初心者のクラシック

有名な曲からおすすめの曲まで、できるだけ初心者にも分かり易く紹介します。

「絹のはしご」序曲 (ロッシーニ作曲)

2007年03月31日 | 序曲と前奏曲
たまには、クラシック音楽を聴いてみてはいかがですか?

今日はロッシーニ:歌劇「絹のはしご」序曲です。

ロッシーニの序曲はどれも楽しく元気になれるものが多いので、初心者にもオススメの曲ばかりだと思います。
明るく軽やかで陽気な音楽はとても好印象ですから、「とりあえず」でも聴いていると、ウキウキワクワクしてきます。

さて、そんな訳で今回の「絹のはしご」のあらすじは・・・、ヒロインのジューリアの後見人ドルモンはジューリアをブランザックと結婚させようとしていますが、そんな後見人の思いをよそに、ジューリアは既に世間には内緒でドルヴィルと結婚し、ドルヴィルは毎晩絹のはしごをおろして、ジューリアの元を訪れていたのでした。

ジューリアは後見人に納得してもらうためにもブランザックを友人のルッチラと結婚させようとします。
ブランザックはルッチアを見ると、その美しさに魅かれてしまいます。ルッチラもブランザックの事はまんざらでもないようです。

ある日ジューリアは部屋で一人「今夜も12時にあたなを待っているわ!」と独り言をつぶやくと部屋に居た召使がこれをブランザックと勘違いして彼にジューリアの言葉を伝えます。12時には既にいつものように絹のはしごをつたってジューリアを訪ねていたドルヴィルが部屋に居ましたが、召使の言葉を信じたブランザックが部屋を訪れます。

ジューリアはドルヴィルを机の下にかくまってブランザックを部屋に入れます。窓の外ではドルヴィルの使った絹のはしごを後見人ドルモンが見つけて上ってくるとジューリアの部屋にはブランザックが居ます。「なんだ、そういう事ならすぐに二人を結婚させよう!」と誓約台の変わりにと机を動かすと下には隠れていたドルヴィルが現れます。

ドルヴィルとジューリアは二人の結婚を許して欲しいと後見人ドルモンに頼みますが、ドルモンは怒り出します。するとブランザックが「私はルッチラと結婚したい」と言い出し、ふたつのカップルが誕生して、空回りのドルモンを残してめでたく幕を閉じるのでした。


 鮮やかな弦楽器が甲高く鳴り響くと、さわやかに曲が始ります。
 オーボエがゆったりとソロを奏でると、フルートやホルンがやわらかくそれに
 あわせていきます。
 ゆっくりな前奏(イントロ)が終わると、弦楽器が走り出し、オーボエが更に
 快活なソロでつないで、元気な曲調が始っていきます。
 オーボエやフルートが「♪タタタ、タタタタ、ターン♪」と軽快に可愛らしい
 リズムを奏でると、愛嬌たっぷりのフレーズがとても愉快に響きます。
 急いでいるような、でもとても楽しいそれぞれ楽器の響きはコミカルで
 とても楽しく最後まで元気いっぱいに聴かせてくれます。
 

序曲だけなら、演奏時間も5分程度と短いですし、楽しく愉快な音楽は誰でも興味を持って聴いてもらえると思いますが、今回ストーリーを調べてみると、全曲聴いてみたくなってしまいます。というか面白そうな歌劇自体もちょっと気になりますよね。ヒロインのジューリアもいろいろと画策しているようですが、結婚相手のブランザックもルッチアにクラッといってしまうなんて・・・!?痛快ドタバタラブコメディみたいな面白い内容なんでしょうね、きっと。

≪オススメCD≫
ロッシーニ:序曲集
デュトワ(シャルル), モントリオール交響楽団, ロッシーニ
ユニバーサルクラシック

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≪せっかくなので歌劇のDVD≫
ロッシーニ:歌劇「絹のはしご」

アイヴィー

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【コレってどんな曲】
喜:☆☆☆☆★
怒:★★★★★
哀:☆★★★★
楽:☆☆☆☆☆

≪おすすめシチュエーション≫
元気になれるし、聴いてるだけでも楽しそうな曲です。


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セルゲイ・ラフマニノフ(最終話)

2007年03月30日 | 作曲家の生涯
たまには、作曲家の生涯にふれてみてはいかがですか?

今日はセルゲイ・ヴァシリエヴィチ・ラフマニノフ(第5話)です。

≪作曲家の肖像≫
ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第1
ラフマニノフ(セルゲイ), フィラデルフィア管弦楽団, ラフマニノフ, オーマンディ(ユージン), ストコフスキー(レオポルド)
BMG JAPAN

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【Sergey Vasilievich Rachmaninov】

ロシア革命の煽りを受けて、アメリカへ亡命したラフマニノフ。アメリカでの評判も上々ですが、今日はその続きからです。

(第5話)【祖国への想い】
アメリカに亡命したラフマニノフはピアニストとしての知名度を上げていきますが、その作風が祖国ロシア(ソ連)に認められず、帰国もままならない状態になってしまします。

そのため、アメリカでピアニストとしての演奏活動を続ける事になります。アメリカの他にもヨーロッパでも演奏活動を熱心に行っていたようですが、そのスケジュールは多忙を極め年間50~100回を超える演奏会を開催していたようです。

