前回ご紹介しましたBertrand Tessier著"Delon & Romy un amour impossible"より、
ドロンさんがロミーの死の直前まで企画していたとされる作品
"L'un contre l'autre"(="One against another")
について記述された部分を翻訳してみました。
今までこの作品の内容については私には全く情報がなかったのですが、
初めてその内容の一部が明らかにされました。
(添付画像はドロンさんが『ポーカー・フェイス』、ロミーはClair de femme (1979)のものをミックスしました。)
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非常に痛みを伴うものではあったが、
『サンスーシの女』の撮影はロミーにとって一種の悪魔祓いの儀式のようなものであった。
それはまるで、彼女の傷口に熱した鉄を当てたようなものであった。
しかし、彼女の復帰は脚光を浴びることはなかった。
そして彼女はこれまで以上に当惑し途方に暮れてしまった。
仕事を休まないと彼女の苦悩が解消されることはなかった。
仕事をしないで、熟慮し、巻き返しを図ることが必要だったのだ。
「彼女は仕事をすることで大きな慰めを得ていました。」ジェーン・バーキンはこう証言している。
「映画の撮影というものは暖かいものです。常に人々が周りにいるし、みんなが自分をケアしてくれます。
映画人にとってそれが人生そのものであり、しかもそれは困難なものなのです。
しかし映画という小さな世界の中で、私たちはロミーがもう尽き果ててしまっていたと感じていました。」
「 私が当時持っていた映画のプロジェクトは、ドロンとの共演作以外はありませんでした。」
と彼女のエージェントだったジャン=ルイ・リビが今日明らかにした。
ドロンは、確かに、ロミーとふたたび共演する映画の計画をあきらめてはいなかった。
ピエール・グラニエ・ドフェール、ジャン・オーランシュとミシェル・グリゾアが
彼らの共演作品“L'un contre l'autre”のシナリオ執筆の為に必死で働いていたのだ。
「すぐにロミーが演じる役柄は出来上がったんだ。」ミシェル・グリゾアはこう証言する。
「サン・セバスチャンで静養している一人の女性。
海岸沿いの大きく悲しげなホテルの中で一人で孤独にいる彼女は
いったい何かの病いに犯されているのだろうか?
それとも何か生きるのが苦しいくらいの悩みがあるのか。
そこにどこからともなく一人の男が現れる。革のジャケットを着たサムライだ。
瞬く間に二人は激しい情念を燃やし合う。
そしてヨットのデッキの上から彼女は彼を水の中へ突き落とす。
月日が流れ…もう一人別の男が現れる。 彼は同じ男なのか、それとも兄弟なのか?
やがて二人は身を落ち着けることになる。
そこには脅威、あい昧さ、疑い、そして嘘が存在していた。」
時々、ロミーはシナリオ作家たちの前に現われて聞いてきた。
「ねえ、アランはこの作品をまだやる気があるのかしら?」
「もちろんだよ、彼は常にこれをやりたいと考えているさ。
だがこのフィルムはドロンがロミーに抱いている賞賛の域にまで達するレベルの作品であるべきと彼は望んでいるんだ。
だから彼は何度もシナリオに書直しを要求してきているし、
最終的には1982年の夏まで撮影の時期が延期してもかまわないと考えているんだよ。」
「私達には確かにこのプロジェクトが存在はしていたんだが、
私は実現しないんじゃないかという予感はあったんだ。」ドロンはこう告白する。
「私はローソクの小さい火が消えていくように彼女の息が絶えていくのではないかと感じていたんだ。
彼女は弱っていった。 彼女はもう生きていくことはできない、ましてや仕事など到底無理だ。
私は彼女が小さくなっていくのを目の当たりにしていたんだよ。」
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ドロンさんの予感通り、結局ロミーは1982年の5月29日に永遠に帰らぬ人となりました。
この作品が脚本家の話し通りのプロットだったとしますと、
後年のゴダール監督作品『ヌーヴェル・ヴァーグ』によく似ていることに気付きます。
ドロンさんはこのときどのような心境で撮影に臨んだのかと興味が湧くところです。
もしかするとロミーとの実現しなかった企画の主人公に一歩近づきたかったのかもしれません。
ドロンさんがロミーの死の直前まで企画していたとされる作品
"L'un contre l'autre"(="One against another")
について記述された部分を翻訳してみました。
