初心者のクラシック

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「音楽の父」ヨハン・セバスチャン・バッハ(最終話)

2007年09月30日 | 作曲家の生涯
たまには、作曲家の生涯にふれてみてはいかがですか?


今日は「音楽の父」ヨハン・セバスチャン・バッハ(最終話)です。

≪作曲家の肖像≫
バッハ フルート・ソナタ全集
ブリュッヘン(フランス),レオンハルト(グスタフ),バッハ,ビルスマ(アンナー),ディール(ルーシー・バン)
ソニーミュージックエンタテインメント

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【Johann Sebastian Bach】

ちょっと空きましたが、バッハのつづきは今日が最後です。

(第13話)【ベルリン訪問】
1741年、バッハはベルリンを訪れます。息子が宮廷チェンバロ奏者を務めていたからのようですが、息子の仕えるフリードリヒ大王に会おうとしていたのかもしれません。
しかし、大王はオーストリア継承戦争でベルリンにはいなかったため、バッハが面会する事はできなかったようです。

同年、11月にはドレスデンに旅行しており、このときにカイザーリンク伯爵から作曲依頼を受けてゴールドベルク変奏曲を作曲したと言われています。

1747年、戦争が一段落すると、(っていうのも何ですが)バッハはフリードリヒ大王からベルリンへ招待を受けます。おそらくカイザーリンク伯爵が間を取り持っていたとも言われています。

喜び勇んでベルリンへ向かったバッハは、ポツダム宮殿へ案内され、大王自慢のフォルテピアノ(当時は最新だった)で御前演奏を行うことになり、大王並びに宮廷の一族たちからも絶賛されるのでした。

フリードリヒ大王から絶賛を受けたバッハは、ライプツィヒに戻ると、フルートの演奏がすきだった大王のためにソナタを作曲して、献呈するのでした。

こうして、熱心に各方面に売り込んでいくバッハでしたが、このころから徐々に視力を失っていきます。1749年になると仕事ができないほど重体に陥ってしまうのでした。

これではどうにもならないと、イギリスの著名な眼科医の手術を翌1750年4月と5月に2度受けるのでした。ところが、眼科医と言っても当時の医療ではさしたる回復もする事ができず、結局、その手術によって著しい体力の消耗をしてしまう事になります。

1750年7月、憔悴したバッハは高熱を出し倒れてしまいます。ライプツィヒでも医者が懸命に治療を行ったようですが、その甲斐もなく、そのまま帰らぬ人となってしまいます。享年65歳の生涯でした。


今でこそ「音楽の父」との異名を誇るバッハでしたが、こんなに各地の宮廷や楽団を転々としていたなんて、ちょっとビックリでした。それでも、当時からその実力があってこそ、どこへ行っても、ある程度の地位を得ることができたという事ができるのかもしれません。
音楽家の地位がまだまだ高いとは言えない中で、教会における音楽の地位をそれまで以上に強く意識して、それ以上に音楽自体の価値を大きくしていった作曲家なのかもしれないですね。

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