こうして多忙な演奏生活が続き、作曲に時間を取れなくなり新しい作品はほとんど書かれなくなりましたが、1926年、ようやくピアノ協奏曲第4番を完成させます。

1929年からはオランダ、イギリス、ドイツなどでも演奏活動を行っていきます。そして1934年にはスイスで「パガニーニの主題による変奏曲」を完成します。
ヨーロッパとアメリカで演奏会を行っていくラフマニノフですが、またしてもヨーロッパでは政情が不安定になっていきます。

1938年ドイツがオーストリアを併合、1839年チェコスロバキア解体などヨーロッパの情勢が大きく変化を遂げると、演奏活動もヨーロッパ大陸から離れイギリスを中心としたものになります。

更に1941年ドイツ軍がロシアに侵攻した事を聞き祖国の危機を案じたラフマニノフは、アメリカで演奏会を行って得た収入をニューヨークのソビエト領事に送るのでした。そしてアメリカ人や自分と似た境遇のロシアからの移民に向けて、今までの憎しみを忘れて祖国ロシアを援助する事を強く訴えていくのでした。

自分自身は二度と祖国の土を踏む事が絶望的にあるにも関わらず、人一倍祖国の危機を案じていたようです。逆に二度と祖国に帰れないからこそ、募る望郷の念がその想いを強く駆り立てて入ったのかもしれません。

こうして第二次大戦が始ると、ラフマニノフはカリフォルニアに居を移し、祖国ロシアへの義捐金を集めるための演奏会を中心に活動を続けていきます。
カリフォルニアには同じくロシア(ウクライナ)から難を逃れていたウラジーミル・ホロヴィッツも居たため、連弾なども行ったという事です。

また、ホロヴィッツが演奏するラフマニノフのピアノ協奏曲第3番を聴いた、ラフマニノフは「私よりうまくこの曲を演奏するピアニスト」として彼の演奏を高く評価していたようです。

こうした演奏活動を続けるラフマニノフでしたが、1943年、演奏旅行中に両手の麻痺を訴えると、ロサンゼルスの病院に入院しますが、そのまま帰らぬ人となってしまい、享年70歳の生涯を終えるのでした。


こうして結局祖国ロシアの土を二度と踏むことは無くアメリカで世を去ってしまうラフマニノフでしたが、その想いは現在でもロシアを代表する作曲家、ピアニストとして大きな業績を残したことで充分に果たされたようにも思います。


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セルゲイ・ラフマニノフ(第4話)

2007年03月29日 | 作曲家の生涯
たまには、作曲家の生涯にふれてみてはいかがですか?


今日はセルゲイ・ヴァシリエヴィチ・ラフマニノフ(第4話)です。

≪作曲家の肖像≫
こんなのもあるらしい
500円クラシック(4)ラフマニノフ
オムニバス(クラシック), ヤンドー(イェネ), ブダペスト交響楽団, レヘル(ジェルジ), ラフマニノフ, スロヴァキア放送交響楽団, ガンゼンハウザー(スティーヴン), グレムザー(ベルント), ポーランド国立放送交響楽団, ヴィト(アントニ)
エイベックス・マーケティング・コミュニケーションズ

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【Sergey Vasilievich Rachmaninov】

ピアノ協奏曲第2番の成功により、高い評価を得ることのできたラフマニノフ。今日はその続きからです。

(第4話)【ロシアの情勢】
ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番は、その後もその評価を上げていき、音楽家としても認められるようになると、1904年にはボリジョイ劇場の指揮者に就任する事になります。ここでは約1年間指揮者を務めていたようです。

こうしてラフマニノフ自信の音楽家としての人生はうまく進み始めたように見えますが、この頃ロシアでは1905年1月に「血の日曜日事件」が起きると第1次ロシア革命が勃発しロシア国内には不穏な空気が漂ってくるのでした。

ロシア国内の、こうした緊張した状況を察してラフマニノフは1906年ロシアを離れイタリアを経てドレスデンへ移住します。国外で作曲に専念すると、交響曲第3番、ピアノソナタ第1番などを作曲していきます。

その後1909年に一度モスクワに戻りますが、同年すぐにアメリカへ演奏旅行へ出かけます。アメリカではニューヨークでピアノ協奏曲第3番をピアニストとして初演すると、大喝采を浴び、ピアニストとしてその知名度をアメリカの聴衆に多く認められるのでした。

その後もフィラデルフィア、ボストンなどアメリカ各地で演奏活動を続けていくのでした。そんな演奏活動の合間をぬって、練習曲集「音の絵」やピアノソナタ第2番などの作品を作曲していきます。

こうしてアメリカ演奏旅行も順調に成功を収めロシアへ戻っては見るものの、国内では革命の息吹は留まることを知らず、1917年には「3月革命」が勃発します。ラフマニノフはこうした革命の混乱を避けるように演奏会を続けましたが、そんな国内情勢に不安を拭いきれず、遂に同年祖国ロシアを後にデンマークのコペンハーゲンへ家族を連れて亡命する事になります。

翌1918年にはコペンハーゲンからアメリカへ渡り、移住する事になります。アメリカでは既にピアニストとしての知名度がありましたから、毎年多忙なスケジュールをこなし、全米各地で演奏活動を続けるのでした。こうしてピアニストとしての演奏活動が多忙になって来たため、この頃作曲した作品はごくわずかなものになってしまったようです。

1924年からは夏はヨーロッパで過ごし冬にはニューヨークへ戻るという生活を送っていたようですが、祖国ソ連(ロシア)ではスターリンが政権を握ると、ラフマニノフの音楽は「反動的」という烙印が押され、演奏することも許されない状態になっていたようです。

そのためラフマニノフは祖国へ帰る事が絶望的になってしまうのでした。



アメリカでの演奏旅行に、その知名度を一気に高めるラフマニノフでしたが、祖国ロシア(ソ連)に帰る見込みが無くなってしまったようですが、このつづきはまた明日。

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セルゲイ・ラフマニノフ(第3話)

2007年03月28日 | 作曲家の生涯
たまには、作曲家の生涯にふれてみてはいかがですか?