今までこの作品の内容については私には全く情報がなかったのですが、
初めてその内容の一部が明らかにされました。
(添付画像はドロンさんが『ポーカー・フェイス』、ロミーはClair de femme (1979)のものをミックスしました。)
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非常に痛みを伴うものではあったが、
『サンスーシの女』の撮影はロミーにとって一種の悪魔祓いの儀式のようなものであった。
それはまるで、彼女の傷口に熱した鉄を当てたようなものであった。
しかし、彼女の復帰は脚光を浴びることはなかった。
そして彼女はこれまで以上に当惑し途方に暮れてしまった。
仕事を休まないと彼女の苦悩が解消されることはなかった。
仕事をしないで、熟慮し、巻き返しを図ることが必要だったのだ。
「彼女は仕事をすることで大きな慰めを得ていました。」ジェーン・バーキンはこう証言している。
「映画の撮影というものは暖かいものです。常に人々が周りにいるし、みんなが自分をケアしてくれます。
映画人にとってそれが人生そのものであり、しかもそれは困難なものなのです。
しかし映画という小さな世界の中で、私たちはロミーがもう尽き果ててしまっていたと感じていました。」
「 私が当時持っていた映画のプロジェクトは、ドロンとの共演作以外はありませんでした。」
と彼女のエージェントだったジャン=ルイ・リビが今日明らかにした。
ドロンは、確かに、ロミーとふたたび共演する映画の計画をあきらめてはいなかった。
ピエール・グラニエ・ドフェール、ジャン・オーランシュとミシェル・グリゾアが
彼らの共演作品“L'un contre l'autre”のシナリオ執筆の為に必死で働いていたのだ。
「すぐにロミーが演じる役柄は出来上がったんだ。」ミシェル・グリゾアはこう証言する。
「サン・セバスチャンで静養している一人の女性。
海岸沿いの大きく悲しげなホテルの中で一人で孤独にいる彼女は
いったい何かの病いに犯されているのだろうか?
それとも何か生きるのが苦しいくらいの悩みがあるのか。
そこにどこからともなく一人の男が現れる。革のジャケットを着たサムライだ。
瞬く間に二人は激しい情念を燃やし合う。
そしてヨットのデッキの上から彼女は彼を水の中へ突き落とす。
月日が流れ…もう一人別の男が現れる。 彼は同じ男なのか、それとも兄弟なのか?
やがて二人は身を落ち着けることになる。
そこには脅威、あい昧さ、疑い、そして嘘が存在していた。」
時々、ロミーはシナリオ作家たちの前に現われて聞いてきた。
「ねえ、アランはこの作品をまだやる気があるのかしら?」
「もちろんだよ、彼は常にこれをやりたいと考えているさ。
だがこのフィルムはドロンがロミーに抱いている賞賛の域にまで達するレベルの作品であるべきと彼は望んでいるんだ。
だから彼は何度もシナリオに書直しを要求してきているし、
最終的には1982年の夏まで撮影の時期が延期してもかまわないと考えているんだよ。」
「私達には確かにこのプロジェクトが存在はしていたんだが、
私は実現しないんじゃないかという予感はあったんだ。」ドロンはこう告白する。
「私はローソクの小さい火が消えていくように彼女の息が絶えていくのではないかと感じていたんだ。
彼女は弱っていった。 彼女はもう生きていくことはできない、ましてや仕事など到底無理だ。
私は彼女が小さくなっていくのを目の当たりにしていたんだよ。」
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ドロンさんの予感通り、結局ロミーは1982年の5月29日に永遠に帰らぬ人となりました。
この作品が脚本家の話し通りのプロットだったとしますと、
後年のゴダール監督作品『ヌーヴェル・ヴァーグ』によく似ていることに気付きます。
ドロンさんはこのときどのような心境で撮影に臨んだのかと興味が湧くところです。
もしかするとロミーとの実現しなかった企画の主人公に一歩近づきたかったのかもしれません。
仮にシナリオが不十分なものであったとしても
それなりに話題を呼んでヒット作になったであろうと思いますが、
ロミーのキャリアを重視し作品の質に妥協をしなかったドロンさんの執念が
皮肉にもこういった結末を迎えてしまったということに、
映画以上に劇的な二人の運命を感じさせられました。
きっとこの作品の音楽はサルドかドリリューだったでしょうね。
ロミーとの最後の作品… 実現して欲しかったなって常に思ってたけど
彼女はもういっぱい、いっぱいの状態だったんですね
難解な『ヌーヴェルヴァーグ』 もう一度観直してみたくなりました