夢かよふ

古典文学大好きな国語教師が、日々の悪戦苦闘ぶりと雑感を紹介しています。

東京で例会

2017-01-21 18:54:14 | 日記
先日、東京で例会に行った話題をするのを忘れていた。


会場は青山学院大学。『千五百番歌合』に関する発表があるので、ぜひ行かねばと思っていたのだ。
以前、後鳥羽院の百首歌について調べた際、『千五百番歌合』の成立、行事としての性格についても考えたことがあったのだが、お話を聞いていて、その一つ一つが頷けることばかりで、教えられる所の多いご発表だった。

休憩時間や懇親会のときに、和歌を学生にどのように教えるか(特に作らせ方)を何人かの先生方にお聞きしたり、教えていただいたりすることができた。
年明け早々ではあったが参加者も多く、和歌を愛し真剣に学び教える方々がこれだけいることに改めて勇気づけられつつ、活気あふれる例会を楽しんできた。

見し人の雨となりにし

2017-01-20 22:20:08 | 日記
今回の源氏物語講座は「葵」巻。
ふつう、この巻から和歌を含む場面を一つ選べといわれたら、六条御息所の屈折した恋の情念が結晶した
  袖濡るるこひぢとかつは知りながらおりたつ田子のみづからぞ憂き
のくだりを選ぶことだろうと思う。(私も学生時代はこの歌が好きだった。)

だが、今の私には、光源氏が葵上亡き後、三位中将(葵上の弟)と時雨の降る夕べに詠み交わした贈答歌、

 (三位中将)
  雨となりしぐるる空のうき雲をいづれのかたとわきてながめん
 (光源氏)
  見し人の雨となりにし雲居さへいとど時雨にかきくらすころ

のほうがずっと心に響くので、この場面を講座では取り上げた。

亡くなった者の魂は、生前その人と親しかった者が繰り返し思い出し歌を詠むことによって慰撫される。
愛する人に先立たれた側も、悲しみを共有する者と共に故人を偲び歌を詠み合うことで、理不尽に強いられた死別の苦痛をわずかに癒やすことができる。
人は亡くなっても、その人を忘れずにいる者の心の中では、その後もずっと生き続けるのだから。


この日は暴風雪で、警報が出ているにもかかわらず、受講者のみなさんが全員出席してくださった。
外の天気は荒れ模様だったが、講座の雰囲気はいつものように穏やかで、心が和んだ。

東京の寒さ

2017-01-13 22:07:26 | 日記
先日、東京で買い物をしていて、自分が旧世代の人間に属することを自覚させられる出来事があった。
洋服を買うのに、「セーター」と言ったら若い店員さんに「ニット」と言い直され、「ジーンズ」と言ったら「デニム」と言い直された。
こういうところに年齢が出るのだなあ。


昼食(もちろん燗酒付き)後、出光美術館に行き、「岩佐又兵衛と源氏絵―〈古典〉への挑戦」展を観てきた。
私自身は、岩佐又兵衛の斬新な画風はあまり好きではないのだが、最初の方に展示されていた土佐光吉の源氏物語画帖(重要文化財)は食い入るように見てしまった。
今まで図録の類でしか見たことがなかったが、実際にこの目で見ると、丹念で細密に描き込まれた絵の美しさに心を奪われる…。
これはぜひ、今度の源氏物語講座で、受講者の方々にお話ししなければ。

それにしても東京の冬は寒い。
夏目漱石が確か『こころ』で、「寒さが背中にかじりついたような」と書いていたのは、こういうことをいうのかと思う。

和歌愛愛

2017-01-12 22:15:08 | 日記
今日、私の担任するクラスのLHRでは、新年にふさわしく百人一首大会を行った。

今の若者は、ほとんど百人一首に馴染みがないので、通常の競技用かるたではなく、「五色百人一首」を使う。
これは東京教育技術研究所の作成した、主に小学生向けの教材で、百人一首の取り札100枚を20枚ずつ5色に分けてあり、2人組で対戦し1試合3分で実施することができる。
取り札の裏には、その和歌の上句が書かれており、試合を始める前にそれを見ながら覚えることができる。
歌の読み手は私が務めたので、試合のインターバルを長めにとり、学生たちが少しでも多くの歌を覚えてくれるよう願いつつ、ゆっくり40分ほどかけて5回戦まで行った。


試合を始めると、学生たちが本当に熱中というか、熱狂するのに驚く。
1枚札を取る度に歓声が上がり、ガッツポーズをする者もいる。
荒れたクラスも立て直す、という教材であるのもうなずける。
男女が自然に仲よくなり、みんなで楽しめるのもいいなと思った。
「和気靄靄」をもじって、「和歌愛愛」と言いたくなる。
昔、百人一首のかるた大会が、男女の出会いの場だったという話も思い出しながら、心はなやぐひとときを過ごした。

「懐紙―歌道のあゆみ―」展

2017-01-10 22:28:21 | 日記
センチュリー美術館で開催中の「懐紙―歌道のあゆみ―」展。
熊野類懐紙も出品されると知り、これはぜひにもと観に行った。(1月7日)
今の私には、仮名古筆の優品を実際にこの目で鑑賞することが、何よりの学びになる。

センチュリー美術館は、早稲田大のすぐ近くにあり、開館まで少し時間があったので、大隈庭園で散歩してきた。


「懐紙」(かいし)とは、昔の貴族たちが携帯した「ふところがみ」のことであるが、詩歌の会においては、清書用紙として用いられた。
会場には、主に鎌倉~江戸時代の和歌懐紙が中心に展示されており、その中でも特に後鳥羽上皇側近であった藤原長房や、同時代の歌人の源仲家、藤原清実のものを興味深く見た。

800年も昔のものなのに、紙が多少変色している程度で、色の濃淡、墨継ぎ、筆づかいなどが時を超えて生々しく伝わってくる。
他にも正徹、三条西実隆、飛鳥井雅康などの貴重な遺筆もあり、これからもまだまだこうした作品に触れ、多くのことを知りたいという気持ちになった。