雲のむこうはいつも青空

まったりもったり~自閉症息子のいる暮らし@ちびくまママ

「従順な子」の怖さ

2007年04月28日 | 「発達障碍」を見つめる眼
今回、ちびくまが大きく崩れた原因を、K先生は
「自分がちびくまくんの困り感に気づけず、頑張らせ
 過ぎてしまったせい」だと言って謝ってくれました。

もちろん、中学の対応にも、私にも、ちびくまの今までの
安定した姿に安心していたための「見通しの甘さ」があったことは
否定できません。

でも実は、今回の爆発の一番大きな原因になったのは、
6年生後半の、「中学生になったときに困らないように」という
数々のスキル指導だったのではないか、と私は考えています。

母親が突然の病気で長期の入退院を繰り返し、その間
これまであまり接触のなかった祖母が家で面倒を見る、という
環境の変化にも、学校では「いつもと殆ど変わらない様子」
だった、というちびくま。

でも、一番密接に関わる母親がいなくなって、
家庭で大きなストレスがかかっていないわけがないのです。
だから、学校では「いつもと殆ど変わらないように見える」影には
本人のどれだけの頑張りがあるか、ということを
常に意識してかかって欲しかったと思います。
ところが、私の入院中に、中学への準備として、偏食や排泄など、
もっとも微妙な彼の「泣き所」である分野に指導が入って
しまったのです。

6年の障担の名誉のために断っておくと、決して知識やノウハウの
ない先生ではなく、むしろ大ベテランで経験もアイディアも豊富で
次から次へと子どもの課題を見つけ出してはぐいぐい引っ張っていく、
指導力抜群のエネルギッシュな先生なのです。
でも、幼児期~小学校低学年の、本当にちょっとでも対応を
間違ったらすぐにボロボロになってしまう脆さが前面に出ていた
頃のちびくまを知らない先生にとっては
「いつもと変わらず落ち着いている」息子が、そう見せるために
既にどれだけのエネルギーを消費していたか、
先生にとっては「軽~く、ソフトに説明した」つもりの言葉が
彼の心にどれだけ強迫的な影を落としていたか、
ただ先生について行くだけのために、彼がその身と心を痛めていたか、
そしてそのことを私がどれだけ心配していたかについては
想像もできなかったのではないかと思います。

それでも、ちびくまはそうした数々の指導の中でも
「床屋へ行って髪を切ってもらう」ことと
「ベルトをはずさずに立ったままおしっこをする」
ことについては、
「そつぎょうしたからもうしないほうがいい」
(=担任の先生に従ってしていただけなので
  もうやる気持ちはない)
と宣言するだけのたくましさは持ち合わせていました。

ただ、もともと「他の子と同じようにきちんとしたい」という
気持ちが強く、しかも中学入学で張り切っていたちびくまにとって、
「給食はできるだけ残さないほうがいい」という指導は
「中学生になったのだから絶対に給食は残してはいけない」
「完食しないといけない」
というプレッシャーとして残り、
「そうしなければならないとわかっているのに、できない自分」
との間で自信を失い、苦しみが限界を超えて
身体症状として出るところまで来てしまったのではないかと
思うのです。

小学校に入学してから、ちびくまが交流級で給食を食べられるように
なるまでには4年かかりました。
その積み上げが崩れるのはほんの一瞬のことでしたが、
再びちびくまが交流級で授業を受けられるようになり、
給食を食べられるようになるまでに
どれだけの時間ときめ細かい積み上げが必要になるのかは、現時点では
想像もつきません。
が、むしろ小学校のときよりも時間をかけるくらいの覚悟が
あってもいいのではないかと思っています。

ちびくまのように「従順に指導に従う子」
「多少のことでは目立つパニックを起こさない子」
の怖さはここにあります。
「ちょっとしたことですぐパニックになって騒ぐ子」は
問題児のように思われがちですが、指導者・支援者が道を間違わない
道しるべになってくれる、「とてもわかりやすい親切な子」なのです。

ところが、多くの場合「受動型」と呼ばれる従順な子達は
自分にとっての強迫・抑圧をそれとわかるように拒否できないために
表面上は「指導がとてもスムーズ」にいってしまう。
悪いことに、それは指導者の達成感を呼ぶために、さらに
「(その子にとって)辛い指導」を増幅・強化してしまう。
私が「本人のモチベーション」「本人の達成感」ということを
繰り返し主張するのはそのためです。
どんなに大切なスキルであっても、本人の中に「やらされた」
気持ちがあるかぎり、本当の力にはならない。

そして、押し付けの指導の結果がどうなるか、は殆どの場合、
ずっと後になってその子が爆発する力をつけてから、ということになるのです。
多くの場合、指導者は自分の指導がどんな結果になったかに気づくどころか、
「指導の成果を上げた」ことについて満足していることでしょう。

ちびくまにはとても辛い思いをさせてしまいましたが、
今の時期に、ちびくまがこういう比較的マイルドな形での
爆発を見せてくれたことは、私にとっても、中学にとっても
とても幸運だったかもしれません。
ちびくまの生活をコーディネートするキーパーソンである
私は、やはりちびくまのこういう部分をしっかり認識して
周りの人に伝える努力、ちびくまを強迫・抑制から守る努力を
怠ってはならないのだ、と改めて実感しています。


2 コメント

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本当ですね (ひまわり)
2007-05-03 21:58:48
ちびくまママさんの深いお考えに本当に感銘を受けます。

うちの子も受動型と言われていますが、親である私も、もっと頑張れるのではないかと頑張らせすぎていることも多いかと・・・

新小1、幸いにも先生方に恵まれ、また、とことんこのこにこだわってで知った、「人には気づかれないパニック」があることも伝え、本当にスモールステップで、学校生活を過ごしています。

いつも気づかせていただいています。ありがとうございます。
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ちびくまママさんの気持ち (ゆいママ)
2007-05-05 21:50:13
お久しぶりです。
ちびくまくんの葛藤、じっくり読ませていただきました。
それから、ちびくまママさんの考えの深さにとても感銘を受けました。やっぱりすごいな~と思います。

「受動型」の子どもさんたちのフォローについて、もっと慎重に考えないといけませんね。学校としては、ついつい、にぎやかな表れをする子に眼がいきますから。そんなことを考えながら、また、仕事に行きます。専門家であるはずの私は、いつも、ママさんたちに教えられるばかりです。

ちびくまくんが、ゆったりと給食を食べれる日が来ることを祈って。
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