネルワイゼン  カルメン幻想曲

☆SATIE【サティ】♪ジムノペディ

☆SCHUBERT【シューベルト】
♪交響曲第3番 ♪交響曲第4番「悲劇的」
交響曲第8番「未完成」 交響曲第9番「ザ・グレイト」
ピアノ五重奏曲「ます」 ♪弦楽四重奏曲第14番「死と乙女」
♪「ロザムンデ」序曲 軍隊行進曲 ♪即興曲
「冬の旅」第1部 第2部アヴェ・マリア 野ばら 子守唄 
♪「恋する女の手紙」 ♪「シルヴィアに」

☆SCHUMANN【シューマン】
♪交響曲第1番「春」 交響曲第3番「ライン」
ピアノ協奏曲 ♪チェロ協奏曲 子供の情景(トロイメライ)他♪クライスレリアーナ

☆Clara Schumann【クララ・シューマン】ピアノ協奏曲

☆SHOSTAKOVICH【ショスタコーヴィチ】
交響曲第5番「革命」
♪交響曲第9番
祝典序曲♪ジャズ組曲第1番 ジャズ組曲第2番

☆SIBELIUS【シベリウス】
交響曲第2番

ヴァイオリン協奏曲
交響詩「フィンランディア」 ♪交響詩「トゥオネラの白鳥」♪「カレリア」組曲

☆SMETANA 【スメタナ】
♪交響詩「高い城」
交響詩「モルダウ」  ♪交響詩「シャルカ」
♪交響詩「ボヘミアの牧場と森から」 ♪交響詩「ターボル」 ♪交響詩「ブラニーク」
♪歌劇「売られた花嫁」序曲 ♪弦楽四重奏曲第1番「わが生涯から」

☆SOUSA【スーザ】星条旗よ永遠なれ  ワシントンポスト

☆STRAVINSKY【ストラヴィンスキー】 バレエ音楽「火の鳥」

☆SUPPE【スッペ】「軽騎兵」序曲  喜歌劇「詩人と農夫」序曲

→T~Zの作曲家の目次はこちらから
→全部のもくじはこちらから←

訃報 パバロッティ 死去

2007年09月09日 | その他
たまには、クラシック音楽を聴いてみてはいかがですか?

――― 訃報 パバロッティ 死去 ―――

まずはニュース記事から
 [ローマ 6日 ロイター] がんを患っていた世界的なイタリア人テノール歌手、ルチアーノ・パバロッティさんが6日、死去した。71歳だった。パバロッティさんのマネジャーが明らかにした。

 同マネジャーが、ロイターに「ルチアーノ・パバロッティは1時間前に死去した」と携帯電話のメールでメッセージを送った。
 パバロッティさんは2006年7月、ニューヨークで膵臓(すいぞう)がんの手術を受けており、その後は北イタリアにある出身地モデナで治療を受けていた。
……―――――
―― パバロッティさん:モデナの大聖堂で葬儀 伊首相ら参列 ――
 [ローマ 8日]世界中のファンに惜しまれながら71歳で死去したテノール歌手、ルチアーノ・パバロッティさんの葬儀が8日、故郷のイタリア北部モデナの大聖堂で営まれた。

 プロディ・イタリア首相をはじめ、アナン前国連事務総長、ロックバンド「U2」のボノさんら大勢の友人や知人が参列。ブルガリア人著名ソプラノ歌手、ライナ・カバイバンスカさんが鎮魂の歌をささげた。
 パバロッティさんの遺体はタキシード姿でひつぎに納められ、報道によると、死去後3日間で約10万人が弔問した。遺体はモデナ郊外のモンターレ・ランゴーネ墓地に埋葬される。
毎日新聞 2007年9月8日 22時56分 (最終更新時間 9月8日 23時01分)
……――――

ニュースで見ましたが、びっくりでした!パバロッティが死去だなんて・・・、
ホセ・カレーラスとプラシド・ドミンゴと並んで「3大テノール」と異名をとったあのパバロッティが・・・、

昨年のトリノ五輪でも、元気な歌声とトレードマークのヒゲヅラが、明るく朗らかな歌声を聴かせてくれてましたし、まさかその年からがんで入院していようなどとは露ほども知りませんでした。

それにしても、もう71歳だったんですね。あの若々しく溌溂とした歌声とニコッと笑う親しみ深い笑顔がとても印象的だったので、まさかそんなにお年をめしているとは知りませんでした。まあ実際に彼のコンサートにも行ったことはないので、彼の歌声といえばもっぱらCDやテレビで見るだけですし、これらは保存が効きますから特に年齢は意識してませんでしたが・・・、

ルチアーノ・パバロッティ、オペラを聴こうと思ってそのテのCDを探せば必ずこの名前がどこかしらに見つかると言っても過言ではないほど、あまりにも有名なテノール歌手。
プッチーニやヴェルディなど、イタリアオペラを中心にその明るい歌声がとても印象的でしたが、その朗らかで情熱的な歌声はこれからも、多くの人に親しみを持って聴き続けられる事でしょう。
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

