初心者のクラシック

有名な曲からおすすめの曲まで、できるだけ初心者にも分かり易く紹介します。

ユモレスク  (ドヴォルザーク作曲)

2006年08月31日 | ちょっとした曲
たまには、クラシック音楽を聴いてみてはいかがですか?

今日はドヴォルザーク:ユモレスクです。

ドヴォルザークの中でも有名なこの作品は、誰でもきっとどこかで聴いた事のある曲だと思いますよ。ちなみに、タイトルのユモレスクを例によってgooの国語辞典で調べてみると、「軽やかな気分の滑稽味のある器楽曲の小品」だそうです“小品”というのは「ちょっとした曲」とか「短い曲」という意味なんですね。
 なので、ユモレスクというタイトルの曲はドヴォルザークの他にも、シューマンやラフマニノフなども作曲しているみたいなんですけど、残念ながらまだ聴いた事ありません。

さて、曲の方はおそらくピアノ曲だと思いますが、ヴァイオリンやチェロあるいは、フルオーケストラなんかで演奏される事もあるマルチプレイヤーみたいな作品です。ここでは、ピアノでの演奏を紹介しますが、演奏される楽器によっても微妙に雰囲気が変わるようですから、そんな違いを楽しんで聴くのもいいでしょうね。なんと言っても「軽やかな気分になれる」曲ですから、どの演奏で聴いてもここちよく聴けると思いますよ。

 ゆったりとしたメロディは多分聴いたことある人も多いんじゃないでしょうか?
 確かに軽快でこころの落ち着く曲ですね。そして少し曲調を変え美しくもちょっと
 切ない表情を見せるところが、なんともまたニクイところですね。
 そして、中盤に入ると曲調が変わり、悲しみは激しさを増し、何かを強く訴えようと
 しているように聴こえてきます。
 しかし、それが終わるともとのやさしく、ゆったりしたフレーズへと戻りますから、
 最後まで安心して聴ける曲ですね。

演奏時間はかなり短く、3分少々ですけど有名なフレーズは誰もが懐かしく楽しく聴ける曲なんだと思います。CDでは、「ピアノ名曲集」みたいなオムニバス版に入っている事がほとんどたど思います。いろんなピアノ曲と一緒に楽しんでみてください。


≪オススメCD≫
美人ピアニストイリーナ・メジューエワの演奏でどうぞ。
特撰!ピアノ名曲150<3> 舞踏への勧誘/ルーマニア民俗舞曲
メジューエワ(イリーナ), バッハ, ベートーヴェン, クープラン, ラヴェル
コロムビアミュージックエンタテインメント

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≪顔のわかるCD≫
ユモレスクは入ってませんが、せっかくなので彼女の美貌をお楽しみください。
1回コンサート行った事ありますけど、実物はもっと大人っぽかったです。
おとぎ話/忘れられた調べ~メトネル作品集
メジューエワ(イリーナ), メットネル
コロムビアミュージックエンタテインメント

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【コレってどんな曲】
喜:☆☆☆★★
怒:☆☆★★★
哀:☆☆☆★★
楽:☆☆☆☆★

≪おすすめシチュエーション≫
軽やかな気分になりたいときに聴いてみましょう!


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ピアノソナタ第3番

2006年08月30日 | ショパン
たまには、クラシック音楽を聴いてみてはいかがですか?

今日はショパン:ピアノソナタ第3番です。

ショパンはピアノ曲を中心に多くの作品を残していますが、ピアノソナタは全部で3曲しか作曲していません。協奏曲も3曲しかないですから、こういう「いかにもクラシック」みたいな曲を作るのはあんまり好きじゃなかったんでしょうか?
 それにソナタ第2番もそうでしたが、この第3番も全4楽章になっています。ただ、この作品はショパンの晩年の作品という事もあって、とても微妙かつ繊細な作りをしていますから、ひょっとすると、初心者の方が聴くと、煮え切らないようなまどろっこしい曲と感じるかもしれませんが、その微妙なところがまたショパンの魅力なんでしょうね。
 

 第1楽章:崩れかかりそうになるのを必死でこらえているような、そんな悲しいフレーズ
 から始まります。そして迷走するように激しく鳴り響きますが、しばらくするとそれも
 落ち着き、少し切ないけど美しいメロディへと変わっていきます。奇麗なメロディライン
 はショパンの十八番ですね。美しさが激しく盛上がるフレーズと寂しそうに切なくつぶ
 やくようなフレーズが絶妙のタイミングで絡み合っていきます。
  幻想的なうっとりするフレーズから流れるように激しく鳴り響くフレーズまで流麗な
 ピアノはショパンの得意分野ですね。

 第2楽章:可愛らしく次から次へと音が洪水のように流れてきます。そして少し落ち着く
 と低音のじわ~と聴かせるフレーズが響きます。それが終わるとまた、すぐに急がしそう
 な始めのフレーズに戻って、すぐに終わります。
 
 第3楽章:重たい低音のフレーズから始まります。しかしその後はオパン普通にゆったり
 としたフレーズが続き、なんとも独特なまったりとした雰囲気をかもし出してきますから、
 まるで夢でも見ているような、うつろなフレーズが続きます。なんとなく気だるいけど
 でも、ここちよい感じでしょうか?ショパンの世界に引き込まれていくようです。
 
 第4楽章:覚悟を決めたような厳しいフレーズから、堂々と迫るようにして盛り上がり
 ます。しかし、激しく力強い音だけではなく、キラキラと輝く装飾もさりげなく加えて
 ありますから、曲が一層引き締まって聴こえてきます。しかし、いくら装飾をつけて
 あったとしても、力強い意思は変わらずどんどん突き進んでいきます。伴奏やそんな
 装飾をなぎ払うかのようにして、力強いメロディがどんどんと前に進んでいきます。
 そして、見事に曲の最後を飾って終わります。

切ないショパン華麗なショパン美しいショパン繊細なショパン・・・と、さすがに晩年に作っただけあって様々な要素がたくさん盛り込まれているのにそれが、いやらしく感じないところがショパンの凄いところなんでしょうね。さりげなくオシャレに聴かせてくれますからいいですね、この曲は。


≪オススメCD≫
ソナタ3番は、たいてい2番と一緒に録音されている事が多いですから一緒にどうぞ。
ショパン:Pソナタ第2&3番
ポリーニ(マウリツィオ), ショパン
ユニバーサルクラシック

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【コレってどんな曲】
喜:☆☆★★★
怒:☆☆☆★★
哀:☆☆☆★★
楽:☆☆☆★★

≪おすすめシチュエーション≫
ショパンの色んな要素がい一曲で楽しめる曲じゃないでしょうか?

