雲のむこうはいつも青空

まったりもったり~自閉症息子のいる暮らし@ちびくまママ

初めての遅刻(その1)

2007年04月13日 | 楽しい学校生活
衣類の着脱もだいぶうまくなったちびくまですが、
いまだに小さなボタンやフックの付いた服は苦手です。

小学校の間は、体操服などに着替えるときに、介助の先生の手を
借りないで自分でできるように、と、ボタンやフックのない服を
選んで着せるようにしていました。
なので、朝学校へ行くときの着替えも、私が手を貸す必要はなく、
1人で手早く着替えて、バスの時間に間に合うように
支度をすることができていました。

でも、中学には制服があります。
ちびくまの通うF中の男子制服は、カッターシャツにネクタイ、
ズボンと紺ブレ、といういでたちです。
中でもカッターシャツのボタンとズボンのホックが
難関かな、という感じでした。

制服の注文をするときに、6年生のときの障担からは
「制服のズボンのウエストを総ゴムで特注したほうが
 いいのではないですか?」
というアドバイスがありましたが、私にはそれは
あまりいい提案には思えませんでした。

確かに、「今できていないのだから、衣類のほうを工夫して
自分でできるようにする」というのは大切な考え方です。
ただし、息子の今の状態をもっと丁寧に観察してみると
確かに簡単にすいすい、というわけにはいかないだろうけれど、
本人がその課題に取り組む意欲は十分引き出せそうですし、
指の使い方の面からも、練習を積めばできるようになるだろう、という、
いわゆる「めばえ」の段階にあるわけです。

表面的には同じ「できない」のレベルであっても、
「まったく出来ない」のか「めばえ」の段階なのかによって
対応を変えなければ、せっかくの子どもの成長の芽を
つんでしまうことになります。
そこで、ここはせっかくの障担のアドバイスを無視して、
普通のカッターシャツ、普通のズボンを買うことにしました。

ただし、ズボンのほうには少し工夫をして、ウエストの内側の
両サイドに太目のゴムテープを縫いつけ、腰骨のところに
ひっかけてはけるようにしました。
定型発達のお子さんだと、大き目のズボンでもきちんと
ベルトをしめてずれないようにできるようなのですが、
ちびくまにはそういうテクまでは要求できないだろうと
考えたからです。

さて、初めて制服を着た入学式前日と、入学式当日と
その翌日(初単独登校日)までは、「制服の着方」を教えながら
手伝って着せたのですが、今朝は思い切って、ちびくまから
「手伝って」と言い出すまでじっと我慢の子で、
手も口も出さずに見守ってみることにしました。

突然の親離れ

2007年04月12日 | 楽しい学校生活
ちびくま、小学校生活の6年間はドアツードアの
バス通学でした。
バスに乗るところまでは私が送り、バスには添乗員さんが
乗っていて、学校では障担か介助の先生が出迎えてくれます。
つまり、ちびくまが通学のために単独行動することは
ありませんでした。

でも、これからは校区の中学に通学することになるので、
通学バスはありません。徒歩での通学になります。
幸い、我が家から中学までは徒歩5分。
また、6年生の3学期に私が入院していたため、
訓練センターに週1で自力通所する経験を積んだおかげで、
この距離程度の単独行動にはまず問題がないであろうと
私にもちびくま自身にもすっかり自信がつきました。
(これがホントの「怪我の功名」?)