≪オススメCD≫
グレイテスト・ヒッツ
パバロッティ(ルチアーノ),ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団,プッチーニ,メータ(ズービン),ロンドン・オペラ・コーラス,サザーランド(ジョーン),ナショナル・フィルハーモニー管弦楽団,ヴェルディ,ボニング(リチャード),ウィーン・フォルクスオーパー管弦楽団
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あの歌声はいつまでもこころに残る事でしょう。


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空白の一週間

2007年09月08日 | その他
まずは、いつも楽しみにこのブログを読んで頂いている皆さんにはお待たせして、すみませんでした。

「ひょっとして体調でも崩したんじゃないか」とか「何か事故にでも遭ったんじゃないか」とか、ご心配をおかけしてたら、申し訳ないです。
特に体をこわしたりはしてませんので、その点は大丈夫です。

で、その原因は、前にもこのブログを書いてるときにあったと思うんですが、
パソコンが・・・、また動かなくなってしまったんですね、コレが・・・、
前回もそうでしたけど、まぁ面倒くさいことこの上なし、ですね。前にも一度同じことがあったので、ブログを含めておおかたのデータはフラッシュメモリーにバックアップしてたんですけど・・・、

さすがに毎日こまめにバックアップしてた訳じゃなかったんで、最近のファイルはほぼ無くしてしまったんですけど、もうそろそろマシンの寿命なのかもしれません。

そろそろパソコンの買い替え時期なんでしょうけど、ねぇ。そうは言ってもパソコンですから、安くなったと言っても、結構なお値段なので、もうしばらく頑張って欲しいんですがどうでしょう?

加えて最近は、1日・2日くらいは間があく事があったので別に気にしてない方も多いかもしれませんが、Gooブログのアクセス履歴を見て見ると、多少は減ったものの、それでも一定の方は、空白の間も、ほぼ毎日見てくださっていたようなので、楽しみに待ってくださった方にはとても申し訳ないです。

一応、これからもまめに更新していくつもりですが、また、しばらく更新がとぎれたときは、「また、パソコンでも壊れたかな?」くらいに思ってもらえれば、と思います。

最後に重ねて、ご心配をおかけして、お待たせしてしまった読者のみなさまには本当に申し訳ありませんでした、ごめんなさい。

ボギー大佐 (アルフォード作曲)

2007年09月07日 | ちょっとした曲
たまには、クラシック音楽を聴いてみてはいかがですか?

今日はアルフォード:ボギー大佐です。

さて、1週間のご無沙汰になってしまいましたが、それはまた後ほど・・・。
そして今日の曲は行進曲「ボギー大佐」ですが、これまでもクラシックの曲をいろいろと紹介してきたこのブログですが、よくよく見ると、あんまり行進曲(マーチ)を紹介してなかった気がするので、今日は久々のマーチです。

そしてこの「ボギー大佐」は、そのマーチの中でも、かなり有名な曲なんだと思います。映画「戦場にかける橋」(例によって見たことは無いけど。)では「クワイ河マーチ」として一躍有名になっているようです。口笛風の感じだったかな?
おそらく聴けば誰でも「ああ!この曲ね!」とうなずいてもらえる曲のはずです。

 愉快な前奏が終わると、軽快なリズムのマーチが始まります。
 木管楽器のメロディに、心地よく刻むスネヤドラム(小太鼓)とチューバのリズム。
 トロンボーンとユーフォニウムの裏メロも軽やかに流れます。
 中間部ではトロンボーンとトランペットを中心にした、勇ましい掛け合いが
 戦闘態勢を連想させます。
 戦闘態勢が解除されると再び、隊列の整ったマーチテンポがつづきます。
 その後は、フルート、ピッコロのフレーズが軽やかに流れると、
 ビシッと曲をしめくくって終わります。

ちなみにタイトルの「ボギー大佐」は、一体だれのこと?と、思ってウィキペディアで調べてみると、[実在する人物ではなく、ゴルフ用語のボギー”の事]らしい。
マジですか?!知らんかった!てっきりイギリス海軍とかアメリカ陸軍とかにいた、軍人さんのために、作曲家が作曲した曲。くらいに思ってて、何か面白エピソードが、きっとあると思っていたのに・・・、違うんですね。

加えて、ちなみに小学校くらいのときには、学校の休み時間に、この曲がかかっていたので、皆して「サル、ゴリラ、チンパンジ~♪」とか何とか言いながら鼻歌まじりで歌ってました。って書こうと思ってたんですけど、
これもウィキペディアに載ってるから、かなりビックリ!この歌詞も日本では全国規模の歌詞だったんですね。(ひょっとして歌詞としてジャスラックとかに登録してあったりするのかなぁ??まさかね・・・。)


≪オススメCD≫
星条旗よ永遠なれ/マーチ名曲集
フェネル(フレデリック),イーストマン・ウインド・アンサンブル,スーザ,アルフォード,タイケ,ガンヌ
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≪映画「戦場にかける橋」DVD≫
戦場にかける橋

ソニー・ピクチャーズエンタテインメント

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【コレってどんな曲】
喜:☆☆☆☆★
怒:☆☆★★★
哀:★★★★★
楽:☆☆☆★★

≪おすすめシチュエーション≫
愉快なマーチは手軽に楽しめます。


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