雲のむこうはいつも青空

まったりもったり~自閉症息子のいる暮らし@ちびくまママ

いい子モード

2007年04月16日 | 楽しい学校生活
先週の金曜、中学初の給食の日、障担K先生に
「給食は(交流級の)教室とSRとどっちで食べますか?」と
訊かれて、
「教室でたべます」と答えたちびくま。

月曜日も毎時間、「教室、それともSR?」と確認してくれる
先生に「教室」と答える彼を見ていて「ピンときた」先生、
4時間目に入る前は質問の仕方を変えて
「教室に行きますか?」と訊いてみてくれました。

これまで「教室」と即答だったちびくまが「う~ん」と
考え込むのを見て、もう一度
「教室に行きますか?それともSRにいますか?」と訊くと、
「SRにいようかな・・・」
と答えが返ってきたそうです。

たぶん、本当はもう交流級に行くのはしんどくなっていたのだけど
自分からは言い出せなかったのでしょう。
新しい環境に入ったり、まだ関係のできていない新しい支援者に
会ったときに、まず「おそらく相手が求めているであろう行動」に
徹底的に合わせる、という傾向がちびくまにはあります。
これを私は「いい子モードに入る」と呼んでいます。

もちろん、それは彼にとっては無理に頑張っているところも
多分にあるので長続きはせず、しかももっとややこしいことに
そこからくるひずみは発熱や嘔吐といった身体症状としてだけ
出てくることが多いのです。

ですから、そこに気づけるだけのデリカシーのない支援者だと
「親や前任者からは○○はできないと聞いていたけど、
 自分が対応したら最初からちゃんとできた。
 きちんと対応すればできるのだ」
と思ってしまいます。

支援者にとっては、「これまではできなかったことが自分が
対応することでできるようになった」というのは
ものすごく達成感を刺激されるできごとですから、
自然「きちんとした対応をすればもっとできる」と
要求が高くなり、結果ちびくまをどんどん追い詰めていくことに
なります。大きくパニックになって暴れたりすれば
気がつくかもしれないのですが、いかんせん身体症状だけでは
「風邪」「新学期の疲れがでた」くらいにしか見えません。

「お母さんからは○○が心配、△△はできないと聞いていましたが
 最初から全く問題なかったですよ」
と「先生」が胸を張り始めたら要注意、というジンクスが私にはあります。
自分がどれだけ子どもに負担をかけているかに気がつけないで
指導に自信と達成感を味わってしまった支援者は、
もう親の私が何を言っても
「それはお母さんの気持ちですよね」
「お母さんは心配するけど、全然大丈夫でしたよ」
になってしまいます。

もちろん、限界まで背伸びさせられたちびくまは
砂上の楼閣と同じ。
そんな状態で「学ばされた」スキルの多くは、その人が
支援者でなくなった途端、まるで意味をなさなくなります。

自閉っ子はある場面で身につけたはずのスキルが、別の場面では
全く使えなくなることが多い、つまり「汎化ができない」と
言われることが多くありますが、その中にはこういうことが
原因になっているものもあるのではないかと思ったりします。

さて、K先生に自分の気持ちを無事引き出してもらって安心したのか、
ちびくま、この日から給食はSRで食べることを選ぶように
なりました。

関係が出来ていない最初は言うことをきいてくれないけれど、
関係が出来てくることで言うことをきいてくれるようになる、という
パターンしか経験していない支援者だと、ちびくまのこうした
「いい子モード」にはなかなか気が付いてくれないのだけど、
K先生が「ピンときて」くれるデリカシーのある人で
本当に良かったなあ、と思っています。