今日からの通学を自分1人で行くのか、しばらく私が
付き添うのかを息子と相談すると、彼は
「きょうはおかあさんといっしょがいい。あしたからは
 1人で行きます」
と答えます。なにもかもが新しい経験である彼にとっては
たった1日でも母が一緒に来てくれることが支えになるのだろうと
思って、
「わかった。じゃあ、今日は一緒に学校まで行って、
 校門のところでバイバイしようね」
と答え、私も家を出る用意をしました。

ところが、時間になり、一緒に玄関を出ようとしたところで、
ちびくま、急に
「ちゃんと1人で行けるよ」
と言い出しました。
「え?1人で行くの?お母さん一緒に行かなくていいの?」
と確認すると、息子は
「はい。おかあさんいっしょにいかなくていい。1人で行きます」
と答え、
「じゃあ、いってきま~す」と駆け出しました。
「あ、いってらっしゃい。気をつけてね!」と後ろから声をかけると
「は~い」

通学路を見晴らすマンションの廊下から見守っていると、
小走りに学校まで駆けていくちびくまの姿が見えました。
取り残された私は、しばしボー然。


ああ、こうやって子どもは巣立っていくもんなんですね。


さて、中学での第2日を終えたちびくま、
「きょうもがんばった~!K先生、とってもやさしいよ~!」と
ニコニコ顔で帰ってきました。
明日からは給食も始まります。

学校では多分精一杯頑張っているのであろうちびくまのために、
しばらくの間、家ではいつも以上に「のんびりまったり」ムードで
いこうと思っています。

入学式

2007年04月11日 | 楽しい学校生活
はてさて、ちびくま、中学生になりました。

一昨日は私服で私と2人で中学校へ出かけ、
新しく転任してこられた校長先生と、
障碍児学級担任のK先生と
交流学級担任のS先生との顔合わせ。

昨日は制服を着て私と一緒に中学へ行き、
障碍児学級の同級生になるY君とS君、
障担K先生、ちびくまとY君の交流担S先生、
S君の交流担N先生の合計6人で、
入学式当日の動きをシュミレーションしての
練習をしてもらいました。

そして迎えた今朝。ちびくまは緊張しているのか
硬い表情です。約束の時間に登校していくと、
K先生は昇降口で待っていてくれました。
1階の障碍児学級に荷物を置いて、ちびくまは1人で
別校舎の3階にある交流級の教室へ向かいます。
「1人で行けるかな?場所わかる?」との先生の問いに、
「わかる。大丈夫。1人で行ける」と答えたちびくま、
下から見守るK先生と私たちに気が付いて
ちらっとこちらを見てから、すっと校舎に入っていきました。

夫と私は他の保護者の方々と一緒に受付をして保護者席へ。
小学校の入学式のときは、いつちびくまが泣き出すか、
逃げ出すか、立ち上がるか、声を出すか、とずっと
はらはらしどおしだったのに、今回は三脚を持ち込んで
ビデオ撮影の準備なんかして、余裕もいいとこです。

(でも、中学の入学式で嬉しそうに三脚まで立てて
 撮影しているのは我が家だけみたいでした(^^ゞ。
 「フツーの入学式」が6年遅れで来たのかも(笑))

さて、時間になり、いよいよ新入生の入場。
ちびくま、やはり固い表情ではありますが、きちんと
列に並んで入場してきました。彼はすぐ前を歩いている子とは
別の列に入らなければなりませんが、ちゃんと練習済みなので
間違わずに自分の席につくことができました。

「起立、礼、着席」の号令は卒業式でもずっと練習しましたから
ばっちりです。
「新入生」=「1年生」、「在校生」=「2・3年生」の意味で
あることは、K先生にお願いして事前に説明しておいてもらいました。

入場した新入生は1人ずつ担任の先生に呼名されて立ち上がります。
これも昨日練習済みなのでばっちり。

あとは校長先生の祝辞、教育委員会の祝辞、来賓の祝辞と
祝電披露、在校生代表の歓迎の言葉と新入生代表の誓いの言葉、
最後に校歌斉唱で、無事入学式は終了。

約1時間の間でしたが、ちびくまは保護者席に向かって最前列で
来賓席に一番近い側、という
とんでもない晴れがましい席で、最初から最後まで
落ち着いて着席していました。
途中でもそもそ動いたり、頭や顔を触ったり、大あくびを
していたりしていたのは、まあ例によってご愛嬌ということで(^^ゞ。