今日はセルゲイ・ヴァシリエヴィチ・ラフマニノフ(第3話)です。


≪作曲家の肖像≫
ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番・第3番
ストコフスキー(レオポルド), オーマンディ(ユージン), ラフマニノフ(セルゲイ), フィラデルフィア管弦楽団, ラフマニノフ
BMG JAPAN

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【Sergey Vasilievich Rachmaninov】

優秀な成績でモスクワ音楽院を卒業したラフマニノフですが、尊敬するチャイコフスキーの死に接し、新たな音楽を生み出していきます。いよいよ本格的な音楽活動はどんなものになるのでしょう。今日はその続きからです。

(第3話)【批判と精神状態】
こうしてモスクワ音楽院を無事に卒業したラフマニノフはピアニストとしてまた、作曲家として歩み始めるのでした。

1895年に作曲された交響曲第1番が1897年グラズノフの指揮によりペテルブルク初演されると、この演奏に対して評論家から酷評を受けてしまいます。するとラフマニノフは極度の神経衰弱に陥ってしまうと同時に作曲家としての自信を失ってしまいます。

ノイローゼ状態に陥ったラフマニノフに救いの手を差し伸べたのは従兄ジロティでした。ジロティは不評だった交響曲第1番の場所を変えて演奏する事を勧めると、ロンドンで再び交響曲第1番を演奏するのでした。するとここではある程度の評価を受け、ラフマニノフの精神状態も、やや落ち着きを取り戻します。

こうして、一定の評価を得てロシアに帰国したラフマニノフでしたが、帰国するとトラウマのように過去の記憶がよみがえってきたんでしょうか、再び自信喪失とノイローゼが彼の脳裏によぎり出し、作曲どころではなくなってしまいます。

そんなラフマニノフを次に救ったのは精神科医のニコライ・ダールでした。ダール医師は熱烈な音楽ファンと言うこともあり、ラフマニノフという若い才能が失われる事に心を痛め、どうにかして彼を立ち直らせようと彼に暗示療法を用いて回復を試みます。

具体的な療法は分りませんが、「ラフマニノフ君、君は素晴らしい才能の持ち主だ!一部の連中のつまらない批評など気にすることは無い!それに君にはピアノがあるじゃないか。君なら人々を魅了するような素晴らしいピアノ協奏曲が書けるハズだ!」なんてな事を言ったんでしょうね、きっと。
こうして、ダール医師は1900年1月~4月にかけて熱心にラフマニノフの治療にあたった結果、ラフマニノフはようやく自信を取り戻していくのでした。

こうしてラフマニノフはピアノ協奏曲第2番の作曲にとりかかり、これが1901年に完成すると、10月にラフマニノフ自信のピアノ演奏、ジロティの指揮によりモスクワで初演されると、今度は好意的な評価を受け絶賛されるのでした。こうしてすっかり自信を取り戻したラフマニノフは作曲家生命の正に命の恩人とも言えるダール医師にこの作品を献呈するのでした。

そして、この曲によって作曲家としても一応の成果を収めたラフマニノフは、モスクワ音楽院で師ズヴェーレフの家を出て以来、お世話になっていた叔母の家で親しくしてくれた叔母の娘ナターシャ(ラフマニノフから見ると従妹)と1902年4月に結婚するのでした。
二人の間には翌1903年には長女イリーナが、1907年には次女タチアーナ生まれるのでした。



ピアノ協奏曲第2番はラフマニノフにとっても正に起死回生の一曲だったようです。大きな苦難を乗り越えてめでたく結婚したラフマニノフは、次はどこへ向かうんでしょう?このつづきはまた明日。

♪ピアノ協奏曲第2番の記事はこちら

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セルゲイ・ラフマニノフ(第2話)

2007年03月27日 | 作曲家の生涯
たまには、作曲家の生涯にふれてみてはいかがですか?

