函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

飲み仲間が死んだ!

2007年04月07日 08時34分43秒 | えいこう語る


人が死ぬというのは、灰になることだ。
先日亡くなった、コメディアンの、植木等流に言うと「灰・それまーでーよ」
と、言う事になる。・・・死とは、無になることだと、つくづく思い知らされる。
人(イ=にんべん)が無(ム)になる。つまり、仏になるということだ。
人生も、60年近くなると、知人の死に接する機会が多くなる。しかたがないことだ。・・・やがて、私にもお迎いがやってくる。
覚悟があるかといっても・・・あるはずはない。

僕より、14歳年上だったが、一度、僕はアドバイザー的存在で、彼の管轄する会議に参加した時、彼の主張と、真っ向からぶつかった事がある。
彼は年下の、専門外の人間が、何を言うのだと、席を立ち上がって激怒した。
普段、寡黙な人間が、なぜそんな態度に出たのか、その時は理解できなかった。
数年後に、僕の主張が受け入れられた状況になった。
その後、彼が退職し、飲み仲間となった。
或る日、何時ものように、数人で飲んでいた。途中、何人かが小用に立って、彼と二人きりになった時のことである。
突然「あの時、怒鳴ったのは許してくれ」と、はっきり言った。
一瞬、僕は、何の話をしているのか、理解が出来なかったが、小用を足してきた仲間で、引き続き話が元に戻り、その話は、それっきりになった。
以後、その話に二人は触れる事がなかったが、僕も退職をし、組織の縛りから抜けてみると、その時の彼の心が、良く理解できた。

一回り以上も年が違う僕に、ずいぶん年月が経ってから、頭を下げた先輩が、今朝、白いハンカチをかぶって、祭壇の後ろに横たわっていた。
ハンカチを取り、顔を見たが、眠っているようにしか思えない。普段より、理知的で、二枚目に感じた。
「Kさん」と、声をかけた・・・・・・・・・。
顔に触ってみたら、とても冷たかった・・・。