夢かよふ

古典文学大好きな国語教師が、日々の悪戦苦闘ぶりと雑感を紹介しています。

教研レポート (その1)

2014-11-15 22:54:20 | 教育
昨日の中国地区国語教育研究大会(防府大会)は、高校の部だけで75名もの高校教員が参加しており、「生徒の現状に応じた言語活動のあり方」が研究主題に据えられていた。
それぞれの学校での生徒の現状に応じて、身につけさせたい「言葉の力」を十分に意識した上で、その習得のために効果的な「言語活動のあり方」を考えるという趣旨のもと、まず午前中は模擬授業と研究協議会が行われた。


  (写真は、周防国分寺)
模擬授業は、くらしき作陽大の弘中幸雄氏が、『徒然草』を教材として、ワークシートを用いて行った。
弘中氏は冒頭、今朝のTV番組で詩人の谷川俊太郎さんが語っていたという、
「今は言葉がストック(蓄積)されず、フロー(流通)される時代だ」
との発言を紹介しつつ、古典=ストックされた言葉の中に入っていく子どもたちを育てたいということを言っておられた。
また、生徒たちに古典に関心を持たせるためのアプローチとして、(1)筆者の主張や話題・内容を具体化(日常化)して考えさせる、(2)書き手の意図を考えさせる、授業例を提示されていた。

その後の研究協議会では、模擬授業についての質問や、グループ学習のやり方、古典の授業に効果的な取り組みの紹介など、活発な討議がなされ非常に盛況であった。
その中で弘中氏が、古典の授業では「今に生きる古典」というスタンスに立つべきことを強調されていたのが、印象に残った。たとえば、
「兼好法師(あるいは清少納言)が現代に生きていたら?」
と生徒に考えさせるなど、古典の世界と現代との共通性に着目させるのが有効だと考えておられるようだった。
一方で、両者の違いは違いとして、きちんと理解させねばならないとも言われていた。たとえば、「児のそら寝」(『宇治拾遺物語』)で、この児(ちご)はどんな人で、なぜ寺にいるのかなどは、教師が知っていたり、調べたりしていないといけない。そこを理解させた上で、「かい餅」を食べ損ねまいとだいぶ経ってから返事した児の心情などは現代の子どもと変わらないから、生徒も共感できるはずだと。
だから、教師の知識量、勉強量、読書量はすごくないといけない、と言われたのは、本当にその通りだと思った。

午後の教研についての報告は、また次回に。