夢かよふ

古典文学大好きな国語教師が、日々の悪戦苦闘ぶりと雑感を紹介しています。

月次の会・九月 (その2)

2014-10-02 23:14:31 | 短歌
今回の『百人一首』講読は、清少納言の、

  夜をこめて鳥のそらねははかるともよに逢坂(あふさか)の関はゆるさじ

について。

この歌は、『後拾遺和歌集』(雑二・939)では、
大納言行成(ゆきなり)物語りなどし侍りけるに、「内の御物忌(ものいみ)に籠れば」とて、急ぎ帰りてつとめて、「鳥の声に催されて」といひおこせて侍りければ、「夜深かりける鳥の声は函谷関のことにや」と言ひにつかはしたりけるを、立ち返り、「これは逢坂の関に侍り」とあれば、詠み侍りける
という詞書とともに収められている。

込み入った詠歌事情を、解きほぐして説明すると、
①ある夜、風流才子の藤原行成が、清少納言の局(つぼね=私室)に来て、長話をしていった。(もちろん、ふたりは清い関係のはず)。
②行成は、「明日は帝の御物忌のために、宮中に詰めていなければいけないから。」と言って、深夜にそそくさと帰ってしまった。
③翌朝になって、行成は、「昨夜は、明け方を告げる鶏の声にせかされて。(心ならずも、あなたのもとをおいとましたのですよ。)」などと、まるで男女が一夜を過ごした後のような手紙をよこしてきた。
④清少納言は、(これじゃまるで、二人の間に何かあったみたいじゃないの…。)と癇に障りながら、
「あなたが聞いたという深夜の鶏の声は、孟嘗君(もうしょうくん)の故事にあるあの「函谷関」(かんこくかん)のことですか?」
と言ってやった。
⑤行成は、「関は関でも、これは(男女が一線を越えるという)逢坂の関ですよ。」と、あくまで色恋めいた返事をしてきた。
⑥清少納言は、誇りを傷つけられて、私とあなたとの間には何もないのに、戯れ言を言ってもらっては迷惑、と行成を手厳しくはねつけた歌を詠んで送ってやった。
ということになる。

清少納言の歌は、
函谷関であれば、まだ夜深い時分に鶏の鳴きまねをして関守をたばかり、越えることもできるでしょうが…。逢坂の関の関守は、鶏の鳴きまねくらいでだまされて、通すことはありえません。(私とあなたが逢う――男女の中になることなんてありえません)。
という意味である。

先生は、清少納言が行成に対して、「いいかげんなことを言うな。」としっぺ返ししてやった歌だと、小気味よげに話しておられた。
先生はまた、清少納言がお仕えしていた中宮定子についても話され、数年前、定子の陵(みささぎ)のある京都・泉涌寺(せんにゅうじ)を訪れたことがあるということも言われていた。こじんまりとした陵で、小さいけれどいいお墓だと感じたそうだ。(ちなみに先生はこの時、なぜか野良犬についてこられて困った、という話もされていた。)

清少納言の晩年の零落譚、紫式部がその日記で清少納言を毒舌批評していることなども先生は楽しそうに語られ、「げに女の争いは恐ろしい。」と話を締めくくられた。