経堂めぐみ教会

日曜礼拝のメッセージ動画です。

3月7日礼拝

2021-03-08 11:42:09 | 礼拝
ルカの福音書22章1~20節 「最後の晩餐」

 「過越しの祭り」と言われる種なしパンの祭りが近づいていました。過越しの祭りは、かつて千数百年前にエジプトで奴隷だった先祖を神が救い出してくださったことを記念して祝うもので、イスラエルにおける最も重要なお祭りです。その頃、祭司長や律法学者たちは、民衆の暴動を避けてイエスを殺す良い方法はないかと探していました。そして、ちょうど、イエスの十二弟子の一人、イスカリオテのユダが彼らのもとにやってきました。ユダは民衆の騒ぎを起こさずに、イエスを引き渡す方法を相談しに来ました。祭司長たちは大いに喜び、ユダに銀貨を与える約束をしました。ユダはどうしてイエスを裏切ろうとしたのでしょうか?それは定かではありませんが、ここでは、彼に(3)「サタンが入った」とだけ記されています。ユダの姿は神に逆らう罪を象徴しています。ユダは群衆がいない時にイエスを引き渡そうと機会を狙っていました。このようにして、ユダヤ人による暗殺計画とユダの裏切りにより、イエス様は十字架に引き寄せられていきます。

 過越しの子羊が屠られる、種なしパンの祭りの日が来ました。過越しの祭りの食事は、子羊の肉を苦菜と種なしパンと一緒に食べました。ぶどう酒はイスラエル社会で日常的に飲まれる飲み物でした。主イエスは(8)「過越の食事ができるように、行って用意をしなさい」と、ペテロとヨハネに命じました。彼らがイエスに(9)「どこに用意しましょうか」と訊ねます。イエスは(10~12)「いいですか。都に入ると、水がめを運んでいる人に会います。その人が入る家までついて行きなさい。そして、その家の主人に、『弟子たちと一緒に過越の食事をする客間はどこか、と先生があなたに言っております』と言いなさい。すると主人は、席が整っている二階の大広間を見せてくれます。そこに用意しなさい。」と指示しました。二人は行ってみると、イエスが言われた通り確かに部屋が用意されていました。それで、彼らは過越の食事の用意をしました。

 食事の時間になり、イエス様は席につかれ、おっしゃいました。(15~16)「わたしは、苦しみを受ける前に、あなたがたと一緒にこの過越の食事をすることを、切に願っていました。あなたがたに言います。過越が神の国において成就するまで、わたしが過越の食事をすることは、決してありません。」イエスはご自分の死が間近に迫っていることを感じていたので、最後の過越を弟子たちと共にすることを切に望んでいたのです。そして「神の国において過越が成就するまで」はもはや一緒に過越の食事をすることはないだろうと、死が間近に迫っていることを語られました。食事の後半、イエスはエジプトからの救出を記念する過越の食事を用いて、これからなそうとしている十字架の意味を明らかにされました。イエスはパンと取って (19)「これは、あなたがたのために与えられる、わたしのからだです。わたしを覚えて、これを行いなさい。」またぶどう酒をとって(20)「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による、新しい契約です。」イエス様はこれから向かう十字架でご自分の体が裂かれ、血が流されることによって、人々の罪を贖う完全ないけにえとなることを言われました。これまでは、罪が赦されるために動物の血を流さなければなりませんでした。イエスの十字架は、それに代わる、完全な赦しを与える「新しい契約」です。この血による「新しい契約」は、罪が拭われ、義と認められ、神の子としていただく救いを意味します。イエスはこの事実を、弟子たちが、そして私たちが忘れないために、「わたしを覚えて、これを行いなさい。」と命じられました。これが今もキリスト教会で礼典として行われている聖餐式の原型です。私たちはいつも主の十字架を心に留めてまいりましょう。
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