≪今週の桑野さんの聴いていた曲≫
ドラマ「結婚できない男」で主人公役の阿部寛さんが今回聴いていたのは、ムソルグスキー作曲ラヴェル編曲の組曲「展覧会の絵」からプロムナードですね。若い彼女からメールが届いたときに聴いてましたね。そして冒頭に弟とその奥さんがいた喫茶店で、うっすら流れていたのは、モーツァルトのクラリネット五重奏曲の第2楽章だと思います。たぶん
あと、女の子同士がマンガ喫茶にいるときにもBGMでオーボエだかイングリッシュホルンだかの音が聴こえていましたが、さすがにこっちは分かりませんでした。ドラマの方もちょっと面白くなってきましたよね。

♪ショパンのピアノソナタ第2番「葬送」の記事はこちら
♪ムソルグスキーの組曲「展覧会の絵」の記事はこちら
♪モーツァルトのクラリネット五重奏の記事はこちら


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交響曲第2番「復活」  (マーラー作曲)

2006年08月29日 | その他の作曲家
たまには、クラシック音楽を聴いてみてはいかがですか?

今日はマーラー:交響曲第2番「復活」です。

この曲は、この前ドラマ「結婚できない男」で阿部寛さんが聴いてたその曲ですね。(たぶん)というわけでせっかくなので紹介してみましょう。
マーラーの中でもタイトルもついていて人気のあるこの曲・・・なんですが、マーラーですから長いですよ。演奏時間は約80分前後。なのでCDでは1枚に収まっているものと、そうでないものがあります。(指揮者によって長さが変わるんですね。)なので、初心者が聴く場合はかなりゆとりを持って、覚悟して聴かないとダメですね。(時間的に)
しかし内容は豪華で様々な表情を見せてくれるハリウッド映画みたいな感じでしょうか?内容もたっぷり詰まっていますし、演奏時間も長い分ひとつずつのフレーズもたっぷり取ってありますから、聴き応えはこれ以上無いほど満点の作品ですね。

タイトルの「復活」は“キリストの復活”を表しているようで、第5楽章ではソプラノ・アルト・混声合唱がその事を歌っているようです。歌詞の意味はたいていのCDなら解説書に載っていると思いますが、分からなくても音として聴けば、十分な迫力を持っていますし、その魅力を感じる事ができると思います。

 第1楽章:チェロのざわめくような響きにコントラバスのいかついフレーズから始まり
 ます。そして、滑稽なオーボエが乾いたメロディで響いてきますから、ちょっと怖い
 曲ですね。
 更に、ミュート(消音器)トランペットの音が鳴り、更にヴォリュームを上げると
 怖さは一層引き立ちます。そんないかつい表情をなんとか克服しようともがくように
 してしばらく曲は続きます。
  すると、やがて曲はだんだん静かになり、ホルン、オーボエの響きに少しなだめ
 られるようにして、落ち着いたやわらかい表情を見せてきます。なごやかな雰囲気は
 しばし、その喧騒を忘れさせてくれるものとなります。しかし、また、だんだんと厳
 しい表情へと再び戻っていき、トロンボーン、ホルン等が騒がしく鳴り立てます。
  そんな表情をくりかえしていると、冒頭のフレーズが更にパワーアップして深刻な
 一撃を加えていきます。そんな恐ろしいフレーズからなんとか立ち直ろうとトランペット
 等が、カッコよく響きますが、両者のせめぎ合いは激しく続きます。
  そんな両者をなだめようとでもするかのように、またヴァイオリンを中心とした
 弦楽器のフレーズがやさしく包みこむようにしておおらかな雰囲気になります。そして
 だんだん音が無くなり静かになっていきますが、混迷の収まらないままその嘆きを表し
 たようにとめどないトランペットの音が虚しく響いて1楽章は終わります。

 第2楽章:チェロのやさしい響きが、とても和やかな雰囲気を出しています。前半は、
 とても落ち着いた曲ですね。
 しかし、ホルンが「ポーン」と響くと曲は一転してまた、妖しい響きへと変わっていき
 ます。フルートの寂しそうなフレーズから弦楽器が怪しいリズムを刻むと、曲はまた、
 どうにかなってしまうんだろうか?と思っていると、今度はまたやさしい弦楽器の
 フレーズへと戻ります。
  ところが、落ち着いているといきなり、忘れた頃に苦難が待ち受けていたかのように
 して、突然襲ってきます。コントラバスが鋭いリズムを突きつけてきます。そんな激しさ
 とやさしさが錯綜するフレーズのやり取りをしていると、最後にそれを高いところから
 見下ろしているかのような、弦楽器のピチカート(弦を弓ではなく指ではじく)が聴こえ
 ヴァイオリンのソロがやさしいメロディを奏でて、静かに終わって行きます。