今日はセルゲイ・ラフマニノフ(第2話)です。


≪作曲家ゆかりの曲≫
ラフマニノフ:ピアノ三重奏曲第2番
クニャーゼフ(アレクサンドル), ベレゾフスキー(ボリス), マフチン(ドミトリー), ラフマニノフ, ショスタコーヴィチ
ワーナーミュージック・ジャパン

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【Sergey Vasilievich Rachmaninov】

さて、従兄ジロティの勧めでモスクワ音楽院に進学する事になったラフマニノフですが、モスクワでは無事に音楽を学ぶ事ができるのでしょうか?今日はその続きからです。

(第2話)【モスクワでの学生生活】
従兄のジロティの勧めにより、モスクワ音楽院へ入ったラフマニノフはジロティの師でもあるニコライ・ズヴェーレフを紹介し、ズヴェーレフの家に下宿してそこからモスクワ音楽院へ通うのでした。更にズヴェーレフはラフマニノフから授業料も取らず食費や生活費はもちろん、ラフマニノフが聴きに行くコンサートチケット代まで面倒をみてくれるほどの、まさに至れり尽くせりの教育を受ける事ができたのでした。

一方ズヴェーレフ家での下宿生活はいいことずくめばかりではなく、毎日早朝からの練習は絶対に欠かすことは許されず、音楽院に出かける前に必ず練習をする事が義務付けられていたようです。
そんな厳しい練習をズヴェーレフ家でこなしていくラフマニノフですが、ズヴェーレフ家には休日になると有名な音楽家が訪れるため、ラフマニノフを始め下宿生たちの演奏をを直接聴いてもらいその評価をしてくれるという得点もあったようです。

従兄のジロティが言った「恵まれない環境」というのはこの事だったのかもしれません。(有名音楽家の指導は恵まれ過ぎかもしれませんが。)ちなみにこのときモスクワ音楽院の同級生には若き日の作曲家スクリャーピンも在籍していたようです。
そんな、恵まれた環境で日々の練習を続けるラフマニノフでしたが、音楽を学ぶうちにその興味はピアノ演奏ではなく作曲の方に傾いていくのでした。

1889年、ラフマニノフが作曲に強い関心を持ってピアノ練習をおろそかにしていた事をズヴェーレフが強く指摘すると、やがて口論となり、遂にはラフマニノフに手を上げてしまったようです。これをきっかけにラフマニノフはズヴェーレフの下宿を出て行くのでした。

ズヴェーレフの下宿を去ったラフマニノフは当時モスクワに居た父方の叔母を頼って、そこから音楽院に通うのでした。叔母の家には何人か兄弟がいたようですが、ラフマニノフも実の息子のように接してくれ、暖かく受け入れられたのでした。

こうしてラフマニノフは様々あった学生生活を終え、1891年18歳でモスクワ音楽院のピアノ科を主席で卒業するのでした。(スクリャーピンは次席だったようです。)こうしてピアノ科を卒業すると、作曲科で学びピアノ協奏曲第1番を作曲し、モスクワ音楽院を勧めてくれたジロティに献呈するのでした。この作品は当時の新聞にも取り上げられ、まずまずの評価を受けていたようです。
そして翌1892年には作曲科を卒業します。卒業制作として作曲した歌劇「アレコ」が好評になると、これがチャイコフスキーの目にとまり、チャイコフスキーの推薦で1893年にはボリジョイ劇場で演奏されるまでの評価を受けるのでした。

ところが、同1893年の秋、ラフマニノフが尊敬して止まなかったチャイコフスキーが亡くなるのでした。作曲科としての目標にしていたチャイコフスキーの死はラフマニノフにも大きく影響を与えます。ラフマニノフはチャイコフスキーの死を悼んでピアノ三重奏曲「悲しみの三重奏曲」を作曲するのでした。

これはチャイコフスキーが友人(ルヴィンシュタイン)の死を悼んで作曲した「偉大な芸術家の思い出」を強く意識して作曲した作品と言われています。




ペテルブルクでは「恵まれない環境」でうまく音楽を学ぶことができませんでしたが、モスクワではピアノの師ズヴェーレフとも喧嘩別れしてしまいましたが、優秀な成績で無事に卒業する事ができました。敬愛するチャイコフスキーは亡くなってしまいましたが、その後の音楽活動はどうなるんでしょう?このつづきはまた明日。

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セルゲイ・ヴァシリエヴィチ・ラフマニノフ (第1話)

2007年03月26日 | 作曲家の生涯
たまには、作曲家の生涯にふれてみてはいかがですか?

有名な作曲家にはその真偽はともかくとして、たくさんの興味深いエピソードがあります。
そんな興味深いエピソードを中心に作曲家の生涯をたどっていきます。

今日はセルゲイ・ヴァシリエヴィチ・ラフマニノフ(第1話)です。

ラフマニノフの作品と言えば、昨年はフィギアスケートやドラマ「のだめカンタービレ」で有名になったピアノ協奏曲第2番や「パガニーニの主題による狂詩曲」などのピアノ作品が有名ですが、そんなラフマニノフはどんな生涯を送っていたのでしょうか?

≪作曲家の肖像≫
ラフマニノフ・プレイズ・ラフマニノフ
ラフマニノフ, ラフマニノフ(セルゲイ), リムスキー=コルサコフ, クライスラー
ユニバーサルクラシック

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【Sergey Vasilievich Rachmaninov】

【ロシア】
【1873~1943】
【近代】


(第1話)【少年時代の環境】
1873年ラフマニノフはロシアのノブゴロド地方にあるオネーグという都市に生まれます。父親は退役軍人で大尉だったワシリー、母親は陸軍士官学校教授の娘リュボビでした。
元々貴族出身だった父ワシリーは先祖から代々譲り受けた領地を持っていたようですが、年々その領地は少なくなっていったようです。

