初心者のクラシック

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「音楽の父」ヨハン・セバスチャン・バッハ(第2話)

2007年09月11日 | 作曲家の生涯
たまには、作曲家の生涯にふれてみてはいかがですか?

有名な作曲家にはその真偽はともかくとして、たくさんの興味深いエピソードがあります。
そんな興味深いエピソードを中心に作曲家の生涯をたどっていきます。

今日は「音楽の父」ヨハン・セバスチャン・バッハ(第2話)です。


≪作曲家の肖像≫
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【Johann Sebastian Bach】

早くから両親を亡くしてしまうバッハでしたが、兄の元に身を寄せてオルガンを学び、音楽家の道を進んでいきます。今日はその続きからです。


(第2話)【教会オルガニスト】
リューネブルクのミカエル教会の学校に入学してから、バッハはより音楽への興味を深めていったようです。
ドイツの北部地方は当時の著名な音楽家たちが居たこともあり、バッハはそれらの演奏を聴くためにハンブルクやツェレを訪れ、様々な演奏を聴いていくのでした。

こうして音楽の世界にのめりこんでいくバッハは1702年、ハレ郊外の町ザンゲルハウゼンにあるヤコブ教会のオルガニストの職に応募するのでした。若いバッハは採用試験でも優秀な成績だったようですが、採用はされず、このときは別の宮廷楽師が採用されていたようです。

結局、翌1703年にワイマール公(ヨハン・エルンスト)の私設楽団の宮廷楽師として、ヴァイオリンやヴィオラの演奏をして半年を過ごすことになります。

しかし、小さな楽団の楽師の地位に満足する事のなかったバッハは、故郷に近い町アルンシュタットに新しい教会が出来ると、このオルガニストとして迎えられる事になります。

教会での仕事は週3回の礼拝のための演奏と、少年聖歌隊の指導というものだったため、時間的には余裕も出来て、収入も申し分無いほどあったようですから、ここでは充実した生活を送っていたようです。

故郷に近い事もあって、周りにはバッハの親族も多くおり、リューネブルク時代に共に学んだ友人エールトマンや又従姉弟のマリア・バルバラもいたため安心して仕事に打ち込んでいた事が想像できます。

こうして、一見すると順調に見えたバッハの教会での生活でしたが、1705年事件が起きるのでした。20歳の若いバッハは音楽的には優秀だったようですが、そのため教会の楽団メンバーのレベルが低く見え、ある日団員の一人に「ヤギのファゴット」と野次ったのが原因で、ファゴット奏者が殴りかかると、バッハも剣を抜いてこれに対抗しようとしたため、仲裁が入らなければ危うく大惨事を招きかねない状況になっているところでした。

バッハは教会から厳重注意を受けますが、おそらくこれがきっかけで、少し嫌気が差したらしく、教会に4週間の休暇を申し出て、ドイツ北部の都市リューベックへ向かうのでした。


比較的順調にオルガニストの職についたバッハでしたが、おっとっと、剣に手をかけちゃあマズイでしょう。リューベック訪問が気分転換の息抜きになればいいんですが・・・、このつづきはまた明日。

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