 第3楽章:「ド!ドーン!」とティンパニが目の覚めるような音を立てて、始まります。
 ファゴットの滑稽なリズムと共にクラリネット、フルートがふわふわとした、奇妙な
 フレーズを鳴らしていきます、どこへ行くとも無く、のらりくらりとしたフレーズは
 やがて、どこかにぶつかってシンバルの「ドシャーン」という響きでこけてしまった
 かのようにも聴こえます。しかし、すぐに立ち上がってまたどこへともなくふらり
 ふらりと歩いていく様子がしばらく引き継がれていきます。
  しかし、トランペットの響きが派手にファンファーレを鳴らすと、次には美しい
 メロディを更にトランペットが続け、ヴァイオリンと共に暖かい空気をしばし与えて
 くれます。ところがまた元のふらりふらりのリズムに戻っていきます。すると今度は
 業を煮やしたトランペットが一喝!再び大音響でファンファーレを鳴らします。
 しかし、しばらくすると又のらりくらりに戻り結局どこへともなく曲は終わります
  
 第4楽章:静まり返った中にアルト(低音女声)のソロが「美しい真紅のバラよ」と
 淋しげなメロディに乗せて歌い始めます。その後をおごそかなトランペットが粛々と
 曲を進めていきます。そして、アルトは「人は多大な苦悩に悩まされている」と悲しく
 それを訴えるように歌います。オーボエのやわらかな響きもどこか悲しげに聴こえて
 きます。そして、「一筋の道を見つけるが天使がそれを邪魔している」と歌い曲調は
 少し表情が怪しくなってしまいます。しかし、ヴァイオリンとアルトは奇麗に絡み合い
 「一筋の光とともに神へと導かれていく」と歌いながら、それはまるで天にでも召さ
 れていくかのようにして曲を終わります。
 
 第5楽章:いきなり「ドシャーン」と大音響で始まり、トランペット、トロンボーン等
 が派手に鳴らしまくります。しかし、すぐに落ち着いてやわらかい曲調でトランペット
 がやわらかなフレーズでつないでいきます。
  やがて、ホルンやオーボエが静かにフレーズをつないでいきます。そして今度はフルート
 、ホルンがゆったりと大きくフレーズを取っていくと、夜が明けたような壮大なフレーズ
 になります。一瞬緊迫感を見せますが、スネヤドラム(小太鼓)がドラムロールで盛上げ
 ると、更に曲は壮大に迫力を持って、ホルン、トランペットが大きく鳴り響きます。
  すると、更にドラムロールで、今度は曲調が一転してトロンボーン、トランペットが
 はっきりと響きます。そして行進曲風にどんどん前へと進んでいるようにして、元気に
 曲を進めて行きます。しばらくはこの勢いのついた曲調が派手に続き金管楽器達が華やかに
 鳴り響いていきます。そして、トロンボーン、トランペットが、これでもかと言わん
 ばかりに最大に盛上がると一旦曲は落ち着いてきます。
  さっきまでの大音響の出来事がまるで嘘だったかのように静まりかえります。そして
 混沌と、粛々と管楽器達がフレーズをつないでいき、再び静まり返ると、静かに静かに
 合唱隊が「よみがえる汝はよみがえる・・・」と歌い始めます。フレーズの最後をアルト
 が歌頃には、とても神秘的な雰囲気になっています。まるで光が差しこんできているかの
 ように聴こえてきます。そしてアルトは「信じなさい、汝が望み、愛し、戦ったものを」
 ソプラノ(高音女声)も歌います。「信じなさい汝はただ生まれたのではない、苦しんだ
 のではない」と、そして合唱が、「生きるものは必ず滅び、滅びるものは必ず生まれ変
 わる恐れずに生きる準備をしなさい」と歌います。そしてソプラノとアルトが死と苦しみ
 を乗り越える歌を歌うと、最後は盛大な大合唱で「よみがえる、汝はよみがえる…高鳴る
 鼓動が汝を神へと導くのだ」と歌い上げ、最後はチャイムが盛大に鳴り響いて曲を終わり
 ます。
  

かなり長くなりましたが、これくらい曲も長いです。尚、文中の歌詞はCDの解説を部分要約して略したものをですから、そのまんまではありませんので注意してください。それにしても、壮大なスケールの交響曲は第九以来ですね。スケールとしては第九に匹敵するくらいの素晴らしいものだと思いますし、聴けばその迫力は分かると思います。
ちなみにこの曲の初演はあのベルリンフィルをマーラー自身が指揮をして演奏したと言われています。凄いですね!マーラーってベルリンフィルも振ってたんだ!?初演では1~3楽章のみを演奏していたようです。


≪オススメCD≫
壮大なスケールでマーラーをお楽しみください。
マーラー:交響曲第2番
メータ(ズービン), ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団, ウィーン国立歌劇場合唱団, バラチュ(ノルベルト), コトルバス(イレアナ), ルートヴィヒ(クリスタ), マーラー
ユニバーサルクラシック

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【コレってどんな曲】
喜:☆☆☆★★
怒:☆☆☆☆★
哀:☆☆☆☆★
楽:☆☆★★★
          →壮☆☆☆☆☆

≪おすすめシチュエーション≫
時間のあるときにじっくり浸って聴きたい曲ですね。


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「ピアノの詩人」ショパン  (最終話)

2006年08月28日 | 作曲家の生涯
たまには、作曲家の生涯にふれてみてはいかがですか?