でも、これで疲れはピークに達したのでしょうか、
入学式のあとは交流級でのSHRの予定だったのですが、
ちびくま、交流担のS先生のところへ行って、
「今から1ねん1くみ?それともSR(障碍児学級)?」と
訊いたそうです。
S先生が「1年1組で頑張ってみてもいいし、
しんどかったらSRに行ってもいいよ。どちらにする?」と
訊いてくれると、「しんどいのでSRにいきます」と
答えたので、S先生、
「ちゃんとしんどいことが言えて偉いね」と褒めて、
一緒にSRへ行き、障担K先生にその旨を説明してくれました。

そこで、K先生は急遽その時間をちびくま1人のSHRにして
明日からの予定を一緒に確認したり、教室のパソコンで遊んだり
する時間にしてくれました。

おかげで、他の2人の同級生が交流級でのSHRを終えて
SRに帰ってきたころには、ちびくまはすっかり
リラックスして、笑顔を見せるようになっていました。

学校という場ではどうしても「みんなと一緒に頑張る」と
いうことを最大の価値にしてしまう傾向がありますが、
「もう頑張れない自分」に気が付いて、SOSを出せることの
大切さを、交流担の先生も障担の先生もよく知っておられて、
ちびくまのSOSを初日からきちんと受け止めてくださった
ことをとても嬉しく思いました。

自閉っ子の多くがそうみたいなんですが、ちびくまは
ほとんど直感で「自分をありのままに受け入れてくれる人」と
そうでない人を感じ取って、そうでない人にはなかなか
こうしたSOSを出すことができません。
今日の行動を見ていると、ちびくまはK先生のこともS先生の
ことも、「信頼できそうな人」と判断したのだろうと思います。

明日からの中学生活に明るさが見える1日でした。





離任式

2007年04月04日 | 楽しい学校生活
今日は離任式。M小から退職・転任される先生方とのお別れの式です。
卒業式は3月に済ませましたが、この日が、ちびくまにとって
M小での最後の行事になります。
当の本人は私が説明するまでもなく、「おかあさん、きょうで
M小は最終回だね。バスも最終回だね。ぼくは中学生になって
歩いて学校へ行くから」と前日から何度も繰り返し、
すっかり納得している様子です。

卒業式のときは私も病院から帰ったばかりで何の用意もできなかったので
今回はこれまでお世話になった通学バスの添乗員さんや
介助の先生たちにちびくまはお手紙を書きました。

朝、最後の通学バスでちびくまを送り出してから、私も車に乗って
学校へ向かいます。

この春は、校長先生が定年退職。
ちびくま1年生のときの交流担N先生、2年生の交流担I先生、
6年生の体育担当だったA先生、直接の担任ではなかったけれど
交流学年の担任でちびくまが大好きだったK先生とS先生、
それにちびくまの就学担当だった障担H先生が転任。

介助の先生たちも、6人が転任、4人が退職、という
大きな動きで、これでもうM小にちびくまをよく知ってくれている
先生はほとんどいなくなってしまいました。

でも、この春から障碍児教育センター校がM小から我が家の校区の
F小に移設されるのに伴い、障担H先生と、5人の介助の先生は
F小への転任になります。
学期に1~2度小中交流でF小の障碍児学級と一緒になる予定の
ちびくまにとっては、むしろよく知っている先生が
地元に沢山増えたということで喜ばしいことかも。

体育館での離任式が終わった後、保護者有志も加わって
毎年恒例の「障級だけの離任式」も終わり、
障級保護者会から校長先生に花束を渡して、ちびくまは
校長先生とのツーショット写真も撮ってもらいました。

