経堂めぐみ教会

日曜礼拝のメッセージ動画です。

4月11日礼拝

2021-04-12 15:56:36 | 礼拝
ルカの福音書24章13~32節 「心は内で燃えて」 

 イエス様がよみがえられたその日、二人の弟子はエルサレムから西に11キロ、エマオという場所に向かっていました。彼らはこの日の朝起きた出来事(墓の中が空っぽになっていた)について、話し合ったり、論じ合ったりしながら歩いていました。すると、そこに、イエス様ご自身が近づいて来て、彼らとともに歩き始めました。しかし、「二人の目はさえぎられていて」、その方がイエスであるとはわかりませんでした。イエスの死に直面して望みを失い、途方に暮れていたでしょうか、また復活したという噂に頭が混乱していたかもしれません。いずれにせよ、二人の目はさえぎられていて、イエスだとは分からなかったのです。私たちも同じように、イエス様が私たちに近づき共に歩んでいてくださるのにわからないことがあります。それはなぜでしょうか?この世のものに目がさえぎられているからです。そのため、イエス様が見えなくなってしまいます。そして、それは恐れや不安、希望が持てない生き方へと追いやるのです。

 (17)イエス様は二人と一緒に歩きながら言われました。「その話は何のことですか。」「どんなことですか」と言われると、二人は「ナザレ人イエス様のことです。」と答えて、イエスが行いにもことばにも力ある預言者であったこと、祭司長たちや議員たちがこの方を死刑にさだめ十字架につけたこと、そして、自分たちはこの方こそイスラエルを解放する方だと期待していたことを語りました。そして葬られた墓からイエス様の体がなくなっていたことを語りました。ここに、復活の主が弟子たちと一緒に歩きながら、語り合う姿が描かれています。私たちは、祈りを通して主と語り合えるのです。耳を傾けてくださる主に、私たちは何でも語る特権が与えられています。でも、なぜ祈れないでしょうか?疲れているから、忙しいから、祈っても無駄だからといろいろな理由をつけて祈ることをしません。しかし、肉の思いを乗り越えて、一度祈り始めるならば、後は神が祈らせてくださる、祈る力を与えてくださるのです。

 そこで、イエス様は彼らに言われました。(25~26)「ああ、愚かな人たち。心が鈍くて、預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち。キリストは必ずそのような苦しみを受け、それから、その栄光に入るはずだったのではありませんか。」「苦しみを受け」て「その栄光に入る」とは、十字架にかかり復活されるということです。それからイエス様は、旧約聖書全体から、ご自分について書かれていることを彼らに説明されました。二人の弟子は、イエス様ご自身から、イエスの苦難と栄光に関する聖書のことばを聞かされて、主が復活されたという確信が与えられていきます。エマオの村に近づくと、イエス様はまだ先へ行こうとされました。すると、弟子たちのほうから、(29)「一緒にお泊りください。そろそろ夕刻になりますし、日もすでに傾いています」と言って無理に願ったので、イエス様は彼らといっしょに泊まるために中に入られました。そしてその人がパンを取って祝福し、裂いて渡されるのを見て、二人は目が開かれて、その人がイエスだと分かりました。五千人の給食や、話に聞いていた最後の晩餐の出来事を思い起こしたのかもしれません。理由は定かではありませんが、ただ言えることは、イエス様が道々語ってくださったことばが彼らを復活の主イエスに導く結果になりました。彼らはその時のことを回想して言っています。(32)「道々お話しくださる間、私たちに聖書を説き明かしてくださる間、私たちの心は内で燃えていたではないか。」この後、心を燃やされた二人はただちにエルサレムにいる仲間のもとへ戻っていきます。復活の主は私たちを失望から希望へと変えてくださるのです。
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