今日は「ピアノの詩人」フレデリック・フランソワ・ショパン(最終話)です。

≪作曲家の肖像≫
ショパン名曲100
オムニバス(クラシック), ダン・タイ・ソン, シンフォニア・ヴァルソヴィア, ショパン, マクシミウク(イェジー)
ビクターエンタテインメント

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【Frederic Francois Chopin】

さて、未練たっぷりでサンドと別れる事になったショパンですが、その後はどうなってしまうんでしょう?ちょっと心配なその続きからです。

(第9話)【傷心のイギリス旅行へ】
 1848年になると、パリでは二月革命が起こり暴動が絶えなく危険な状態になっていました。失恋の痛手もあったショパンは、この頃には体もそうとう弱くなっていたようです。貴族達は革命軍を恐れ田舎へと疎開して行ったため、パリではショパンの仕事もほとんど無い状態でした。以前からショパンの弟子として、ピアノを教えていたイギリスのジェーン・スターリング伯爵夫人の招待でスコットランドを訪れる事になるのでした。

 このジェーン伯爵夫人はショパンの熱烈なファンと言うより、どうやらショパンを愛していたようです。だって弟子っていっても、イギリスの北部スコットランドからわざわざフランスのパリまで、習いに来るなんて言ったら今でもそうとうな距離ですからねぇ。それにこのジェーン嬢は実家はかなり大富豪だったらしく、晩年のショパンにも相当お金を工面してあげていたようです。「愛の力」ってヤツでしょうか?一方ショパンはそんな彼女の想いを少しばかりうっとおしく思っていたようです。と言うよりはサンドの事が忘れられなかったんでしょう。

 さて本題に戻ると、そんなジェーンの招待を受けて一路スコットランドへと向かうショパンでした。イギリスでもショパンは人気のピアニストで有名になっていた事もあり、そんなショパンをイギリスの名所に案内しようとウキウキだったジェーンは、彼を数々のパーティーに連れ出し、数々の演奏会をする事になるのでした。エジンバラ宮殿での演奏会をはじめ、ヴィクトリア女王の前でも御前演奏をしたいたようですね。

 ジェーンにとっては憧れのショパン先生(と言っても彼女の方が年上のようですが)と一緒に過ごした甘い想い出のひとときだったようですが、ショパンには特にジェーンに対してもスコットランドに対しても特に思い入れるほどでは無かったらしく、イギリスからグジマワに手紙で「スコットランドの人はこれでもかって言うほど世話焼きですね、それよりサンドはどうしてますか?」みたいな事を書いていたようです。未練タラタラですね、隣にジェーンが居るっていうのにぃ~。

 フランスに帰ってくるとイギリス旅行がかなり疲れたらしく、病床に伏せる日々となったショパン。この頃には死を察していたのでしょうか。ポーランドに居る姉ルドヴィカに「とにかく会いたい」という手紙を送ります。弟の病状を知ると駆け付けた姉ルドヴィカはショパンを献身的に看護します。見舞いには多くの友人やピアノの弟子達も訪ねていたようです。グジマワ、イギリスからはジェーンも来ていました、そして、サンドの娘ソランジュ夫婦も・・・。そんな多く友人に見守られて、姉ルドヴィカの看護も虚しく1849年10月17日ショパンはこの世を去るのでした。享年39歳の若さでした。

 ショパンの死後、ソランジュの夫で彫刻家のクレサンジュはショパンの顔型(デスマスク)を取り、手形も取っていました。そして、ショパンはいくつかの遺言を残していたらしく、マドレーヌ寺院で行われていた葬儀にはモーツァルトのレクイエムが演奏されました。そして亡命した為、戻る事が許されなかった祖国ポーランドに心臓を抜き出して埋葬される事になります。ポーランドに眠るショパンの墓の上にはポーランドを出るときに、恩師エルスナーから貰った杯の土が一緒に葬られていたようです。これらの遺言を元に、死してようやく祖国の土に帰る事のできたショパンでした。



もともと体があまり強い方ではなかったショパンですが、あまりにも早い最期でした。しかし、短い一生の間に多くの名作を残してくれたその生涯は、山あり谷ありでしたが、とても充実したものではなかったでしょうか?
さて、この話に出てきたクレサンジュが石膏で取った手形ですが、2年ほど前だったかな?横浜だか東京の美術館に来ていたのを見てきましたが、とっても小さい手でしたね。女の子みたいな可愛らしいこんな手で、あんな難しい曲を作ってたんだなぁ・・・と妙に感動したのを覚えています。


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「ピアノの詩人」ショパン  (第8話)

2006年08月27日 | 作曲家の生涯
たまには、作曲家の生涯にふれてみてはいかがですか?

今日は「ピアノの詩人」フレデリック・フランソワ・ショパン(第8話)です。

≪作曲家の肖像≫
スーパー・ショパン!(5)~想・せつない演奏会~(CCCD)
オムニバス(クラシック), スロヴァキア国立コシツェ・フィルハーモニー管弦楽団, ビレット(イディル), ショパン, スタンコフスキー(ロベルト), ザリツカヤ(イリーナ)
エイベックス・マーケティング・コミュニケーションズ

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【Frederic Francois Chopin】

さて、なにやらふたりの関係が妖しくなってきましたが、その後のふたりはうまくやっていけるんでしょうか?嫌な予感を感じながら、今日はその続きです。

(第8話)【サンドの娘ソランジュ】
 微妙な関係を続けている中で、年頃になっていたサンドの娘ソランジュに結婚の話が持ち上がっていました。相手は彫刻家でしたが、この彫刻家もあまり世間ではいい噂のない人物でした。サンドは最初から怪しく思っていましたが、口やかましい娘が結婚でもすれば少しは落ち着くかな…と思っていたんでしょうか?しぶしぶ結婚を認めます。

 しかし、やっぱりサンドのにらんだ通り!怪しかったのはこの彫刻家!かなりの借金があったらしく、実はサンドの財産目当てでその娘ソランジュとも結婚したんじゃないかとまで言われる程です。その後もお金をめぐって争いが絶えず、腹に据えかねたサンドはソランジュ夫婦をノアンの館から追い出してしまうのでした。(って言うか同居してたんですね。ソランジュ夫婦ってば)

 その頃ショパンはノアンの館を離れてパリで出稼ぎ(いやいや、演奏活動)をしていましたが、サンドはパリにいるショパンにも「ソランジュ夫婦がそっちに行っても相手にしないでね!!」という手紙を送っていました。しかし、案の定パリへ向かったソランジュはその頃妊娠してしまったんですね。そんな行く宛てもない可哀相なソランジュちゃんを見て、不憫に思ったショパンはソランジュ夫婦を助けるのでした。

