法治国家では、国民が納得の行く法律を国会に制定させる。あるいは、その様に動く人物を国会議員として選挙で選ぶ。日本のように議院内閣制であれば、与党(国会議員)と行政府が渾然一体となってしまい、時として法律の制定や改変には不透明性が伴う。それは、議員やそれを支える官僚の利権が絡むからだ。この結果、国民が疑問に思うような立法が為されるし、あるいは国民の意思とは乖離した政策が行われる。
選挙が終わると、多くの場合議員は手のひらを返したように権力を以って国民の前に山の如く立ちはだかる。議員達は徒党を組み、国民の納得が行かないことも平気で行うことさえある。彼らに法律や政策を変えさせようとするのは、「政治と言う山」に国民がトンネルを穿(うが)つようなものだ。
この「政治の山」がしっかりとした岩盤で出来ていると、国民の求めるトンネルは掘削しやすい。<政治道義>と言う削岩機も使えるし、<政治論理>と言うダイナマイトで掘削スピードを上げることも出来る。ところが破砕帯にぶつかると、掘っても掘っても切羽(トンネル先端部)が崩れて来て、掘削出来なくなるし、挙句には冷水や熱湯が勢い良く漏れ出して、作業者つまり国民は大変な苦労をする。酷い時には、折角掘ったトンネルが崩落し埋まってしまうことさえある訳だ。
さて、敗戦のどさくさに紛れて、マッカーサーはハーグ陸戦規定に違反し、「1947年憲法」を日本に押し付けた。しかし、米国はサンフランシスコ講和条約(1952)を認める際に、憲法改正を行って軍隊を持ち、日本が普通の国になることをアドバイスした。吉田茂首相(当時)はこれを断り、米国の押し付けた憲法を維持する補完として、片務的な安保条約を締結した。これが<吉田ドクトリン>であり、国防と外交の実質を米国へ委ねたまま、日本は経済再建のみを指向した。
1947年憲法は、改正手続きが難しいハード憲法である。しかも、国民投票の規則を制定していなかった。時代の流れと共に戦争を全く知らない世代が育ち、半人前の植民地国家から脱却するため、国民の半数が憲法改正に理解を示すようになった。
憲法改正の道をトンネルに例えるなら、安倍晋三前政権は「政治の山」中にかなり固い岩盤を持っていた。それ故、憲法改正トンネルは崩れる事無く国民は山中深く掘削を進めることが出来た。つまり、国民投票の法律を作らせ、防衛省を設置し、教育基本法を改正させた。だが、安倍岩盤にもおかしな一部があって部分崩落が起こった。驚いた国民は、憲法改正トンネルの掘削を一時止めた。
実に不可解な形で福田政権が登場しても、内閣メンバーはあまり変わらなかったから、国民はまたトンネルを掘り始めた。ところが、少し掘ってみると、この政権はかなり分厚い破砕帯そのものであることに気が付いた。幾ら掘り続けても、切羽は全面が崩れ出し、先へ進めないのだ。<政治道義>や<政治論理>と言う有力な掘削道具も、福田破砕帯には全く通用しないことが国民には良く分かった。
この福田破砕帯は、国民の要求を無視して「外国が厭と思うことをしない」し、政治理念が殆ど無いから「全て足して2で割る」と言う大きな特色がある。それに気が付いた国民は、無力感と閉塞感を覚えて掘削を止めてしまった。
現在、福田首相は内閣改造を行って、国民の支持を増やそうと考えている。内閣メンバーや自民党の役員を多少変えても、首相自身が「破砕帯」である限り国民はトンネル掘り作業に戻らない。
それ故、福田破砕帯が消え去るか(総辞職)、解散・総選挙を行ってトンネルを掘削すべき<政治の山>を変える必要がある。そうでないと、出口の無いトンネルをひたすら眺めているだけで、日本は新しい世界へ入って行けないと思う。
但し、仮に民主党政権になると、「政治の山」全体が瓦落(がら)のようになり、トンネルなど掘り様が無くなるだろう。
選挙が終わると、多くの場合議員は手のひらを返したように権力を以って国民の前に山の如く立ちはだかる。議員達は徒党を組み、国民の納得が行かないことも平気で行うことさえある。彼らに法律や政策を変えさせようとするのは、「政治と言う山」に国民がトンネルを穿(うが)つようなものだ。
この「政治の山」がしっかりとした岩盤で出来ていると、国民の求めるトンネルは掘削しやすい。<政治道義>と言う削岩機も使えるし、<政治論理>と言うダイナマイトで掘削スピードを上げることも出来る。ところが破砕帯にぶつかると、掘っても掘っても切羽(トンネル先端部)が崩れて来て、掘削出来なくなるし、挙句には冷水や熱湯が勢い良く漏れ出して、作業者つまり国民は大変な苦労をする。酷い時には、折角掘ったトンネルが崩落し埋まってしまうことさえある訳だ。
さて、敗戦のどさくさに紛れて、マッカーサーはハーグ陸戦規定に違反し、「1947年憲法」を日本に押し付けた。しかし、米国はサンフランシスコ講和条約(1952)を認める際に、憲法改正を行って軍隊を持ち、日本が普通の国になることをアドバイスした。吉田茂首相(当時)はこれを断り、米国の押し付けた憲法を維持する補完として、片務的な安保条約を締結した。これが<吉田ドクトリン>であり、国防と外交の実質を米国へ委ねたまま、日本は経済再建のみを指向した。
1947年憲法は、改正手続きが難しいハード憲法である。しかも、国民投票の規則を制定していなかった。時代の流れと共に戦争を全く知らない世代が育ち、半人前の植民地国家から脱却するため、国民の半数が憲法改正に理解を示すようになった。
憲法改正の道をトンネルに例えるなら、安倍晋三前政権は「政治の山」中にかなり固い岩盤を持っていた。それ故、憲法改正トンネルは崩れる事無く国民は山中深く掘削を進めることが出来た。つまり、国民投票の法律を作らせ、防衛省を設置し、教育基本法を改正させた。だが、安倍岩盤にもおかしな一部があって部分崩落が起こった。驚いた国民は、憲法改正トンネルの掘削を一時止めた。
実に不可解な形で福田政権が登場しても、内閣メンバーはあまり変わらなかったから、国民はまたトンネルを掘り始めた。ところが、少し掘ってみると、この政権はかなり分厚い破砕帯そのものであることに気が付いた。幾ら掘り続けても、切羽は全面が崩れ出し、先へ進めないのだ。<政治道義>や<政治論理>と言う有力な掘削道具も、福田破砕帯には全く通用しないことが国民には良く分かった。
この福田破砕帯は、国民の要求を無視して「外国が厭と思うことをしない」し、政治理念が殆ど無いから「全て足して2で割る」と言う大きな特色がある。それに気が付いた国民は、無力感と閉塞感を覚えて掘削を止めてしまった。
現在、福田首相は内閣改造を行って、国民の支持を増やそうと考えている。内閣メンバーや自民党の役員を多少変えても、首相自身が「破砕帯」である限り国民はトンネル掘り作業に戻らない。
それ故、福田破砕帯が消え去るか(総辞職)、解散・総選挙を行ってトンネルを掘削すべき<政治の山>を変える必要がある。そうでないと、出口の無いトンネルをひたすら眺めているだけで、日本は新しい世界へ入って行けないと思う。
但し、仮に民主党政権になると、「政治の山」全体が瓦落(がら)のようになり、トンネルなど掘り様が無くなるだろう。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます