陸奥月旦抄

茶絽主が気の付いた事、世情変化への感想、自省などを述べます。
登場人物の敬称を省略させて頂きます。

スメタナの<モルダウ>を聴く:交響詩《我が祖国》より第2曲

2009-05-28 23:12:09 | 読書・映画・音楽
 <旅チャンネル>と言う民放プログラムを見ていたら、ウィーンを起点にプラハーベルリンークラコフを順に訪れる列車の旅を紹介していた。ポーランドの古都クラコフへは行ったことが無いが、他の都市を訪問したことがあるので、懐かしく街々の風景に見入った。

 プラハを訪れたのは、ソ連解体後間も無い1993年の夏であったと思うが、約1週間滞在した。国際学術会議の合間を狙って、プラハの街を繰り返し探訪した。プラハ城から偉人の像が欄干に立ち並ぶカレル橋までの往復を歩いたり、火刑で亡くなったヤン・フスの像がある広場の回りをうろついた。

 人口120万の古都の中心をヴルタヴァ川(ドイツ語ではモルダウ川;Die Moldau)が流れている。カレル橋の上から川面を覗き込んだり、河岸のベンチに座ってのんびりと川向こうに聳えるプラハ城を眺めた。スメタナの作曲した<モルダウ(ヴルタヴァ)>(1882年初演)のメロディーを思い出しながら。




 我が家の2階ヴェランダから、眼下に流れる松川(最上川支流)をぼんやりと眺めていると、やはり<モルダウ>を何となく想い出すことがある。

 スメタナは、6曲から構成される交響詩《我が祖国》を作曲したが、その中で第2曲の<モルダウ>が最も人気があり、これだけ独立して演奏されることも多い。また、合唱曲に編曲されて若い人達に良く歌われているようだ。

 かつては神聖ローマ帝国の首都としてその栄華を誇ったプラハであるが、後にハプスブルグ家の支配が長く続き、ボヘミヤ文化は衰退した。1870年頃、チェコ民族の誇りを取り戻そうと、スメタナは郷土の名前やボヘミヤ文化を題材にした交響詩《我が祖国》を作曲し、チェコ人の熱狂的な支持を得た。ボヘミヤ文化を主張するスメタナの楽想は、ドヴォルザークにより展開されて行く。

 日本では、ドイツ語名の<モルダウ>が広く知られている。その曲想は、源流から流れ出たヴルタヴァ川が大河となってプラハ市内を横断し、やがてドイツ領土内でエルベ川へ合流する姿を描いたものだ。

 1989年のベルリンの壁崩壊と1991年のソ連解体を経て、チェコスロバキアは共産圏衛星国から離脱し、名実共に民主制国家となった。それを祝うべくラファエル・クーベリックがチェコフィルハーモニーを指揮して、<モルダウ>を演奏した。これは、素晴らしい演奏だと思う。

 私は、カラヤンがベルリンフィルハーモニーを指揮した<モルダウ>のCDを持っているのだが、その演奏は重厚でゆったりとしており、演奏時間も12分37秒と他の演奏家よりも長い。カラヤン盤は名演奏だと思う。

 高校生の頃、<モルダウ>のオーケストレーションなど、ベートーベンや、ブラームス、あるいはベルリオーズに比べたら低レベルだなどと生意気な口を利いていたが、年を重ねてから<モルダウ>を聴くと、素直にこの曲の素晴らしさを感じるようになった。

 イルカさんが夫を亡くした時、彼の思い出に<モルダウ>の第一主題に作詞して、<いつか見る虹~“モルダウ”から>を歌った。感動的な作品である。これは、NHKの「みんなのうた」でも取り上げられている。

 一方、さだまさしさんは、独自の歌詞を付けて、<男は大きな河になれ~モルダウより>を歌った。

男は大きな河になれ_銀河ステーション


 合唱曲にして楽しんだり、歌手たちが取り上げたりして、日本人はどうやら<モルダウ>と言う曲がお好みのようだ。
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