とは言え、比較的裕福な家庭に育ったラフマニノフは、幼い頃に母からピアノのてほどきを受けていましたが、母親は相当厳しい練習を息子ラフマニノフに教えていたようです。

ラフマニノフの家には姉のための家庭教師が来ていましたが、彼女はとても歌がうまくラフマニノフの母親のピアノ伴奏でシューベルトの歌曲をよく歌っていたようです。ラフマニノフが7歳のある日、一家が外出してラフマニノフが姉の家庭教師と一緒に留守番をしていると、ラフマニノフは自分のピアノ伴奏で彼女に歌を歌って欲しいとせがみます。

家庭教師が歌い始めると少年ラフマニノフは、見事に伴奏を弾きこなしたようです。この事を帰ってきたラフマニノフの両親に告げると、父親はすぐにペテルブルクからピアノ教師を呼びラフマニノフにピアノを教えさせるのでした。

こうしてピアノを教わるラフマニノフでしたが、家の経済状況が悪く1882年、彼が9歳になると家計が回らなくなってしまい、オネーグの家を出てペテルブルクのアパートに移り住む事になるのでした。このとき、ふがいない旦那に愛想を付かしたのか?厳しい妻が気に食わなかったのか?険悪だった関係が遂に終わり、父ワシリーは家を出て行くのでした。

子供を抱え女手ひとつで育児をする事になった母リュボビはラフマニノフと兄を、教育費のかかるペテルブルク貴族幼年学校を辞めさせます。しかしラフマニノフは父親が呼び寄せていたピアノ教師の推薦もあってペテルブルク音楽院に入学する事になります。

ところが、せっかく入学したペテルブルク音楽院の講義は9歳のラフマニノフにはどうも退屈だったらしく、学校をサボって遊びにいく事が多かったようです。そのため音楽院での成績も悪く1885年には留年してしまうのでした。これには困って怒った母親は一時、息子ラフマニノフは音楽の才能が無く、音楽の道へ進ませる事を断念させるつもりだったようです。

ちょうどそのときラフマニノフとは従兄にあたるアレクサンダー・ジロティがペテルブルクに戻って来ました。彼はモスクワ音楽院を卒業し教授になると、晩年のリストの元で音楽を学んだ弟子のひとりでピアノの腕も相当だったようです。ぺテルブルクに戻った彼にラフマニノフの母親は息子のピアノを聴いてもらうことにしたのでした。

ラフマニノフのピアノを聴いたジロティは、母親に「彼はモスクワで音楽を学ぶべきです。」ジロティによると、ラフマニノフには素質はある。これまでは環境に恵まれなかっただけだと言うのでした。こうして12歳のラフマニノフは実家ペテルブルクのアパートを離れて単身モスクワに向かう事になるのでした。


幼年期は裕福な家庭に生まれたラフマニノフでしたが、父親が家を出てからは一転貧しい暮らしになり、ペテルブルク音楽院には入るものの成績も奮わず、今度は従兄の勧めでモスクワへと旅立つことになりましたが・・・、ペテルブルクとモスクワ間は世界地図を開いてみると直線距離で約600kmほどありますが、幼いラフマニノフは家族と遠く離れて大丈夫なんでしょうか?このつづきはまた明日。

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ハバネラ (サン=サーンス作曲)

2007年03月25日 | ちょっとした曲
たまには、クラシック音楽を聴いてみてはいかがですか?

今日はサンサーンス:ハバネラです。

ハバネラというとビゼーのカルメンを思い出してしまいますが、サンサーンスもこのタイトルで曲を作っていたのでちょっと調べてみると、[ハバナの意]19世紀前半にキューバに興った二拍子系の舞踏または舞曲。(goo国語辞典から)という事でした。

カルメンのオリジナル作品じゃ無かったんですね。更にウィキペディアを検索すると、ハイチ革命によってハイチ難民によってキューバにもたらされ、フランスのコントルダンスに源流があり、ハバネラのリズムは船乗りによってスペインにもたらされたようです。

ちょっと調べてみただけでも複雑な経緯を持って生まれたこの作風が異国情緒を漂わせる独特のリズムを生み出したんですねぇ。

そして、今回はサンサーンスのハバネラですが、こちらはヴァイオリンとオーケストラのために作曲された作品ですが、演奏時間も10分足らずと短めの曲なので、ヴァイオリンの魅力を少しでも味わうにはちょうどいい時間かもしれません。

 管楽器が静かなハーモニーをゆっくりと流すとヴァイオリンソロが低音から高音へ
 鮮やかに駆け上がりなめらかでしっとりとした美しいメロディを奏でます。
 清潔感のある美しく高らかなフレーズがうっとりとする音楽です。
 しっとりとした前奏(イントロ)がおわり弦楽器がガサガサっと入ると
 ヴァイオリンのテンポが急に速くなり、すさまじい勢いで見事なテクニックを披露
 してくれます。豪快なテクニックの披露が終わると、またしなだれるように
 艶やかなヴァイオリンが、魅力的なフレーズを楽しませてくれます。
 ゆっくりと一音一音を噛みしめるように、美しいヴァイオリンの高音の響きを
 ここぞとばかりに前面に押し出して楽しませてくれます。
 ゆったりとした繊細な魅力を充分に伝え終わると、
 テンポが速くなり盛上がってクライマックスを迎えると、最後はまたゆっくりと
 したテンポに戻り、ゾクゾクするような高音を聴かせて終わります。
 
しっとりとした音色から激しく素早いテクニックまでを短時間に凝縮したヴァイオリンの魅力を堪能できる一曲だと思います。まさに変幻自在のヴァイオリンを思う存分楽しめますからオススメの一曲ですね。

