経堂めぐみ教会

日曜礼拝のメッセージ動画です。

9月12日礼拝「士師の時代③-強い力の源-」

2021-09-13 14:52:06 | 礼拝
士師記16章15~22節,28~31節

 イスラエルの民がペリシテ人に支配され、苦しめられていたころ、ダン族のマノアという人の妻のもとに主の使いが現れて、身ごもって男の子を産むと言われました。その子は、母のお腹の中にいる時から、神に捧げられたナジル人として定められていました。だから、ぶどう酒や強い酒を飲んではならない、汚れた物を食べてはならない、髪の毛を切ってはならない、そしてその子は、イスラエルをペリシテ人の手から救い出すと言われたのです。彼は両親に大切に育てられ、その子はサムソンと名づけられました。成人したサムソンは怪力の持ち主でした。神様の力が注がれていたからです。彼はこの怪力で敵対するペリシテ人を次々と打ち負かし、「さばきつかさ」としての務めを果たしていきました。

 20年も経った頃のこと、サムソンは一人のデリラという女性を愛しました。しかし、この女性との関係が命取りとなります。ペリシテ人は何とかサムソンを捕えたいと考えていたので、チャンス到来とばかりにサムソンの怪力の秘密をデリラに探らせます。領主一人から銀千百枚でその誘いに乗ります。その日から、デリラの執拗な問いかけが始まりました。(6)「どうか私に教えてください。あなたの強い力はどこにあるのですか。」幾度となくとぼけるサムソンでしたが、ついに力の秘密を明かしてしまいます。(17)「私の頭には、かみそりが当てられたことがない。私は母の胎にいるときから神に献げられたナジル人だからだ。もし私の髪の毛が剃り落されたら、私の力は私から去り、私は弱くなって普通の人のようになるだろう。」彼女は膝の上でサムソンを眠らせ、人を呼んで彼の髪の毛七房を剃り落しました。ペリシテ人が襲ってきた時、サムソンに以前のような力はもうありませんでした。サムソンが自分の髪の秘密を漏らした時、自分が神に捧げられたナジル人だという自覚を失い、与えられた使命を放棄したので、神がその力を取り去ってしまったのです。ペリシテ人は彼を捕まえて、その目をえぐりだし、彼をガザに引き立てて行きました。彼はガザで青銅の足かせをかけられ、牢につながれ、そこで他の囚人と同じように臼を引かされました。

 この時初めてサムソンは本心に立ち返ったと思われます。自分がどんなに愚かなことをしてきたかに初めて気づきました。 (22)「サムソンの髪の毛は、剃り落されてからまた伸び始め」てきて、生涯神に献げられたナジル人としての自覚がよみがえってきました。ペリシテ人の領主たちは、自分たちの神にいけにえをささげて楽しもうと集まりました。彼らはサムソンを見世物にしようと牢から呼び出しました。彼らの前で戯れて「笑いもの」になり、どんなにみじめで屈辱的だったことでしょう。サムソン彼の手を堅く握っている若者に、(26)「私の手を放して、この神殿を支えている柱にさわらせ、それに寄りかからせてくれ。」と言います。そして心から悔い改めて主を呼び求めました。(28)「神、主よ、どうか私を心に留めてください。ああ神よ、どうか、もう一度だけ私を強めてください。」彼は自分のうちに主からの力がみなぎって来るのを感じました。彼は、神殿を支えている二本の柱を、一本は右手に、もう一本は左手に抱え、それに寄りかかりました。そして、彼は(30)「ペリシテ人と一緒に死のう」と言って、力を込めて二本の柱を押し広げました。すると、神殿はその中にいたすべての人たちの上に崩れ落ちました。「こうして、サムソンが死ぬときに殺した者は、彼が生きている間に殺した者よりも多かった。」のです。神は最後に悔い改めたサムソンをご自分の器として用いられました。私たちも失敗する者です。でも主イエスは私たちの罪を赦すために身がわりとなって十字架にかかってくださったのです。悔い改めて主の愛にお応えしていきましょう。あなたの賜物が豊かに用いられますように。
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