 さあ、その事を知って気に入らないのはサンドでした、ちゃんと手紙まで書いたのに!そううとう頭にきたらしく、これまでの積もり積もった感情もあったんでしょう。ショパンに「決別の手紙」を送りつけて結局これが、最後の別れの手紙になってしまいます。
 ソランジュをかばったのは、きっかけだったんでしょうね。もともと内気で気弱なショパンと開放的で強気なサンド、最初はお互いに無いものを持っていたのでうまくいっていたんでしょうが、一緒に暮らす日々が長くなると、そんなお互いの違いを認めることが難しくなってきていたんですね。こうして1847年、8年にも及んだ二人の関係は破局を迎えてしまうのでした。

 しかし、ショパンの方はサンドに対して結構未練があったらしく、別れた後もサンドとは共通の友人であるグジマワに何度も手紙を送ってその様子を伺ったり、サンドの髪の毛を一房、常に持ち歩いていたとかなんとか・・・やっぱり好きだったのね。みたいな・・・。いくつになっても切ないショパンでした。



やっぱり、別れてしまったショパンとサンド。未練たっぷりなショパンはその後ちゃんと立ち直れるんでしょうか?ナイーブなショパンだけにその後が心配ですが、つづきはまた明日。


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「ピアノの詩人」ショパン  (第7話)

2006年08月26日 | 作曲家の生涯
たまには、作曲家の生涯にふれてみてはいかがですか?

今日は「ピアノの詩人」フレデリック・フランソワ・ショパン(第7話)です。

≪作曲家の肖像≫
ショパン名曲 ベスト
オムニバス(クラシック), チモフェーエワ(リューボフ), ショパン, リグット(ブルーノ), 梯剛之, ビレット(イディル)
キングレコード

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【Frederic Francois Chopin】

マジョルカ島では散々な目に遭ってしまったショパンですが、その後サンドとはうまくいったのでしょうか?今日はその続きからです。

(第7話)【ふたりのその後】 
穏やかな気候と、サンドの献身的な看護もあったんでしょう。すっかり回復したショパンは1839年の秋には、久々のパリに戻っています。しかし、サンドの男性遍歴もあって人目をはばかって結婚もしていなかった二人でしたから、パリでも別々にアパートを借りて住んでいました。しかし、ショパンは貴族達のピアノレッスンを終えると、毎日のようにサンドのアパートへ向かい、ラブラブな生活を楽しんでいたようです。

 こうして、ショパンとサンドは夏はノアンの館で作曲生活、冬はパリで演奏会生活とふたりで仲良く暮らすようになっていったのでした。弱気で内気なショパンと、積極的で強気なサンドがお互いを補うようないい関係を続けていたようです。
 1842年、夏ショパンは画家ドラクロワとも知り合い、親交を深めていたようです。音楽にも興味を持っていたドラクロワはショパンの良き理解者でもあり、お互いに芸術的な理解を深めていったようです。作曲家としても充実していたこの頃にピアノソナタ第2番、第3番などの名曲を生み出していたようです。

 そんな幸せな生活を送っていたショパンに訃報が届きます。1844年5月に父ニコラがこの世を去ったのでした。この知らせにショパンはかなりショックを受けてしまったようです。悲しみに暮れるショパンでしたが、この事が少なからずサンドとの関係にも影響したのでしょうか?ふたりの関係に少しずつヒビが入ってくるのでした。

 ショパンとサンドの対照的な性格は初めはうまくいっていたようですが、やはりその愛情表現に違いがありすぎたのでしょうか?ショパンは内気で真面目ですから一途にひとりの女性を愛し続けたかったのだと思いますが、サンドには過去の男性遍歴がいつもつきまとい、ショパンは、その見えない相手に嫉妬してしまう事が多くなっていたようです。病気がちなショパンを気遣い尽くしてきたサンドにしてみれば、自分を信じてくれないショパンにどうにも、もどかしい日々を過ごすようになりました。

 更に、女流作家サンドは小説を出版しますが、この小説の主人公の設定が「内気なくせに自分勝手なわがままな青年」として描かれており、明らかにショパンをモデルにしたものと受け取られ、ショパンもそうとう不愉快だったようです。と言うのも当時からサンドは自分の男性関係を登場人物に見立てて、小説を出版していた事も多くあったため、ショパンがそう受け取っても不思議はなかったんですね。(今で言うところの「暴露本」みたいなヤツだったんでしょう。)

 又、ふたりの仲がうまくいかないのは、サンドの二人の子供にもその原因があったようです。息子モーリスは成長するにつれショパンとの関係がうまくいかなくなっていました。「新しいお父さんの言う事をちゃんと聞かなきゃだめでしょ!」なんて言われても、息子としては素直には受け取れないでしょうし、結婚していた訳ではないのでお父さんでも無い人に変な気を遣うのも・・・ねぇ。息子としても辛い立場だと思います。
 娘のソランジュの方は男性遍歴の噂が絶えない母サンドを快く思っていなかったらしく、どちらかと言うと一途に女性を愛するショパンに肩入れしていたようです。「お母さんなんて不潔だわ!少しはショパンおじさんを見習って!!」とか言ってたんでしょうか?親子と言えども女同士ですもんね。年頃の女の子だと余計敏感になっていたんでしょう。そんな訳でショパンとサンドの関係はだんだん怪しげな事になっていきます。
 


さて、フランスへ戻ってきた当初はラブラブの二人でしたが、どうも性格の不一致が徐々に表れてきましたね。果たしてうまく行くのでしょうか?つづきはまた明日。

≪今日の記事に出てきた作品≫
♪ピアノソナタ第2番 の記事はこちら


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「ピアノの詩人」ショパン  (第6話)

2006年08月25日 | 作曲家の生涯
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今日は「ピアノの詩人」フレデリック・フランソワ・ショパン(第6話)です。

≪作曲家の写真≫
ショパン全集
ツィマーマン(クリスティアン), アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団, ショパン, コンドラシン(キリル), ロスアンジェルス・フィルハーモニー管弦楽団, ジュリーニ(カルロ・マリア), ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団, アラウ(クラウディオ), インバル(エリアフ), ハーグ市立管弦楽団
ユニバーサルクラシック

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【Frederic Francois Chopin】
ショパンの写真があったので載せてみました。

さて、お互いの気持ちを確かめ合って、いよいよ二人の新しい生活が始まる事になりますが、二人はどんな生活を送るのでしょうか?今日はその続きです。

(第6話)【マジョルカ島にて】
 さて、ショパンとサンドの交際が深まるにつれて、サンドの過去の男性関係が問題になってきたようです。サロンでも人気の作家だったサンドですからファンも多かったようで、サンドがショパンと付き合っている事を知ったそんなサンドのファンの中には、ショパンに決闘を挑むものも居たとか居なかったとか?さらにサンドの前の夫マルフィーユがそんな噂を聞いていたのか?それともまだ未練があったのか?サンドの後を着けまわしたりしたりと、サンドにとっては、ショパンと付き合うにあたって面倒な事が付きまとっていました。

 そこでサンドはショパンと二人だけで過ごすために知恵を絞り、スペインはマルセイユ沖の地中海に浮かぶマジョルカ島へ移る事を決意します。さしずめ「愛の逃避行」と言ったところでしょうか?喧騒の街パリを離れ地中海の離島へ移り住む事は体の弱かったショパンにとっても転地療養を兼ねていたようです。1838年の秋の事でした。

 サンドは二人の子供を連れて、ショパンと共に数週間かけてパリから離れやっとの思いで到着したマジョルカ島でしたが、マジョルカ島へ着いた直後のショパンは当時イスラム色の強かった当地の異国情緒漂うこの島を興味深く楽しんでいたようです。この頃に以前から作曲を進めていた「24の前奏曲(プレリュード)」を完成したと言われています。

 しかし、そんな浮世離れした幸福なひとときも長くは続かず、旅の疲れが響いていたのかショパンは、またしても病魔に襲われます。医者に診せたところ「肺結核」の診断を受けてしまいます。島民の間では「ショパン結核」という噂が流れ、島民はショパンの病気を恐れて、彼らが街で暮らす事を許してはくれませんでした。仕方なく一行は街から離れた郊外のヴァルデモーザ修道院で暮らす事になります。

 修道院と言っても既に廃墟同然の建物だったため、日常生活にも最初から相当な苦労をしていたようです。また、島民の間でもショパンの結核の噂と同時に、サンドのパリでの噂(男性遍歴や男装の噂)が噂を呼びあまりよくは思われていなかったようです。

 ショパンとサンドに対するマジョルカ島での噂は日に日に酷くなり、この島での生活も困難となったため、ふたりは島を去ることにするのでした。1839年2月島を出るために旅を続けるショパン一行でしたが、結核の患者は隔離されてしまうため、旅路でも差別的な待遇を受けてしまいます。そんな中サンドはフランス領事館や軍船などを頼り、なんとかしてフランスへとたどり着くのでした。しかし、この旅路でもショパンは船中で大量に吐血したらしく、病状はかなり悪化してしまったようです。

 やっとの思いでフランスへ着いたショパンでしたが、体調にも気遣ってパリへは戻らず南岸の街マルセイユでしばらく滞在する事になります。マルセイユでしばらく療養生活を送りようやく体力を回復したショパンは、サンドの相続したノアンの豪邸に移り住む事になります。暖かい田舎町での生活でショパンの体調は徐々に回復に向かっていったようでした。



マジョルカ島では、散々だったショパンですがようやくフランスへ帰ることが出来ました。体調もやや、回復したショパンはその後どうなるのでしょう?つづきはまた明日。

≪今日の記事に出てきた作品≫
♪24のプレリュードの記事はこちら


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「ピアノの詩人」ショパン  (第5話)

2006年08月24日 | 作曲家の生涯
たまには、作曲家の生涯にふれてみてはいかがですか?

今日は「ピアノの詩人」フレデリック・フランソワ・ショパン(第5話)です。

≪ひょっとしてサンドの肖像??≫
ショパン:ピアノ名曲集~別れの曲
ショパン, ピリス(マリア・ジョアオ), グリュッツマン(スザンネ), アース(モニク)
ワーナーミュージック・ジャパン

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だって、ショパンのCDなのに女の人の肖像画って事はもうサンドしかいないでしょう!?
違うのかなぁ??マリアには振られたし・・・。

さて、マリアとの婚約が破談になり、傷心に沈むショパン果たして立ち直れるのでしょうか?
今日はその続きからです。

(第5話)【女流作家ジョルジュ・サンド】
 1837年、マリアとの婚約が破談になったショパンは、ピアノ製造業者の友人プレイエルに誘われてロンドンへと旅立ちます。ちょっとした傷心旅行でしょうか?この頃のショパンはイギリスでも有名になってましたが、ショパンは騒がれるのを嫌って仮名を使っていたようです。(ちょっとしたアイドルですよね。)さて、プレイエルに連れられてロンドンのピアノ製造業者の晩餐会に呼ばれたショパン。このときも仮名を使って、お忍びだったようですが、ピアノ業者の晩餐会に呼ばれたなら当然ピアノが屋敷にもあり、食事が終わった後にショパンがピアノを弾くと、その見事な腕前から本人だとバレてしまったと言うエピソードもあるようです。

 さて、パリへ戻ってきたショパンは、やはり夜のサロンへと出かけていくのでした。
1838年、春 マルリアニ伯爵夫人のサロンでいつものように素晴らしい演奏を披露していると、話しかけてくる女性がいました。そう「ジョルジュ・サンド」です。ショパンの魅力に取り付かれるようにして、サロンで一緒になる度に気になる存在になっていくのでした。
 一方ショパンもサンドの熱い視線を感じたんでしょうか?それともマリアとの話が無くなり、寂しかったんでしょうか?やがてサンドを意識するようになっていったようです。

 サロンで度々同席するようになった二人でしたが、ショパンの見事な即興演奏にグラッときたサンドは、ついに本気になりはじめました。その後、積極的だったのはサンドの方でした。ショパンに寄せる想いを隠しきれなくなったサンドはショパンに短い手紙を送るのでした。「あなたを熱愛する人がいます。-サンド-」これだけをそっと贈ると、内気なショパンの心にもグサっと突き刺さったようです。ショパンはこの短い手紙をアルバムに貼り付け、一生大事にしていたそうです。
 
 手紙を受け取ったショパンもサンドの事を強く意識するようになります。しかし、やっぱり内気なショパン。素直に告白する事ができません。サンドとも共通の友人グジマワに、そんな恋愛相談の手紙を送っていました。ショパンからそんな手紙を受けたグジマワは困ってしまいます。なぜなら同じようなショパンへの想いを綴った相談の手紙をサンドからも受け取っていたからです。「妬けるねぇ~コノ~、も~好きなようにすれば」とグジマワが言ったかどうかは定かではありませんが、確かにこんな相談を相思相愛の二人から受け取ったら相談も何もあったもんじゃないですよね。

 ショパンはともかく、積極的なサンドがグジマワにこんな相談の手紙を書いたのは、理由がありました。サンドはショパンがマリアと破談になった話を、この時にはまだ知らなかったからなのです。そんなサンドがマリアと縁が切れたショパンの事を知ると、おそらくサンドの方からショパンに告白したのでしょう。ふたりはお互いに離れられない存在へとなっていくのでした。



マリアとは破談になってしまいましたが、ちょっと大人のサンドとの付き合う事になりましたが、その後はどうなるんでしょう?今度こそうまく付き合っていけるのでしょうか?つづきはまた明日。


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「ピアノの詩人」ショパン  (第4話)

2006年08月23日 | 作曲家の生涯
たまには、作曲家の生涯にふれてみてはいかがですか?

今日は「ピアノの詩人」フレデリック・フランソワ・ショパン(第4話)です。

≪ショパンとマリアつながりで…≫
(注)今回のお話のマリアとは当然別人です!!
ショパン:24の前奏曲
ピリス(マリア=ジョアオ), ショパン, シューベルト
ユニバーサルクラシック

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【Frederic Francois Chopin】

条件はつけられたものの、マリアとの婚約を取り付けたショパン。甘い新婚生活にたどりつくことはできるのでしょうか?今日はその続きからです。

(第4話)【約束】
 婚約の条件をもらって、一人パリへと帰る途中、ショパンはやはり今度もライプツィヒへ立ち寄り、シューマンを訪ねます。予期せぬショパンの来訪にシューマンはことのほか喜び、数年後にピアノ曲「クライスレリアーナ」をショパンへ献呈するのでした。そのお礼にショパンは「バラード第2番」をシューマンへ献呈したようです。

 パリへ帰ると、マリアとの結婚を夢見るショパンは台所付の広い家へと引っ越しています。しかし、肝心のマリアの母テレサとの約束はあまり守っていなかったようです。ショパンはサロンや夜の社交界へ出かけたり、観劇を多くしていましたから、当然早く眠れるはずもなく、また貴族と会うために、ウールの靴下なんか履いていられません。ガムシロップというより、よくお酒を飲んでいたのでしょう。「ドレスデンにいるテレサ夫人には黙ってれば分からないだろう」と思っていたんでしょうね。
甘い!実に甘い!相手は伯爵夫人。テレサ夫人はパリに住む友人にショパンの様子を報告するようにお願いしていたのでした。ショパンの行動を知っていたテレサ夫人は何度かショパンに苦言を呈する手紙を送りましたが、ショパンは生活態度を改める事はしませんでした。

 そんなある日、ショパンはリストからある女性を紹介されました、「ジョルジュ・サンド」という女流作家で、サロンでは有名な女性でした、しかしこの女性はズボンを履き男性さながらの振る舞いはマリアとは似ても似つかぬ存在でした。またサンドは一度結婚していて、モーリスとソランジュというふたりの子供までいました。それに、この頃でも男性関係の噂の耐えない女性だったようです。サンドはリストからショパンの噂を聞いていたため、以前から紹介して欲しいと、自分より年下でたぐいまれなる才能を持つショパンに対して興味深々だったようです。

 しかし、この頃のショパンはマリアにくびったけですから、そんなサンドの気持ちは知る術もありません。依然として生活態度を改めないショパンに宛てに届くテレサ夫人の手紙は日に日に冷たいものになっていきます。不摂生な生活を続けるショパンは、またしても病に倒れてしまうのでした。1837年、6月頃にヴォジェンスカ一家と再会する予定になっていましたがテレサ夫人やマリアからは連絡がありません。ショパンが確認の手紙を送ると、マリアからの返事は、やんわりとした別れの手紙でした。この手紙を受け取るとショパンはマリアとの別れを悟り、これまでにマリアやテレサ夫人からもらった手紙をまとめて大きな封筒に入れて、「わが苦しみ」とその上に書き、封印してしまうのでした。



せっかく婚約までこぎつけたショパンでしたが、その条件を守る事ができず、遭えなく破談となってしまいます。自業自得と言えばそれまでですが、それにしても悲しすぎるぜショパン。つれないよマリア!という訳で、内気なショパンはその後どうなってしまうのでしょうか?つづきはまた明日。

≪今週の桑野さんが聴いてた曲≫
ドラマ「結婚できない男」で阿部寛さん演ずる主人公桑野さんが今週聴いていたのは、はじめに犬を預かってえさをあげてから聴いていたのは、マーラーの交響曲第2番「復活」の第3楽章…だったと思うんですが、今週はちょっと自信が無いです。ドラマ見てたときは「アレだな!」と確信があったんですが、ドラマ見終わってからCD聴いてみたら「アレ?!ドレだっけ??」になってしまったので、間違ってたらゴメンナサイ。
そして、もう一曲。犬がタイタニックの模型をひっくりかえしたときに聴いてたのはモーツァルトの交響曲第41番「ジュピター」ですね。

♪マーラーの交響曲第2番「復活」はそのうち記事書きます。
♪モーツァルトの交響曲第41番「ジュピター」の記事はこちら


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「ピアノの詩人」ショパン  (第3話)

2006年08月22日 | 作曲家の生涯
たまには、作曲家の生涯にふれてみてはいかがですか?