さて、通学バスの発着場に入ってきたバスを見て、
ちびくま、たちまち相好を崩します。
「やった~、あえてよかったねえ。いっしょにしゃしんとって
 もらおうか

朝、「運転手さんや添乗員さんと一緒に写真撮ってもらう?」と
訊くと、「いい。撮ってもらわない」ときっぱり言い切っていた
はずなのに。

見ると、今日はいつもと時間帯が違うので、ちびくまのバスを
運転しているのはピンチヒッターの運転手さんだったのです。
実はこの運転手さん、いつもは市の福祉バスを運転していて、
ちびくまたちはこれまで何度も遠足のときにお世話になって
きました。

車好きで人懐っこいちびくまは、「運転手さん」たちからは
特に可愛がってもらっていましたが、この人も、どこであっても
「お~い、ちびくまくん」と声をかけてくれる、ちびくまが
大好きな運転手さんの1人だったのです。

朝のあっさりぶりはなんだったのと思うくらいニコニコ顔で
「いっしょにしゃしんとってください」と自ら運転手さんに
申込みに行ったちびくまのお望みどおり、通学バスの前で
ツーショットの記念写真を撮らせてもらいました。

・・・いつもの運転手さんが見てなくてよかった・・・

その後は大好きな介助の先生たちともツーショット写真を撮って
もらってお別れを惜しみ、ただただ慌しかった卒業式とは違い
やっと「これでM小とはお別れなんだなあ」と私もしみじみ。

そんな私の思いはよそに、帰りの車の中ではちびくまは
「さあ、来週からぼくは中学生だね~。中学に行っても頑張るよ」と
すでにこれからの中学生活へと気持ちが向かっているようでした。


100円ショップはえらい。

2007年04月02日 | CIDP
退院して2週間。今日は退院後初の外来受診の日でした。
幸い、落ち着いた状態は続いていて、立ちっぱなしでいられないのと、
長距離の歩行ができないのと、疲れやすいことを除いては
日常生活にはほとんど不自由を感じなくなりました。

腕のほうはほとんど元通りに回復している、というのは
ドクターの所見も同じでした。
あとはステロイドを段々に減らしていき、再発や深刻な副作用が
起きないことを祈るばかりです。

さて、体がこれまでどおり動かなくなったときに、
なんとか元通りに治そう、とどこまでも頑張る人もおられると
思いますし、それはそれである意味大切なことではあると思うのですが
息子に関して「環境に子どもを合わせるのではなく、子どもに
環境を合わせる」ことを徹底してきた私、ついつい自分の体についても
同じ考え方が働き、どんどん自助具や福祉用具を使ってしまいます。

とはいえ、介護保険の対象にもならず、障害者手帳の申請もできない
状態(身障手帳というのは、ある程度期間が経過して症状が固定し、
もうこれ以上良くならない、という時点で申請するもので、今とりあえず
不自由、という理由では駄目なのだそうです)では、まともにいろいろ
買ったのではとんでもない大出費になってしまいます。

とりあえず、外出用の車椅子は社会福祉協議会からレンタル(月1,000円で
貸してもらえます)し、入浴用のシャワーチェアはホームセンターの
投売り大処分で1,680円で購入、それにキッチンで使うための
バースツール980円、すわり心地の良い折りたたみ椅子1,680円を
同じくホームセンターで購入したので、家の中での生活はほとんど
困らなくなりました。

あと、意外にあなどれなかったのが、100円ショップ。いまや色々な
介護用品が揃っているんですね~。
とりあえずびっくりしたのが、この杖。濃いピンク色でおしゃれ、
アルミ製で軽く、つくりもわりとしっかりしているんですが、
なんとダ○ソーで500円でした。杖につけている杖ホルダーは
カウンターなんかにひっかけて杖が倒れないようにする
アイディア商品ですが、これも100円。しめて税込みで630円です。

病院のリハビリの先生に相談したら、「装具屋さんから買う本格的な
ものは、一番安いので4000円」という話でしたが、とりあえず
補助的に使うだけの私にはこれで十分かも。