≪オススメCD≫
ヴァイオリンの他の名曲と一緒に入ってます。
ツィゴイネルワイゼン~珠玉のヴァイオリン名曲集
オムニバス(クラシック), リッチ(ルッジェーロ), サラサーテ, ガンバ(ピエロ), ロンドン交響楽団, ジンバリスト, サン=サーンス, ケネディ(ナイジェル), マスネ, ボニング(リチャード)
ユニバーサルクラシック

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【コレってどんな曲】
喜:☆☆☆☆★
怒:☆★★★★
哀:☆☆☆★★
楽:☆☆★★★  →技☆☆☆☆☆

≪おすすめシチュエーション≫
ヴァイオリンの美しさと激しさを兼ね備えた一曲です。


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ピアノ協奏曲第3番  (ラフマニノフ作曲)

2007年03月24日 | その他の作曲家
たまには、クラシック音楽を聴いてみてはいかがですか?

今日はラフマニノフ:ピアノ協奏曲第3番です。

ラフマニノフのピアノ協奏曲と言えば、第2番の方が有名で昨年はフィギアスケートとか、ドラマ「のだめカンタービレ」などでも取り上げられた曲ですが、こちらの第3番も繊細かつダイナミックな要素を併せ持った名曲ですから、せっかく第2番を聴いてラフマニノフに興味を持ったならばこちらも是非聴いてみるといいと思います。

とは言え、こちらも第2番に負けず演奏時間も40分程度と結構長いんですね、コレが。なのでその意味では初心者にはつらい曲かも知れません。ただ、ピアノという無限の可能性を秘めたこの楽器の特徴を限りなく引き出した名作の名にふさわしい曲である事も間違い無いと思いますから、演奏時間が気にならない人は是非聴いてみてください。


 第1楽章:暗い感じのチェロの序奏(イントロ)から、不安げなピアノが切々と
 鳴り始めます。
 ピアノの不安な響きは、速いパッセージに変わるとやがて焦りへと変わっていきます。
 オーボエやクラリネットが入ると、そのパッセージは更に熱くなり迷走していくよう
 にも聴こえてきます。
 そして、コントラバスの低音がザックリと入りホルンがグッと首をもたげるように
 ゆっくりとおおらかに響かせます。
 オーボエが小走りなメロディを奏で、少し落ち着いた表情になると、ピアノソロが
 なめらかに流れ出し、管楽器と共に美しい旋律を奏でます。
 しばしの休息のようにうっとりとできるひと時を与えてくれます。
 そしてテクニカルなピアノをサラッと聴かせてくれますが、
 冒頭のフレーズに戻り、再び不安のよぎる展開になります。ミュート(弱音器)
 トランペットが加わると不安は更に度合いを増していきます。
 さらにピアノは激しさの音色を強め、トランペット、ティンパニ、が打ち鳴らし
 ホルンが雄叫びを上げると、激しさは頂点を迎えます。
 その後、ピアノは荒れるように右往左往しもがいていきます。
 そして苦しみの中からも主メロディにたどり着き、めくるめく超絶のソロを
 繰り広げていきます。(聴き所ですね。)
 長くて美しく苦しみに満ちたソロが終わると、冒頭のフレーズを聴かせてようやく
 曲を終わります。
 
 第2楽章:ヴァイオリンの美しくも悲しいフレーズにあわせて、まるで途方に暮れて
 しまったようなオーボエが響きます。
 そんなこころに出来た隙間を埋めるようにチェロが切なくそうっと響きます。
 しかし、ヴァイオリンのあふれる悲しみは抑えきれずどっと流れ出してきます。
 そこへピアノが一見すると無秩序に表れますが、今回のピアノは落ち着いています。
 ゆっくりと静かになごやかな音色をしっとりと響かせます。
 途中ではときおり、感情が乱れたように激しくなる事もありますが、それさえも
 美しく儚く聴こえてます。
 そんな感情の高ぶりを抑えつつ、あくまで冷静さを崩さずに曲を続けます。
 そして後半からは、素早いピアノのパッセージが響きます。
 ここでも必死に高ぶる感情を抑えようと戦っているようです。
 ホルンがもの悲しげな音色を歌うとようやく落ち着きますが、ヴァイオリン等の
 弦楽器がまるで代弁をするように激しくひとつ、ため息のような響きを聴かせます。

 第3楽章:すると、それまで抑えていたピアノの激しい感情が一気にあふれ出すように
 とめどなくながれオーケストラを巻き込んで、激しい曲調に変わり、3楽章が始まります。
 トランペットが勢いよく鳴ると、ダイナミックなフレーズが流れ出します。
 しかし今回のピアノは悲しい響きではなく、全てをぶちまけて吹っ切れたように
 少し明るい響きを聴かせます。
 ピアノは徐々に明るくなり、中盤では少しきどったようなオシャレなフレーズも
 耳障りがよく、心地よい響きを鳴らします。
 落ち着いて余裕の出てきたピアノはオーボエやフルート、ホルンともおだやかな
 やりとりを見事にこなしていきます。
 そしていよいよラストに差し掛かると、激しく襲い掛かるようなフレーズが
 流れますが、それさえもものともせずに立ち向かい、底力を発揮してシンバルや
 トランペットを味方に付けて、バッタバッタとなぎ払うように堂々と進んで
 いきます。
 そして、湧き上がるようなヴァイオリンの見事なフレーズでクライマックスを
 展開すると、勝ち誇ったように派手に盛上がってサッと終わります。