今日は「ピアノの詩人」フレデリック・フランソワ・ショパン(第3話)です。

≪作曲家の肖像≫
別れの曲~ショパン名曲集
アシュケナージ(ウラジミール), ショパン
ユニバーサルクラシック

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【Frederic Francois Chopin】

故郷ワルシャワを後にして、パリでもコンサートを開き、サロンでも活躍し始めようやく生活できるようになったショパンですが、その後はどうなったのでしょう?今日はその続きからです。

(第3話)【運命の再会】
 その後もパリで演奏活動を続けるショパンでしたが、「ワルシャワ蜂起」を機にパリにもポーランドからの亡命者が多数いました。そこで、1834年ロシア皇帝はフランスにいるポーランド人に対してロシア大使館に出頭し忠誠を誓うように、との命令を出します。もちろん出頭しなければ、ロシア領となった故郷のワルシャワにも帰れなくなりますが、愛国心の強かったショパンはロシアに忠誠を誓う事を快しとせず、亡命者の道を選ぶ事にしました。
数年後、ピアニストとして大成し有名になると、ロシア皇帝はショパンを手に入れるべく「皇帝付主席ピアニスト」として特別待遇でショパンを獲得しようとしますが、ショパンはこれにも屈せずに、この話を断ったようです。(不屈の精神とは正にこの事ですね。)

 パリで亡命者の道を歩む事になったため、ショパンは二度と祖国ポーランドに帰る事ができなくなりましたが、1835年父親ニコラからの手紙で、「ボヘミア地方の保養地カールスパートへ母親と共に行くから、おまえもそこに来なさい」と連絡してきたのです。ワルシャワを出てから5年ぶりにショパンは両親と再開する事になったのです。一月ほどカールスパートへ滞在した3人でした。しかし、この後両親と会うことはなく、これが最後の別れになるとは、この時のショパンには思いもよりませんでした。

 両親との再会を果たしパリへの帰途へ着く途中ショパンはドレスデンへも立ち寄りました。学校時代に親交のあったヴォジェンスカ伯爵一家を訪ねるためです。ヴォジェンスカ伯爵にはマリアという娘がいましたが、16歳のマリアにショパンは惚れてしまうのでした。伯爵家に育ったマリアはピアノも弾くし、絵の才能もあったようです。ドレスデンでショパンはマリアと共に甘いひとときを過ごすのでした。そして帰る日が近づくとショパンは名残惜しそうに、ワルツOp69-1「告別」を送るのでした。

 ドレスデンを去ると、パリへ帰る前に今度はメンデルスゾーンのいるライプツィヒへ向かいました。メンデルスゾーンは、会わせたい人がいると言って、シューマンを紹介してくれたのです。かねてからショパンの作品をこよなく愛し、絶賛していたシューマンはショパンと会えたことに大変感激し、おおいに喜んでいたようです。

 ライプツィヒを後にしてパリへ帰ってきた頃には既に冬になっていました。帰る途中体調を崩したショパンは、パリへ着くと風邪をひいてしまいました。当時有名になっていたショパンが倒れた事は噂になって、ワルシャワへいる両親へも伝わり、ワルシャワでは、「ショパン重態」との噂が流れていました。ショパンは年が明ける1836年の1月に両親に手紙を送り、無事を伝えますが、この事がその後のショパンの運命におおきく影響してしまったようです。

 1836年 夏 ショパンは再びマリアに会うために、ドレスデンへの旅行を計画します。しかし同じ頃にメンデルスゾーンとシューマンの連名で、ライン音楽祭への誘いの手紙が届いていたのでした、しかしショパンは迷うことなく、マリアへ遭うためにドレスデンへ向かったのでした。マリアが保養地のマリエンパートへ向かった事を知るとマリアの後を追って保養地へ向かうのでした。(もう、ぞっこんなんですね。)同じ宿で夏のひとときを過ごす二人でしたが、ショパンは相変わらず体調が優れなかったため、ほとんど外出せずに過ごしていたようです。

 マリエンパートからドレスデンへと二人は帰ってきましたが、ショパンはパリへ帰らなければなりません。ショパンはパリへ帰る前に、勇気を振り絞ってマリアにプロポーズをするのでした。
 しかし、マリアはヴォジェンスカ伯爵家の娘。家庭教師の息子ショパンとは家柄が違います。それに、「ショパンは病弱」という噂も立ってしまっていたため、マリアの母テレサ婦人はショパンに婚約を認める代わりにいくつかの条件を出したのでした。「夜11時には寝る事、防寒のためウールの靴下を履く事、ガムシロップを飲む事(風邪の予防かな?)」など、数ヶ月間この約束を守る事が出来れば晴れて結婚を認めようというものでした。
そりゃあそうですよね。体調の悪い男に万一の事があっては大変ですから、親心としてはこれくらい言うのかもしれないですね。



マリアにプロポーズをして婚約をしたショパン。彼にもようやく幸せな日々を送る事ができるようになるのでしょうか?つづきはまた明日。

≪今日の記事に出たショパンの作品≫
♪ワルツの記事はこちら

  

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