夢かよふ

古典文学大好きな国語教師が、日々の悪戦苦闘ぶりと雑感を紹介しています。

研究授業のこと

2014-10-27 22:19:22 | 教育
先日、私が研究授業を行ったのは、岡山県の漢字漢文教育の研究会。毎年、高大連携で学術研究や教育の成果を発表しているそうだが、今年は本校が会場校となり、公開授業も引き受けてくれと言われたのだ。
そして、たまたま、受験にもっとも支障のない1年生の担任をしている私が、公開授業の任に当たることになってしまった。

初めは戸惑ったが、結果からいえば、貴重な経験をさせていただいたと思う。

自分の担任するクラスとはいえ、普段は現代文を教えているので、古典担当のK先生と相談して、白居易の漢詩を授業で扱うことにし、教え方や学習指導案の内容などについても、何度も打ち合わせをした。
前回の記事で書いたように、準備期間が十分だったとは言えないものの、白居易について資料を集め、読み込んだり、授業をどう組み立てるか構想し、学習指導案を書いたりするのは楽しかった。

惜しむらくは、教材研究を徹底的にはせず、事前のリハーサルを録画して検討する手間を省いたため、第三者の観点からの批判に耐えうるような授業に鍛え上げることができなかった。これは返す返すも悔しい。

当日の公開授業のときには、やはりそのあたりの弱点が露呈し、生徒の作業や発表を適切に評価できなかったり、説明に窮し固まってしまったりする場面があった。
特に授業の前半は、緊張で表情もこわばり、平常心で教えられず、漢字の書き順を間違えたり、説明がくどくなったりしてしまった。(後から、職場の先生にも指摘された。)
後半はやや持ち直し、グループワークをさせた生徒たちがいきいきと活動したこともあって、なんとか授業らしい形にもっていくことができた。結局、今回は生徒たちに救われた部分が大きいと思う。

その後、会議室に移動し、私の授業を参観してくださった先生方との意見交換会があった。
この日は、外部からも大学・高専・高校等の教員の方が二十人ほど参加しておられ、最初に私からお願いしたように、忌憚のないご意見をいただくことができた。
漢文の指導上、当然必要とされるはずの語句・句法・修辞法等の知識の不足、理解の不十分さをいくつも指摘されたのは、身にしみて痛かった。
生徒の発言・発表を有効に活用できていない、むしろ意欲をそぐ指導になっていた場面もあることを言われたのはショックだった。
どこが今回の授業のヤマであるかを見定めていれば、それに合った説明や、指導の手立てができていたはず、ということを具体的に示されたのには、「おっしゃる通りです。」としか言えなかった。

授業の準備をするに当たって、教材研究を徹底すること、発問を考え抜き構成を考えることの二大要素を怠っていたことを思い知らされた。
恥もずいぶんさらしたことになるが、こういう経験を通さなければ学べなかったことがたくさんある。拙い授業にもかかわらず、率直に意見し、適切な評価をしていただいた先生方には非常に感謝している。今回学んだことを糧として、よりよい授業を創造していく。