陸奥月旦抄

茶絽主が気の付いた事、世情変化への感想、自省などを述べます。
登場人物の敬称を省略させて頂きます。

慰霊の8月

2006-08-13 08:00:21 | Weblog
 8月になると東北では七夕祭りや夏祭りが賑やかに催される。仙台七夕、青森ねぶた、弘前ねぷた、秋田竿燈、そして山形花笠。それらは、旧盆の行事とも連動し、夏休みに入った青少年にふるさとの伝統の在り方を教える良い機会になっている。

 この月前半は、様々な慰霊の行事が並ぶ。

8月 6日 広島原爆慰霊の日

8月 9日 長崎原爆慰霊の日

8月12日 御巣鷹山慰霊の日(JAL事故の犠牲者520名)

8月13-16日 月遅れ<お盆>(迎え火、送り火)

8月15日 終戦記念日

 全国的に著名な慰霊日は以上かも知れないが、各地ではもっと様々な形で慰霊行事が行われているはずだ。盆踊りはそれぞれの地域でユニークに催される。日本国内は平和そのものである故、慰霊の行事参加に沢山の人が陸・空・海路で移動、場合によっては観光も兼ねる。将に、故郷帰りを兼ねた民族大移動である。

 <お盆>は、仏教概念の盂蘭盆会(うらぼんえ)を来歴とし、餓鬼道にある祖先の霊を迎えて慰め、再び送り出す行事である。これは、幕末迄は旧暦7月15日と定められていた。新暦となってから、改めて7月15日をその日に定めたが、旧暦7月15日が新暦と比べると約1ヵ月遅れである事、日本では慣習的にこの時期休暇を取る事などから、8月15日が<旧盆>として定着し、墓参りなどが行われるようになった。

 子供の頃は、兄弟で回り灯籠を作り、両親が盆棚に胡瓜の馬、茄子の牛、落雁などを飾っていたことを思い出す。今もそうした事を営む家庭は多いのであろうか。只今の我が家では、恥ずかしながら何もしない。

 昭和20年8月15日正午に終戦詔勅が玉音放送され、全ての帝国陸海軍組織は停戦した。それでこの日を終戦記念日としているが、正式な連合軍に対する陸海軍の無条件降伏は同年9月2日に行われたので、こちらが正しい敗戦の日である。なお、無条件降伏はあくまで軍隊に適用される概念であり、国家の無条件降伏はあり得ないと思う。

 敗戦の日は余り重要視されていないが、昭和38年(1963)には「全国戦没者追悼式」を政府主催で8月15日に行う事、また昭和57年(1982)には「戦没者を追悼し平和を祈念する日」を同日にすると閣議決定された。それで、8月15日の戦没者慰霊行事は定着したと言える。

 仏教行事の<お盆>に靖国神社へお参りするのは、宗教的な意味から少々変な感じがするが、戦没者追悼の日がこの日であるから矛盾はしないのであろう。カソリックでは、8月15日が「聖母被昇天日」として、大切な祭日でもある。

 暦の上では立秋を迎えても8月は盛夏であり、学校関係は長期休暇に入る。登山や海水浴に打ち興じる人が増えると共に、それらに関連した事故も多発し、犠牲者も増す。8月の慰霊の機会は、年と共に益々増える事になるのが現状では無いか。

 
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