ラフマニノフのピアノ協奏曲を最初に聴いたのは第2番からでしたが、そのときはチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番が聴きたくて、CDを買うと、ラフマニノフの第2番も録音されていました。最初はラフマニノフなんて作曲家の名前すら聞いたことありませんでしたから、とりあえず・・・、聴いてみると、さすがにクラシック音楽自体を聴き始めた頃だっただけに、なんでこんな暗い曲を作るのか意味が分りませんでした。

だけど、しばらくいろんな曲を聴いているうちに、だんだんと第2番も聴き直す様になり、改めて聴いてみるとピアノに込められた激しい感情がようやく分るようになり、とても素晴らしい曲だということが分りました。

そして、今回紹介した第3番も、ラフマニノフの名作ですからよかったら聴いてみてください。ただ、自分がそうであったように、第2番と同様にこの第3番も初心者に頭からオススメするのは難しいかもしれませんが、何がきっかけでその曲が好きになるか分りませんから「改めて」いろいろ聴き直して見ると新たな曲との出会いが見つかるかもしれませんね。


≪オススメCD≫
よかったらリンパニで聴いてみてください。
ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第3
コリンズ(アンソニー), リンパニ(モーラ), 新交響楽団, ラフマニノフ
ユニバーサルクラシック

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【コレってどんな曲】
喜:☆★★★★
怒:☆☆☆☆☆
哀:☆☆☆☆★
楽:☆☆☆★★

≪おすすめシチュエーション≫
いろんな事を思い出しながら聴いてみるといいかもしれません。

♪ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番はこちら


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交響曲第3番 (シューベルト作曲)

2007年03月23日 | シューベルト
たまには、クラシック音楽を聴いてみてはいかがですか?

今日はシューベルト:交響曲第3番です。

シューベルトの交響曲と言うと、有名なのは「未完成」や「ザ・グレイト」ですが、この他にも、もちろん交響曲を作曲しています。で今回は第3番なんですが、やはり上のふたつの作品と比べると知名度はかなり落ちてしまいます。この曲はシューベルトの前半の交響曲という事もあって、スッキリと軽やかに聴かせてくれますから、あまり構えずに聴いてみると案外自然に聴けるかもしれません。


 第1楽章:ドーンと大きな音をオーケストラがひとつ、その後にはフルートが
 静かにリズムを刻むとヴァイオリンもそうっと入ってきます。
 弦楽器のゆっくりとしたリズムにオーボエとクラリネットのソロが流れます。
 そしてクラリネットが弾みをつけると、弦楽器も盛上がっていきます。
 勢いをつけた力強いオーケストラの響きに艶やかな音色のオーボエが絶妙に
 絡むと、迫力もあり聴き応えがあります。
 メリハリの利いたスッキリとしたオーケストラとオーボエ、フルート、
 クラリネット等の木管楽器を鮮やかに聴かせてくれます。

 第2楽章:弦楽器のやさしくスッキリした、メロディがそっとささやくように
 始ります。途中に可愛らしく入るフルートやオーボエがチャーミングです。
 一歩ずつそうっと歩いていくように静かに聴かせる弦楽器もいいですね。
 そして、クラリネットのなめらかなソロが始るとその後にはフルートのソロが
 同じく軽快に聴かせてくれます。
 そしてまた弦楽器の一歩ずつ歩くメロディに戻ります。そしてそのまま何処かへ
 去ってしまうようにして終わります。

 第3楽章:少し強い響きでドンと始りますが、軽快なリズムのままどんどん曲を
 進めていきます。トランペットやホルンがアクセントを付けると心地よく響きます。
 そして、一旦静かになるとオーボエの軽やかなソロが、ゆったりと伸びやかに
 聴かせてくれます。ファゴットのアシストも絶妙です。
 ソロが終わると勢いの付いた曲調になり緩急を付けながら最後までしっかりと
 曲を聴かせます。
 
 第4楽章:テンポが少し速くなり弦楽器がスルリと抜け出すように響きはじめます。
 トランペットの響きが聴こえると、曲も賑やかに鳴り始めます。
 明るく軽快なテンポで華やかにさわやかなテンポで聴かせてくれます。
 賑やかに最後まで聴かせトロンボーンやトランペットがスカッと鳴らせると
 とても明るく曲を締めくくります。

演奏時間は25分程度と、交響曲としてはやや短めですが、その分聴きやすいと思います。各種管楽器のソロも取り入れながら、軽快なテンポで最後まで流れるように聴かせてくれますから、特にストレスもなくスルッと聴ける作品だと思います。
ただ、逆に交響曲なので激しい展開を期待して聴くと的外れな感じがするかもしれません。もちろん元気よく快活なテーマもたくさんありますが、ド派手にはなりませんし、自然と耳に入るフレーズが心地よい一曲だと思います。


≪オススメCD≫
シューベルトの他の交響曲と一緒にどうぞ。
シューベルト:交響曲第1番、第3番&第8番「未完成」
デイヴィス(サー・コリン), シューベルト, ドレスデン・シュターツカペレ
BMG JAPAN

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【コレってどんな曲】
喜:☆☆☆★★
怒:☆☆★★★
哀:★★★★★
楽:☆☆☆☆★

≪おすすめシチュエーション≫
スッキリ聴ける交響曲をお楽しみください。


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弦楽四重奏曲第1番「わが生涯から」 (スメタナ作曲)

2007年03月22日 | その他の作曲家
たまには、クラシック音楽を聴いてみてはいかがですか?

今日はスメタナ:弦楽四重奏曲第1番「わが生涯から」です。

まずは、弦楽四重奏曲ですから楽器編成は2台のヴァイオリンとヴィオラ、チェロの四重奏です。弦楽四重奏曲と言えばハイドンやモーツァルトのものが有名ですが、この曲もスメタナの代表作だけあって、前者に負けず劣らずの名曲だと思います。

実は、この曲ここ2・3ヶ月に初めて聴いた曲なんですが、初めて聴いてもスルッと聴けて、特徴的なフレーズもたくさんありますし、悲しい響きから愉快なリズムまで4つの楽器をフル活用して、奥行きのある音楽を聴かせてくれます。

ちなみに、作曲当時のエピソードとして、この曲はスメタナが耳が聴こえなくなってから作曲した曲で、第4楽章に突然聴こえてくる「キーン」というヴァイオリンの音はスメタナが同じような音を幻聴で聴いた音を特徴的に表していると言われているようです。


 第1楽章:大きく悲劇的な和音をひとつ、そこから緊張感を持った運命的な
 フレーズが印象的です。
 グラグラと揺れ、不安を感じさせますが、ときおり見せるおだやかな旋律が
 ひとときのやすらぎを聴かせてくれます。
 不安がやすらぎに変わり、そしてそのやすらぎは不安へと変わっていきます。
 そんな事を繰り返しながら、最後にはそんな不安もうやむやになってしまうように
 消えるように終わっていきます。

 第2楽章:さっきとは打って変わって、陽気なフレーズが明るく元気に響きます。
 ヴァイオリン、ヴィオラ組とチェロが愉快に掛け合うようなやりとりは、
 聴いていると楽しくなってきます。
 やがてワルツのような♪ズンタッタッタのリズムに乗ってヴァイオリンがすべる
 ように和音を乗せていくと、思わず肩を揺らして聴いてしまいます。
 その後はすぐに駆け出すように速いテンポになります。
 そして、これを2回ほど繰り返すと最後もスッキリ終わります。

 第3楽章:高音で透き通るようなチェロのソロはだんだんと低音へ向かい
 じわじわとその低音の魅力を聴かせると、
 その上にふわっと浮き上がるような美しいヴァイオリンのメロディが表れると
 こころが洗われるようにスッキリとした気持ちになれます。
 そしてヴァイオリンを中心にゆっくりと、そして情熱的な暖かい弦楽器の和音が
 続き、それが頂点に達すると目頭に熱いものを感じてしまいます。
 ところが、そこからすぐに激しさは強い悲しみに変わり劇的な音になります。
 悲劇の音が止むと、曲はひっそりと静まり返りますが、そこからまたチェロの
 ※ピチカートのリズムに乗せて、優しいメロディに変わっていきます。
 更にヴァイオリンが低音から一気に駆け上がるソロを聴かせると、
 それまでの事を懐かしく思い出すようなチェロのソロが入り、ヴァイオリンへと
 引き継がれ、悲しみを乗り越えた優しい表情を聴かせながらそうっと終わります。
 
 第4楽章:明るく激しく揺れる特徴的なフレーズから、リズムも軽やかに
 ヴァイオリンの瑞々しいメロディが勢いよく流れ出します。
 そして、とても楽しそうにはしゃぐ弦楽器はとても明るく愉快なメロディを
 聴かせてくれます。
 ところが、そんな楽しそうなメロディの中から急に「キーン」と響くヴァイオリン
 の音が現れると他の弦楽器が急にどよめき始め、ざわつきます。
 悲劇の曲調に変わり震えるような音がしばらくつづくと、
 ゆっくりとした曲調に変わり、一瞬やわらかい曲になりますが、不安気な要素
 を残しながら、静かに消えるように終わっていきます。

※ピチカート(弦楽器を弓ではなく指ではじく奏法)

初めにも書きましたが、最近になってようやく聴いたこの曲ですが、なんでこんな良い曲を今まで知らなかったんだろう!と思ってしまうほど名曲です。(単純に聴いてなかっただけなんですけど…)クラシックファンの方でまだ聴いた事がない人がいれば是非オススメの一曲なんですが、初心者にもオススメできる一曲だと思います。最初が暗い始り方なので聴き始めると若干つらいかもしれませんが、2楽章、3楽章、終楽章と聴き進み、「キーン」と響く音と、その意味を考えると全曲聴き終わった後にもう一度聴きたくなってしまう魅力的な曲です。

≪オススメCD≫
せっかくなので、スメタナ弦楽四重奏団でどうぞ。
スメタナ:弦楽四重奏曲全集
スメタナ四重奏団, スメタナ
コロムビアミュージックエンタテインメント

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【コレってどんな曲】
喜:☆☆★★★
怒:☆☆☆★★
哀:☆☆☆☆★
楽:☆☆☆☆★

≪おすすめシチュエーション≫
「人生って何だろう?」って思わなくっても聴ける曲です。

スメタナの耳が聞こえなくなったときのエピソードの記事はこちら


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